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メイド探偵

 翌日の午後である。

 秋葉原のメインストリートともいえる都道437号線の歩道を、ひとりのスーツ姿の男が小走りで、JRの高架線をくぐり北上していた。

 昨今、道行く者は誰もがスマートフォンを片手に、画面に夢中になって歩いている。男は何人かとぶつかりそうになりながらも、人混みを縫うように先を急いだ。

 やがて男はビッ◯カメラ前の交差点を渡り、神田明神(かんだみょうじん)通りへと折れる。そして交差点から数えて五つめのビルの前で足を止めた。

『カフェ・コスモス』と書かれた、薄いピンク色を基調とする賑やかな看板が男の目に入る。

「ここか――」

 男は一旦息を整えると、エスカレーターを一気に五階まで駆け上がり、扉を開いた。

「お帰りなさいませ。ご主人さま」

 ドアベルの涼し気な音色と共に、二人の女性が満面の笑顔で男を出迎えた。女性は二人とも揃いのメイド服を着用している。そう、ここはメイドカフェである。

 来店した男の顔を見るなり、ひとりのメイドの顔から笑顔が消える。

「うっ! ……島崎(しまざき)さん?」

 左右二つに分けた黒いロングヘアーを、それぞれ耳の少し上のところでまとめた、俗に言うツインテールの髪型をしたメイドが小声で呟く。

「ああ、摩耶(まや)くん。ちょうどよかった」

 男はメイドに迫ると、

「すまないが、ちょっと付き合ってくれないか?」

 血走った眼を向けて言う。

「あ、あの、お客さま。申し訳ございませんが、当店はそういったサービスは行っておりませんので……」

 もうひとりの、おそらく先輩格であろうメイドが、あからさまに不快な表情を見せながら割り込む。

「え? ああそうか。申し訳ない」

 男はスーツの(ふところ)から二つ折りの革ケースを取り出し、開いて先輩メイドに提示した。

「怪しい者ではありません。万世橋(まんせいばし)署から来ました」

 革ケースには「警視庁」の文字が入った記章(バッジ)と、「巡査長・島崎駿介(しゅんすけ)」と記載された身分証が収まっていた。

「刑事さん、ですか?」

 茶色く染めたショートボブの先輩メイドは目を丸くする。が、すぐに

「――どのようなご用件でしょう?」

 と、さらに(いぶか)しむ。

「ええと、そうだな。取り敢えずここの責任者の方を呼んでいただけますか? その方が話が早いと思います」

 島崎は後頭部を掻きながら、軽く頭を下げた。

「はあ。では少々お待ちください。……正木(まさき)さん、ちょっと待っててね?」

 先輩メイドはそう言い残すと、今ひとつ納得のいかないといった面持ちで、「芳岡(よしおか)さあん」と声を上げつつ店の奥へ向かった。

「……島崎さん」

 先輩メイドを見送ると、島崎が「摩耶」と呼ぶ後輩メイドが口を開いた。

「わたしに何か用ですか? 今仕事(バイト)中なんですけど」

 小声で訊く。

「悪い。また君の力を貸して欲しいんだ」

 島崎が掌を合わせて頭を下げると、摩耶は「はあ……」と嘆息する。

「あのお、わたし当店のフロアマネージャーをしております、芳岡といいます」

 歳は二十代後半くらいだろうか、責任者を名乗る女性が大慌てで飛んできた。無理もない。警察官による呼び出しなのだから。

「うちの従業員がなにか問題でも……」

 白いシャツに紺のエプロンといった、シンプルな出で立ちの芳岡マネージャーは、摩耶を一瞥しながら島崎に尋ねる。

(違うんです。わたし、何も悪いことなんてしてないです)

 摩耶はそう口に出したかったが、
「いや、そうではなくて、実は彼女……」

 島崎がすぐに事情を説明し始めた。

 正木摩耶(まさきまや)、十八歳。メイドカフェでのアルバイトで生活費を稼ぎながら、グラフィックデザインの専門学校に通う学生である――という、ごく普通の一面とは別に、彼女にはもうひとつの顔があった。

 これまでいくつかの犯罪に巻き込まれた彼女は、その類稀(たぐいまれ)なる観察眼と洞察力で、警察も手を焼くそれら難事件を全て解決に導いてきたのである。島崎は全ての事件で、彼女の活躍を目の当たりにしていた。

「へえ、この正木さんがねえ……」

 芳岡は島崎の話がにわかには信じられないといった表情で、摩耶に視線を向けた。

「そんなわけで、とある事件の捜査にこの摩耶くん――いや正木さんの力をお借りしたいんです」

 島崎が懇願する。

「今すぐに、ですか?」

 芳岡は腕を組んで首を傾げた。

「可能であれば」

「――分かりました。警察からの協力要請とあっては、無下に断るわけにはいきませんね」

 そう答えると、芳岡は摩耶に向かい、

「行ってらっしゃい、正木さん」

 島崎への同行を促した。

「いいんですか?」

「その代わり、外出中の分は時給を差し引かせてもらうから」

 芳岡はいつもの業務的な口調に変わる。

「……はい」

 がっくりと肩を落とす摩耶。

「――と言いたいところだけど、出掛けたついでに街でお店のチラシを配って来たら、勤務中扱いにしてあげてもいいわ」

「本当ですか? ありがとうございます!」

 摩耶の返答を聞くと、芳岡はすぐに店の奥からチラシの束を持って来た。

「じゃあこれ、よろしくね。行ってらっしゃい」

「……こんなに、ですかあ?」

 受け取ったチラシの束の重みに、摩耶の気も沈む。


 都道437号線の歩道を、スーツ姿とメイド服姿が肩を並べて歩いている。周囲からはさぞかし奇異に見えることだろう。

「これ、島崎さんも手伝ってくださいよ?」

 胸元にチラシの束を抱えた摩耶は、隣の島崎を横目で見ながら言う。もちろん彼女なりの冗談(ジョーク)だ。

「ああ分かってる。任せてくれ」

 島崎は意外な答えを返す。だが、警察官が警察業務以外の仕事に携わるのは、服務規程違反なのではないか。摩耶が指摘すると、

「うちの署内で配るよ。なあに万世橋署はアキバを管轄にする警察署だ。メイド喫茶に興味を持つ職員も多いだろう」

 相変わらず楽観的で、ノリの軽い刑事である。そんな島崎は当年とって二十七歳。摩耶にしてみれば、少し歳の離れた兄、といったところだろうか。

「それじゃあこれ。――あ、カフェ・コスモスです。よろしくお願いしまあす」

 束の半分を島崎に渡すと、摩耶はすれ違う男性に向けて愛想笑いを振りまきながら、手当たり次第にチラシを差し出した。

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