10話 ヒールで全力疾走
「よろしければ、今のネイトさまの近況などを、お聞きしても? その……まだ婚約者は決まっていませんよね?」
これはもう決定打だろう。
カサンドラは、マノンの従兄ネイトに恋をしている。
やや鼻息を荒くしたマノンが、前のめりになって答える。
「もちろん、まだ決まっていません。ですが、そろそろ候補者を絞る時期に来ています」
「ネイトさまは、どなたかと心を通じ合わせているのでしょうか? その方が婚約者に推薦される可能性は?」
両手を胸の前で組み合わせ、少しでもマノンから話を聞こうと、瞳を潤ませて必死なカサンドラ。
これこそ可愛いの権化だった。
「ネイトの状況をお話する前に、カサンドラさまの状況をお聞かせください。ネイトのことを好ましく想っているのなら、なぜアルフォンソさまの婚約者選定の儀に参加されているのでしょう? このまま試験が進めば、高い確率でカサンドラさまが婚約者に選ばれてしまいますよね?」
「わたくしが参加している理由は……」
そこでカサンドラが、ヘザーに視線を向ける。
言ってしまっていいものか、悩んでいるのだろう。
ヘザーは小さく頷くことで、カサンドラへ先を続けることを勧める。
「ひとつ目は、アルの恋を応援するためです。従来の選定の儀では、王太子の少年期に数名の候補者が選ばれて、その後の成長過程を評価して、最終的な試験の結果で婚約者が決まっていました。しかし今回、アルが我が儘を言ったせいで婚約者候補が絞られないまま、可能性のある大勢の令嬢や姫君が、いっぺんに試験を受けることになりました」
「だから年が離れた私まで、紛れ込めたのですね」
「アルが想い続けた少女の手助けをするために、わたくしも参加したのですが、どうやらその少女は手助けを必要とするほど弱くはなかったようです。たくさんのお友だちも、自分で作ってしまいましたし」
カサンドラは初めから、ヘザーと友だちになろうとしていた。
遠く離れた国からやってきた背の高い女を異端視せず、他の候補者たちに紹介しようとしていた。
ヘザーがあの場に早く馴染めるようにと、慮ってくれたのだろう。
その前にヘザーが、それを辞退してしまったのだが。
「ふたつ目は、ラモン公爵家とディエゴ公爵家の因縁のせいです。ヘザーさまに突っかかっていたコルネリアを覚えているでしょうか? あの子の父がディエゴ公爵です。わたくしの父であるラモン公爵と、それはもう仲が悪いのですわ」
ヘザーの脳裏には、髪も瞳も青いゴージャスな美少女がすぐに浮かんだ。
カサンドラとの仲を自慢していたコルネリアだったが、家同士は対立していたのか。
高位貴族にありがちな関係性ですね、とマノンは納得している。
「何かにつけて反発する両家に、国王陛下も頭を悩ませていらっしゃいます。わたくしとコルネリアは、幸いにも嫌い合ってはいないのですが……」
「それが選定の儀に、どう関わってくるのでしょう?」
「馬鹿馬鹿しくも父たちは、どちらの娘がより王太子妃に相応しいか、競っているのです。そのため、わたくしは幼少期からずっと勉強漬けですし、逆にコルネリアはずっと美に磨きをかけられています。……あの子、お肌によくないからと、ケーキも食べたことがないんですよ」
「それは極端ですね……」
珍しいお菓子のために遠路はるばるお茶会に参加するようなヘザーには、ディエゴ公爵家の方針はただの罰でしかない。
厳しい環境で育ってきたコルネリアを、ヘザーは不憫に思った。
「選定の儀では、試験の点数が公開されます。わたくしは父に、高得点を取って最終選考まで残ることを交換条件に、ネイトさまへ手紙を出す許可を願っているのです。父は私に王太子妃になれと言いますが、最終選考で優先されるのは親の意向より本人の希望です。その場でわたくしは辞退をしようと思っていました」
「カサンドラさまは、ネイトのために試験を頑張っていたのですね」
マノンの言葉に、カサンドラは恥ずかしそうにした。
アルフォンソの隣に立ちたくて、図書室で勉強をしていたヘザーには、カサンドラの気持ちがよく分かる。
「今ここで、ネイトの気持ちを私が代弁してはいけないので言いませんが、カサンドラさまの努力については必ずネイトに伝えます。そしてネイトもまた、カサンドラさまとの再会のために、ガティ皇国であがいているとだけ、お伝えしておきます」
「ネイトさまも……?」
「カサンドラさまとの出会いは、ネイトにとっても鮮烈だったようです。大人しくて覇気がないと周囲に揶揄されていたネイトが、今では見違えるように変わりました。小さい頃からよく遊んでくれたネイトのために、私も何かしたいと思ってメンブラード王国へ来ましたが、よい結果となりそうで嬉しいです」
マノンのほほ笑みが、カサンドラにも伝播する。
当初の目的を達成し、ほっとしたヘザーだったが、マノンからの突っ込みに慌てる羽目になる。
「ところで、アルフォンソさまの想い続けた少女というのが、ヘザーさまなのですか?」
「あ、それは……」
「そうですよ、6年前の婚約者候補を決めるお茶会で、アルがヘザーさまを見初めたのです。前代未聞の公開プロポーズだと、当時は話題になりました。ヘザーさま以外とは結婚しないとアルが我が儘を言ったせいで、大人たちは大変な苦労をしたそうです」
いい感じで終わりそうだった会が、なぜかヘザーが恥ずかしい目に合う会になりつつある。
「6年もの間、『お嫁さんになって』と口説き続けて頷いてもらえず、いい加減に諦めたらどうかと国王陛下が選定の儀の開催を決定し、真っ青になったアルがヘザーさまに懇願して参加してもらったとか」
「いえ、その……」
「なんて情熱的なんでしょう!」
しどろもどろなヘザーをよそに、カサンドラとマノンが盛り上がる。
そうしてしばらくは、話の種にされてヘザーは真っ赤になり続けるのだった。
◇◆◇
選定の儀では、試験のたびに候補者たちの点数が公開され、累積された総合計の点数で順位が決まっていった。
だいたいにおいて高得点を取り続けているカサンドラや、それに続くマノンと違って、ヘザーはそこそこ良い点を取り、時おり飛び抜けて良い点を取っている。
苦手な課目がないというのがヘザーの長所で、礼儀作法やダンスについては年の離れた二人の姉たちの指導の賜物だし、メンブラード王国の歴史や地理については、アルフォンソとの関係にモヤモヤしていた時期に読みふけったメンブラード王国の物語のおかげだった。
そんなヘザーが唯一、カサンドラやマノンを上回るのが体力の試験だ。
どんな場面を想定しているのか分からないが、今日も王城の回廊をヒールを履いたまま走らされたり、ロープを垂らしたベランダから降下させられたりした。
まるで兵士の入団試験のようだと思いながら、ヘザーは全力で挑む。
他の候補者の追随を許さず、オーガの血が色濃いヘザーの独壇場となったのは言うまでもない。
今日の体力の試験で、高得点を取ったヘザーは順位をふたつ上げた。
おかげでカサンドラとマノンに次いで、三位の位置についたのだった。
「このまま行けば、婚約者はヘザーさまに決定ですね」
アルフォンソの一途な恋心を知って、応援しているマノンは嬉しそうだ。
「アルの片思いが、やっと実りますわ」
ヘザーと仲良くなったカサンドラも、ニコニコしている。
談話室でくつろいでいた三人だったが、そこへ飛び込んできたのがコルネリアだ。
「王太子妃になるのはカサンドラよ! それより相応しい人なんていないわ!」
今日の試験で最低点を取ってしまったコルネリアは、おそらく次の試験を待たずに選考から外される。
それが分かっているのだろう。
美しい青い瞳には、すでに涙がたまっていた。