バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

19話 見えた復興の兆し

 クラーラの書く手紙は、王家が契約する船便で、直接キースリング国へ送られると決まった。

 可愛い妹に想い人がいる事実に打ちのめされて、使い物にならなくなったベンジャミンに代わり、ファミーが手続きをしてくれるそうだ。

 

「あまりキースリング国とは頻繁にやり取りをしていないから、少し準備に日にちがかかると思うけれど」

「いいえ、手配をしていただけるだけで、ありがたいと思っています」



 クラーラはファミーへ頭を下げた。



「エアハルト君がオルコット王国へ戻ってきたら、ぜひ紹介してちょうだいね」

「は、はい!」



 真っ赤になって頷くクラーラに、ベンジャミンがとうとう泣きだした。



「ああ、僕が目を離したばかりに……どこの誰とも知らない男に……」

「どこの誰かはもう分かっているじゃない。キースリング国ベルンシュタイン辺境伯家のエアハルトさんでしょ。クラーラさんのお相手として、申し分のない身分で助かったと思わなくちゃ」

「僕は反対だ! せっかくクラーラが王城へ帰ってきたのに! もうお嫁に行ってしまうだなんて!」

「お兄さま、まだそのような間柄ではありませんから……!」

 

 普段と違ってにぎやかな晩餐の場に、オーウェンだけが最後までニコニコしていた。



 ◇◆◇◆



 そんな晩餐があった日の翌朝、クラーラは早起きをして手紙を書いていた。

 それはエアハルト宛てのものではなく――。



(エアハルトさん宛ての手紙を、王家の船便で送ってもらえることになったと、フリッツさんに知らせなくちゃ)



 フリッツも長らく、音信不通のエアハルトを心配していた。

 こまめに修道院を訪ね、クラーラに状況を教えてくれたフリッツのために、クラーラも出来る限りのことをしたい。

 その思いがペンを走らせていた。



(エアハルトさんに何が起きているのかは分からないけれど、王家の名前がつけば、取りあえず確実に手紙は届けられるはず。問題はその先よね)



 クラーラたちの手紙を、エアハルトは受け取っているのか。

 受け取っていてなお、返事が出せない事態に陥っているのならば、その問題を解決しなくてはならない。



(そのときは、お兄さまだけでなく、フリッツさんにも相談しましょう。きっとキースリング国にいるエアハルトさんのお姉さんにも、協力を仰いでくれるわ)



 頼もしかったエアハルトの姉カロリーネを思い出し、クラーラは力強く頷く。

 何もできずに祈るだけだった見習いシスターの頃と違って、今は大きく一歩を踏み出せている。

 それがクラーラの自信にも繋がっていた。



(私、自分で考えて動けている。この調子で、もっと頑張りたい。何も知らず、護られてばかりだった私から、変わるんだ)



 クラーラは新しい便せんを取り出すと、次は院長のドリスに宛てた手紙を書く。



(王太后さまが亡くなられたことは、懲罰をどうするか決まるまで公にはしてはいけない。だからはっきりと書くことはできないけれど、私が王城で安心して暮らせているのは伝えたい)



 クラーラはさらさらとペンを滑らせる。

 エアハルトが予想した通り、クラーラの筆跡は伸び伸びとして生命力に満ち、美しいだけの特徴のない字ではなかった。

 クラーラを長らく指導してきたドリスにも、その書きっぷりから、王城で元気にしている様子が伝わるだろう。

 

(私が抜けたせいで、院長先生に困りごとは起きてないかしら。お兄さまに許可をもらえば、通いで孤児院を訪問できるかもしれない)



 二通の手紙を書き上げ、満足げにしていると、侍女たちがクラーラを起こしにきた。

 さっそく城下町へ配達してもらおうと手紙を渡すと、侍女のひとりが宛先を指さして言った。



「クラーラさま、城下町宛てでしたら番地図をお持ちしましょうか? 私どもで調べて、書き込んでもいいですが――」

「バンチズ? それは一体、どういうもの?」



 王城の知識に疎いクラーラは、素直に教えを請う。



「最近、城下町の一軒一軒の家に番号がついたんです。その番号が書かれているのが番地図で、それを調べて番号を宛先に記入しておくと、早く正確に先方へ手紙が届くんです」

「これまでは大通りから数えて何本目の道の赤い屋根とか、ざっくりした言い方で伝えていたんですよ。だから届け間違えも多いし、なにより遅かったんですけど、今は配達人がいるから便利になりました」

 

 それはもしかしなくても、エアハルトが始めた配達業に関する話だろうか。

 すでに王城の侍女にまで仕組みが浸透しているのが分かって、クラーラは自分事のように嬉しくなる。



「番地図を見てみたいわ。どうやって番号が振り分けられているのかしら」

「実物をすぐにお持ちしますね」

「一定のルールに基づいて決められているようで、分かり易いんですよ」

 

 実際に持ってきてもらった番地図は、城下町の地図をなぞらえていて、その上に色別の番号が割り振られていた。

 

「大きく東西南北に分かれているんです」

「それぞれの色の中にさらに区分があって、基本的に時計回りに数字がつけられています」

 

 侍女たちの説明を聞くにつれ、クラーラは興奮で体が小刻みに震えてくる。



(これはデレクが得意だった、ひっくり返したカードの配置の覚え方と一緒ね)



 デレクの知恵が活かされているのに感銘を受けて、クラーラは眼裏が熱くなる。

 いくつかアレンジが見られるのは、バリーたちの助言もあったのだろうか。

 何も知らない人が番地図を見ても、すぐに目当ての家が探し出せるようになっていた。



(そう言えば、バリーさんとそのご友人はみんな、絵合わせのカードゲームが得意なのだった。頭の回転が速くて記憶力がいいと、エアハルトさんも褒めていたわ)



 エアハルトが濁して伝えたせいで、イカサマの元締めだったバリーとその仲間は、クラーラの中ではカードゲームが大好きな大人たちという、柔らかい認識になっている。



(素晴らしいわ、デレクもバリーさんたちも! そして配達業を興した、エアハルトさんもフリッツさんも!)



 クラーラはいつぞやのエアハルトのように、感動して胸がいっぱいになっていた。

 番地図で見るだけでも城下町は広い。

 四つに分類された町中を、どれだけの手紙が行きかっているのかは分からないが、クラーラには復興の兆しのように思えた。

 そして意欲的なみんなの姿を糧に、もっと頑張りたいという気持ちが沸き上がる。



「クラーラさま、本日のお召し物は、どれにいたしましょう?」



 いつものように侍女たちが尋ねてくるが、今日のクラーラは昨日までのクラーラと違って意気込みにあふれている。

 侍女たちが選んで掲げ持つ、3着のドレスをじっくり見た。

 左、真ん中、右と順番に観察して、悩みだすクラーラ。

 ここで侍女たちも、クラーラの様子が違うのに気がつく。

 

「今日の予定は、大臣たちとの面会だったわよね?」



 その場に相応しいドレスの候補を、侍女たちは用意したはずだ。

 紺色、薄墨色、深緑色という、いつもよりもシックな色は、年配の大臣の心証をよくするためだろう。

 ではこの中から、どのドレスが一番ふさわしいのか。

 これまでクラーラが自分の服を選ぶ場面は少なく、子どもたちに着せる服を考えるときは基準が違った。



(子どもたちの場合は、その日の気温に合わせて暑くないか寒くないか、その日の作業に合わせて動きやすいか汚れてもいいか、を考えればよかったわ)



 では、大臣との面会では何を基準にするべきか。



(侍女たちはまだ知らないけれど、すでに大臣たちが知っている情報がある)



 それは王太后ダイアナの死だ。

 おそらく今日の面会も、故人ダイアナの処罰とベンジャミンの進退について、クラーラの意見を聞きたいのだろう。



(だったらドレスは薄墨色がいいわ。静謐と悲しみを表す色だし、話の主題とトーンもあっている)

 

 そう考えたクラーラは、薄墨色のドレスを選択した。

 いつもドレス選びを任されていた侍女たちは、積極的なクラーラに喜んで応える。



 髪の短い王妹の突然の帰還は、驚きと共に迎えられた。

 雲隠れしていたクラーラに、深い事情があることは間違いない。

 しかし若い侍女たちにとっては、正妃と側妃の確執は昔話すぎて、なんの抵抗を感じることもなくクラーラの味方についた。

 そして、いかにも王城での暮らしに不慣れなクラーラのため、誠心誠意お仕えしている。

 

「髪型も落ち着いたものにしましょう。装飾品はどうしますか?」

「そうね……煌びやかなものは避けたいわ」

「では小ぶりなものを見繕ってきますね」



 同じ年ごろの侍女たちによって、クラーラは王妹として恥ずかしくないよう仕立て上げられる。



「いつも、ありがとう。助かっているわ」



 そう言葉を残して部屋を出たクラーラへ、忠節を誓う侍女たちは最後まで美しく頭を垂れ続けた。

しおり