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5話 迫られた気配

 考え事の多かった晩餐が終わると、アダンがファビオラにこっそりと話しかけてきた。



「お姉さま、もしかしたらあの男の子を、見つけたかもしれません」



 ファビオラには、この続きが分かっている。

 すでに予知夢で見ていたからだ。

 だが不自然にならないよう、黙ってアダンの言葉を待つ。



「学校でお見かけしたレオナルド殿下の髪が、赤かったんです。年齢もお姉さまの1歳年上で、条件にぴったりだと思いませんか?」

 

 あの男の子を発見したと思って興奮しているアダンだが、実は襲撃を受けた日の記憶が曖昧なのだ。

 よほどショックを受けたのか、鮮明に覚えているのは、ファビオラの血の色ばかりだと言う。

 一緒に遊んだ男の子が殿下と呼ばれていて、オーズと同じ朱金色の髪色をしていたというのは、後でファビオラが教えた知識だ。

 だがそれを頼りに、アダンなりに男の子を捜してくれたのだろう。

 その気持ちが、ファビオラは嬉しかった。



(でも、その情報が仇になるのよ。私は王太子殿下に興味を抱いてしまい、例のお茶会へ喜んで参加してしまった。……ここはアダンに、王太子殿下はあの男の子ではないと、しっかり訂正しておかないと)



 ファビオラはアダンへ向き直り、誤解を解く。



「王太子殿下の髪色は、朱金というよりも、ストロベリーブロンドだと聞いたわ。ちょっと系統が違う赤だと思うの」

「でも髪色は成長するにつけ、若干変わるそうですよ。一度、レオナルド殿下にお会いしてみてはどうでしょう?」



 確かに、年齢が上がるにつれ、薄まったり濃くなったりすることがある。

 とくに先祖に強い色の髪の人がいると、変わりやすいと聞いた。

 だがファビオラは予知夢の中でレオナルド本人と会い、あの男の子ではないと確信している。

 どうやってそれを伝えようか悩んでいたら、続くアダンの言葉にファビオラは驚かされた。



「とても親しみやすい方でしたよ。すごく丁寧に声をかけてくれて――」

「ちょっと待って……アダンは王太子殿下を、校内で見かけただけじゃないの?」

「クラスメイトと一緒に廊下を歩いていたら、光栄にも呼び止められたのです」



 嬉しそうにしているアダンの前で、ファビオラの動きが止まる。



(どういうこと? 状況が違うわ……)



 アダンが教えてくれるのは、たまたま見かけたレオナルドの髪色が、赤かったという情報のみだった。

 口をきいたなんて、予知夢では無かった。

 

(でも、王太子殿下と対面したのは、アダンだけ……)



 ファビオラにはまだ、飛び火していない。

 逃げ切れる、と思ったが――。

 

「レオナルド殿下は、お姉さまのことをご存知でしたよ。淑女科から商科へ移った令嬢は珍しく、興味深いと仰っていました」

 

 今度こそ、ファビオラの血の気が引いた。

 良かれと思って行動したのが、かえってレオナルドの気を引いてしまったらしい。

 

「それで、お姉さまさえ良ければ、会って話をしたいと――」

「アダン、それは無理です、とお断りしてちょうだい!」

「え、でも……」

「王太子殿下とお知り合いになれる、貴重な機会だというのは理解しているわ。でも私は、安易な気持ちで学んでいるわけではないの。商科の課題はどこよりも難しいわ。寝る間を惜しんで猛勉強をしていると伝えれば、もう誘ってはこないでしょう」



 残念そうな顔をしているアダンには申し訳ないが、こればかりは引き受けられない。

 ファビオラはレオナルドに、会ってはならないのだ。



(あの執着が始まってしまえば、私はどこへも逃げられなくなる。お茶会の招待状が届けられるのは、私が16歳のとき――なんとか15歳までには商会を立ち上げて、いつでも出国できるようにしておこう)



 じわり、と迫られた気配を感じ、ファビオラは鳥肌の立つ腕をさすった。



 ◇◆◇◆



「国王陛下、私の政策案についてですが、取り下げようと思います」

「トマスよ、今は二人きりだ。昔のように名前で呼んでくれ」



 事実、国王ダビドが執務を行う部屋には、珍しく財務大臣のトマス以外は誰もいなかった。

 トマスによく似た銀髪を長く伸ばし、威厳のある口ひげと顎ひげを蓄えたダビドは、いたずらっぽく目尻の皺を深くする。

 

「宰相は外交の打ち合わせがあって、しばらくは戻らぬから大丈夫だ」

「では……ダビド。ヘルグレーン帝国と接する国境の防衛強化を、臣下として提案するのを止める。いつまでも宰相閣下と意見を戦わせていても、仕方がないからな。それよりも、娘のファビオラが一策を講じているから、私はそちらへ賭けることにするよ」

「おやおや、トマスから娘の話が出るとは。根っからの仕事人間が、ついに家族愛に目覚めたか?」



 ふふっと笑うダビドに、トマスは鋭い視線を投げる。



「私がそうならざるを得なかったのは、どこかの誰かが、財務大臣なんて忙しい役を押しつけたせいだろう?」

「汚職に縁のないトマスには、適役だったじゃないか」

「時期が悪かった。おかげでファビオラには、寂しい思いをさせてしまった。一人でエルゲラ辺境伯領へ行かせるなど、後継者のアダンを優先した結果だとしても、責められて然るべきだ」

「ああ、それは確かに。……お互い、当時はいろいろあったな」



 複雑に絡み合った大人の事情のせいで、ファビオラのような子どもにまで余波が及んだ。

 ダビドが思考の海へ沈みそうになったので、トマスは慌てて話を元に戻した。



「それでファビオラいわく、ヘルグレーン帝国が攻め込んでくる年も場所も、『知っている』のだそうだ」

「知っているとは、どういうことだ?」

「私にも分からんが、どうも話を無視できない。教えていないはずの情報を明示してくるのと、妙にファビオラの態度が落ち着いているのが気になる。本当に未来を『知っている』と言わんばかりで――」

 

 これ以上のことが説明できず、トマスは頭を振った。



「とにかくファビオラは、該当する年までに軍資金を貯めて、該当する場所の防衛を強化するそうだ。私もそれに加担する」

「ふんわりした話だな。それを信じるのか?」

「賭けると言っただろう? いざとなれば、グラナド侯爵領を切り売りしてでも金は作るし、ファビオラが護りたいという国境を私も護るさ」

「もう覚悟を決めているんだな」

「だからそうなったときは、ダビドが領地を高く買い取ってくれよ」



 トマスが笑顔で持ち掛けると、ダビドも肩を揺らして了承した。

 

「もちろんだ。親友の領地だ、管理だって私に任せろ。……そもそもトマスの政策を通してやれず、すまなかった」

「それは国王としては、言ってはならない台詞だ」

「だから個人として謝るよ。どうしても宰相には、頭が上がらぬのだ」



 その理由を知っているトマスは、いいよと手を振る。



「宰相閣下は最近、民の人気者だ。下手に逆らわないほうが賢明だろう」



 トマスが提案した政策に反対する宰相オラシオは、すぐに世論を味方につけた。

 民へ向けて、トマスの軍拡の要求を国が飲めば、これから重税が課せられる可能性があると警告したのだ。

 隣国のヘルグレーン帝国を、友好国だと信じて疑わない王都の民は、それを聞いて憤慨した。

 さらには、国境を護る辺境伯がトマスの義弟だから、金が流れるよう便宜を図っているに違いない等という、根も葉もない噂まで広がった。

 しかしダビドは、それが大きな間違いだと知っている。



「ファビオラ嬢の胸の傷は星型、その独特な矢じりを使うのはヘルグレーン帝国のみ。トマスとエルゲラ辺境伯がそろって、ヘルグレーン帝国の内政がきな臭い、と報告に来たあの日を思い出す」

「わざわざカーサス王国へ越境してまで諍いを起こすなど、相当焦っている証拠だ。おそらくファビオラやアダンと遊んでいたという男の子は、政治に影響を及ぼすほどの、かなり高い身分だったに違いない」



 トマスもダビドも証拠がないため明確に口には出さないが、今やヘルグレーン帝国内で、激しい皇位継承争いが勃発しているのを知っている。

 間違いなくファビオラは、それに巻き込まれたのだ。

 今後も同じような事件が起きるかもしれない、と警鐘を鳴らしたトマスだったが、宰相のオラシオは外交も担当しているため、ヘルグレーン帝国をいたずらに刺激するなと主張する。

 

「何を躍起になっているのだろうなあ。宰相はあの政策に関してだけ、トマスを異様に敵対視している」

「優秀な宰相閣下に目くじらを立てられるほど、私は愚鈍ではないつもりだがな」

「うむ……宰相は少年時代に神童と呼ばれ、学生時代にはすでに宰相補佐を務めていた男だ。我らには与り知らぬ深遠な考えがあるのだろうが、いつまでたっても腹の底が読めぬ」



 ダビドが腕組みをして、椅子の背もたれに寄り掛かる。

 国王として、うまく臣下を動かさなくてはならないが、オラシオの思惑ひとつ満足に推量できないでいるのが、不甲斐ないのだろう。

 トマスはそんなダビドを慮る。



「ダビドよ、宰相閣下はもっと単純な男かもしれんぞ。民を謀り、政権を意のままに操るより、もっと直情的な欲望を隠している気がする」

「ますます分からぬな。正直、妹のブロッサが何を好き好んで宰相に嫁いだのか、まったく理解できぬのだ」

「そりゃ……顔だろう?」



 オラシオは流麗な美青年として、若い頃に名をはせていた。

 トマスやダビドと同じく、すでに40代のはずだが、いまだその容貌は衰え知らずだ。

 素朴な顔つきの王妃ペネロペを、心から愛しているダビドは首をかしげる。



「顔ねえ……あんなに探れぬ男の側にいるのは、居心地の悪さしかないがなあ」

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