15話 どんなときも
いつも通りの神様と、心痛の多いターラの夏は、すぐにやってきた。
旅立つ前の日、神様は相変わらずターラを腕の中に囲った。
「留守にするのは、ほんの数十年だ」
ターラの美しい銀髪をくしけずり、毛先を指に絡ませながら神様が言う。
数十年が一瞬でしかない神様の、心中は測れない。
結局、ターラは神様の真意を尋ねられず、見送る日を迎えたのだった。
シャンティは、軟禁されていた部屋から出され、わずかな持ち物のみで神殿を追放される。
神様は、衣装をまとう力を使って麗しい姿を平民に似せ、シャンティに付いて行く。
ターラと神殿長しか知らぬ、出立の日。
二人の後ろ姿は、陽炎の向こうへ消えた。
◇◆◇
神様が神の森から居なくなっても、ターラの心の信仰の光は消えなかった。
ステンドグラスを照らす黄昏に、神様の存在を感じて、涙を流す日もあったが――。
しばらくすると、ターラは神様との思い出を振り返るために、過去の日記帳を見直すようになった。
ターラが聖女になっても、幼少期からの習慣でずっと書いてきたものだ。
毎夜、ぺらり、ぺらりと頁をめくると、当時の神様への想いが、胸に甦ってくる。
神様がいない数十年を、こうした思い出を懐かしみながら、しんみりと過ごすつもりだったのだが、聖女という職業病なのか、ターラはまたしても閃いてしまった。
◇◆◇
「さすが聖女さまです。神殿に仕える者の鑑です。どんな状況にあっても、布教活動を忘れないその精神を、私はもっと見習わなければいけません」
そしてターラは、早朝突撃した神殿長の部屋で、神様がいなくなった喪心で頭の毛が薄くなった神殿長に、諸手を挙げて称えられるのだった。
ターラが考え付いたのは、新たな神様の姿絵を創作することだった。
神殿長へ開いて見せている日記帳の中には、神の森に棲む動物と神様が触れ合う姿だったり、夏の暑い日に神様のまとう服が半袖になった姿だったり、ターラの拙い絵と美しい字によって、神様を褒め讃える内容がびっしりと書き込まれていた。
すでにステンドグラスを模したパッチワークの布絵によって、神様の成長した姿は一般に公開されている。
しかし、聖女以外の人々は、その布絵の神様しか見たことがないのだ。
神の森で過ごす実際の神様が、どれほど活き活きとしていて生命力にあふれ、眩しいほどに光り輝いているのか、ターラは多くの人に知ってもらいたいと思った。
「私がこれまでに記録してきた神様の姿を、パッチワーク布絵で表現し、神殿や支部で公開することは出来ないでしょうか? 残念ながら私には絵心がないので、図案への描き起こしは誰かに助けてもらわないといけないのですが」
ターラのまくしたてるような早口に、うんうんと頷き返しながら耳をそばだてる神殿長。
すっかりこの風景もお馴染みになった。
神様が旅立ってから沈みがちだった二人だが、新たな計画が立ち上がる予感に、話し合いは白熱していく。
「聖女さま、完成した布絵に、神様のことをより詳しく知ってもらえるよう、説明文を添えるのはどうでしょう? 識字率が上がった今なら、効果が期待できるはずです」
神殿長はターラの日記を指さし、「例えばこういう一文です」と言う。
そこには、『濡れた黒髪から滴り落ちる雫の輝きは、この世のどの宝石よりも神様を美しく飾ります』という、吟遊詩人も裸足で逃げ出すターラの注釈が、誇らしげに書かれていた。
「え、いや、これは……」
途端に恥ずかしくなって口ごもるターラを、神殿長が励ます。
「私にはとても思いつかない、詩的な描写です。実際に神様を見た聖女さまでないと出来ない、瑞々しい表現だと思いますよ」
神殿長が高評価をつけてくれた注釈は、ターラが聖女になってまもなく、まだ若かりし二十代の頃に綴ったものだった。
見た目はともかく、いまや四十代になったターラにしてみれば、若気の至りとも言える残念な注釈なのだが――。
「聖女さまの目を通して私たちにもたらされる神様の姿の、なんと麗しく恭しいことか。私は改めて、神様を信仰することに、前向きな気持ちになれました」
神殿長には、何かを目覚めさせるような、印象深いものだったようだ。
せっかく感動している神殿長に水を注すことが出来ず、押し切られるような形で、ターラの注釈が説明文として添えられると決まってしまったのだった。
◇◆◇
そこから一年かけて、ターラの拙い絵をパッチワークの図案にまで、昇華させることに成功する。
図案が出来てしまえば、あとの流れは速かった。
ベテランのパッチワーク作業班が、神殿や支部に掲げる『水も滴る神様の姿絵』を、手際よく制作していく。
同時進行で、図案をさらに簡略化し、寄付をしてくれた人への贈呈用布絵も作り始める。
ターラの周囲は、俄然忙しくなった。
離れていった神様を偲び、寂しさを感じている暇もないほどに。
神様の役に立っているという気持ちが、ターラの心に張りをもたらしていた。
近くにいるから出来ることがあるように、近くにいなくても出来ることがある。
神様への想いを大切に心へしまったまま、ターラは毎日を精力的に過ごした。
新しい神様の姿絵が公開されると、またたく間に人々の話題を席巻し、大きな喝采を浴びた。
中には、添えられたターラの詩的な説明文を読んで、感動している人もいた。
予想以上の反響に、ターラも神殿長も、手を取り合って喜んだ。
そうしてすぐに、次作を発表することが決定する。
好評を博したパッチワークによる神様の姿絵は、それから三年に一度、新作が登場するようになる。
資料となるターラの日記帳には、何百枚もの神様の姿絵が残されているから、神様が戻ってくるまで絶えず制作し続けても、ネタは尽きそうになかった。
次々に更新される神様の姿絵に魅せられ、神殿や支部には、常に多くの人が参拝に訪れる。
きっと祈りの力が集まり、今頃は神様の神格がどんどん上がっているに違いないと、神殿長は小躍りをしている。
ターラもそう信じて、人の世に下りた神様の幸せを祈り続けた。
いくつか四季が巡ると、弟ビクラムからターラへ、手紙で父の死が知らされた。
父は、最期までターラの聖女としての活躍を誇りに思い、旅立つときは、寄付のお返しとして贈呈された神様の布絵を胸に懐き、妹メリナのように苦しまず、安らかに眠ったという。
またそれから四季が巡り、ターラと二人三脚で頑張ってくれていた神殿長が、老衰を理由に代替わりをした。
ターラと過ごした神殿長時代が、自分の人生の中で最も輝いた時代だったと、嬉し泣きをしながら勇退していった人懐っこい神殿長。
心労もかけてしまった自覚があるターラは、これから神殿長が穏やかな隠居生活を送れるようにと祈った。
新たに就任した神殿長は、ベテランのパッチワーク作業班にいた女性で、ターラにとっても顔なじみの、頼りになる存在だった。
力を合わせて頑張ろうと、新体制の二人で決意を新たにしてから、またいくつかの四季が巡った。
そして、ターラが七十路になろうとする夏――何の前触れもなく、神様が神の森へ帰ってきたのだ。
◇◆◇
「子が死んだよ」
そう伝える神様の容姿は、別れた頃よりも少し、年を重ねて見えた。
神様とシャンティが神殿を去ってから、まだ三十年も経っていない。
ということは、シャンティの享年は四十代だったはずだ。
あまりにも早逝すぎて、ターラは驚きに言葉を失くす。
「何が……シャンティに、何があったのですか?」
恐る恐る尋ねるターラに、神様が聞かせたシャンティの物語は、想像していたよりも、穏やかではなかった。