002 結婚はコマとして
「結婚が決まったぞ、アンリエッタ!」
重大な話があるからすぐに仕事を終わらせるようにと、呼ばれた昼下がりの午後。
仕事を終え自宅に戻った私に父は、白くなった
父は仕事部屋でふんぞり返るように深く椅子に腰かけながら、何やらいろいろ算段をしているようだった。
机の上にはいろいろな書類が安定に散乱している。
「は?」
思わず本音がこぼれ落ちた。
父は今年五十だったか。さすがにボケるにはまだ早い。
だとすると、またどうせいつもの悪い癖だろう。
父はいつも思い立ったがなんとかで、すぐに事業を始めるような商人だった。
だけど仕事のセンスだけはあるこの人は、いつでも自分の思うように仕事を始め成功させてきた。
だからこそ質が悪い。
この世の全てが自分の掌の上で動かせると思ってしまっているから。
「私に拒否権というものはないのでしょうか?」
「そんなものあるわけないだろう! 何を言っているんだ、お前は」
「何をって……」
ガハハハッと豪快に笑う父を私は無表情で見つめ返した。
薄紫の瞳に同色の髪の毛。
私と父はよく似ていた。もっとも、この性格以外はだけど。
「お前ももう十八。このまま行き遅れてはまずいと思ってな」
「それで、こんなにも急にということなのですね」
確かに結婚適齢期であるのは知っている。
でも、私は全て父の指示に従ってきただけのこと。
父の仕事を手伝い、恋愛などする時間すらなく、ただ生きてきたというのに。
ああ、本当に勝手な人。
父は確かに商人としては優れているかもしれないけど、人としては最低だ。
仕事仲間であっても家族であっても、自分以外の人間は、みんな父にとったら使えるコマでしかないというグズさ加減。
それでも父だから……家族だから。
私は、その機嫌を損ねないように……少しでも愛して欲しくて今まで頑張ってきたというのに。
「しかも相手は貴族だ! こんなにいい話はない。没落寸前の男爵家が、持参金欲しさにお前を貴族籍に入れるというのだ」
「貴族?」
「そうだ。うちに足りなかった貴族という地位が、この結婚で手に入る。これでうちの商会はますます発展するだろう」
「商会のため……」
「そうだ。全ては俺の言う通りにしておけば上手くいく。いつもそうだろう」
商会の……いえ、自分のためなのね、結局は。
別に私の婚期を考えていたワケじゃない。
売れ残らないぐらいに、でも一番効率良く私を使いたかっただけ。
父にとったら、私はこの世で一番に使えて価値あるモノだものね。
しかも私と引き換えに、父が欲しかったものが手に入る。
「向こうも、お前が子どもさえ産めればば文句を付けることもないだろう。男の子を二人産んで、一人を商会の跡継ぎとすれば我が家も安泰だ。ああ、良かった、良かった」
「男の子……安泰」
「あはははは。そうだぞ? 女なんてだめだ。男を産まないとな! ちゃんと二人産むんだぞ」
「……」
「ああ、なんていい日なのだろうな」
終始自分で自己完結をし、更には良かったと締めくくる。
挙句の果てに……この言葉か。
まったく、なんと表現したらいいのだろう。
この胸にずしりと、鉛のようなモノを置かれたこの感じを。
母は難産の末、私を産んだ。
しかしそのせいで、もう母は子どもを産めない体になった。
役立たずな女を産み、しかも二度と産めない体になった母は、父と祖母に責め立てられ、母は私が幼い時に亡くなってしまった。
その上でなお、私にこんなことを平然と要求するのね。
しかもただ貴族としての籍が欲しいためだけに。
平民と貴族とでは、出来る仕事の幅も違えば客も違うのは分かる。
商人のくせになんて、言われることも確かになくなるだろう。
でもそうだとしても……。
「結婚しただけでは、貴族籍は商会には入らないではないですか。よくて親族になれるというだけです」
「そこはちゃんと考えてある。一旦この商会をお前の名義として、息子が産まれた時に名義を移せばいい。そして俺の元で教育させればいい」
「……そういうことですか」
「ああそうだ。これで何も問題なかろう」
問題なかろう?
それはあなたにとっては、でしょう。
結婚する私の名前に名義を書き換えれば、確かに商会自体が貴族の経営となるものね。
本当にこういうとこだけは頭がよく回るわ。
「私のお相手となる方は、どういう方なのですか?」
「まぁ、少し難はあるが大丈夫だろう。どうせ没落寸前で、うちの金がなければ生きていけないような奴らだ。お前が気にすることはない」
「……そうなのですね」
気にすることはない?
まぁそうでしょうね。
気にしたって、泣きわめいたって、もうこれは決定事項なのだから。
ただ難があるってことは、マトモではないということ。
金遣いが荒いのか、女遊びが激しいのか。
どれであっても、私にとってこの結婚はなんのメリットもない。
父がただお金と私を使って、貴族というものを買っただけ。
こういう人だってずっと分かってはいたけれど。
ほんの少し残っていた父への期待が、全て夢でしかなかったと実感する。
いつかは私を、ちゃんと娘として見てくれるのではないか。
歳をとれば優しくなってくれるのではないか。
ホント、馬鹿みたいね。
そんなことなんてあるはずもないのに。
「まぁ。ゆくゆくは男爵家も手に入るだろう。ああ、本当に今日はなんていい日なんだ」
そう言って、またガハハハッと豪快に笑い出した。
父にとっての良き日は、私にとって最悪の日の幕開けでしかなかった。