3話 前代未聞で異例
「今日から商科へ移動になりました、ファビオラ・グラナドです。どうぞ皆さん、よろしくお願いします」
淑女科から商科へのコース替えなど、前代未聞で異例なことだ。
それにも関わらず、満面の笑顔で挨拶をやってのけたファビオラに、クラスメイトたちは興味津々だった。
しかし、グラナド侯爵家の格の高さゆえに、声をかけるのを誰もが尻込みしている。
基本的に商科に在籍しているのは、男爵家や子爵家など、下位貴族の令息や令嬢たちばかりなのだ。
(上位貴族の令息や令嬢は、貴族間の交流を深めるため、紳士科や淑女科に進むのが当たり前だものね。それに比べて商科は男女共学、さらには完全なる実力主義だと聞くわ)
下位貴族の令息や令嬢たちは、税収だけで悠々自適な生活ができる身分ではないため、真面目に授業に取り組み、家業を盛り立てる術を学んでいる。
教鞭をとる先生たちも、それが分かっているから、容赦なく厳しい課題を出すらしい。
(ここで芽を出さなければ、お父さまには納得してもらえないでしょう。あの悲惨な将来を変えるために、私はいくらでも努力をするわ)
ファビオラは指定された席に着くと、授業が始まる前に、隣に座る令嬢へ会釈をした。
これから6年間、切磋琢磨する仲間だ。
さらに商科に関しては、相手が先輩にあたる。
頭を下げるのに、全く抵抗感はなかった。
「初めまして、よければファビオラと呼んでください。あなたのお名前をお伺いしても?」
「わ、私……シトリン・フーゴです」
シトリンは、黄色の髪と水色の瞳が明るい印象を与える、可愛らしい顔立ちの少女だった。
ファビオラに声をかけられて、歓びのためか、うっすらと頬を紅潮させている。
教えてもらった名前に思い当たる節があったファビオラは、さらに会話を続けた。
「もしかして、ご実家はフーゴ宝石商を営んでいらっしゃる? 私、パールを使った髪飾りのシリーズが、大好きなんです」
「うちのヒット商品です! ご愛顧いただき、ありがとうございます!」
緊張していたシトリンだったが、ファビオラが顧客だと分かると、途端にぱあっと顔を輝かせた。
誰しも、家業を褒められれば嬉しいものだ。
心の垣根がなくなったシトリンとファビオラは、あっという間に仲良くなった。
そしてファビオラが思っていたよりも、商科の先生たちは熱血揃いで、なかなかに身の引き締まる初日となったのだった。
◇◆◇◆
授業が終わり、ファビオラはシトリンと一緒に、商科の校舎前で迎えの馬車を待つ。
学生のための寮もあるが、二人とも王都内の屋敷から通学していた。
そうした者たちのために、学校の馬車回しには、風よけのある待合室が設けられている。
数人の学生に混じり、ファビオラたちもそこに腰を落ち着け、しばしの歓談を楽しんだ。
「ファビオラさんは、もっと高価な宝飾品を身につけていると思っていました」
グラナド侯爵家の財力を知っていれば、そう思うのも仕方がない。
フーゴ宝石商が扱っているのは、どちらかというと小粒な石が多い。
だが、それをデザインの妙で魅せて、一点ものの逸品として販売している。
ファビオラが愛用しているパールの髪飾りも、いきいきとした白ウサギが見事に表現されていた。
「単純に、石が大きければいいとは思いません。個性ある石の美しさを、最大限に引き出すフーゴ宝石商の技術に、私は惚れこんでいるんです」
まだ12歳ではあるが、ファビオラは侯爵令嬢らしく、いくつもの宝飾品を持っている。
中には、代々受け継がれてきたという、由緒正しいネックレスやイヤリングもある。
だが、少女がつけるには大仰すぎるし、格式ばっているせいで出番が少なく、結果として長らく宝石箱で眠っているのが現状だ。
「いざというときには、そうした大きな石のネックレスをつけるのでしょうけど、私にはまだ似合いません。むしろ今は、可愛らしくて心が弾む、フーゴ宝石商の品を好ましいと思っています」
「父も母も、それを聞いたら喜びます! 実は、この路線を継続するかどうか、迷っているみたいなんです。もっと鉱山に投資をして、大きな石を扱うべきかと悩んでいて……」
さすが商科で学んでいるだけはある。
すでに実家の事業計画について、シトリンは把握しているようだ。
「ぜひ今のままで、継続してもらいたいですね」
これから数年後、小粒の石をメインに扱うフーゴ宝石商ならではの、とあるアクセサリーが爆発的に売れるようになる。
それは恋人同士が、お互いの瞳の色の石を繋げて作る、この世にひとつのオーダーペアブレスレットだ。
出会ってすぐのレオナルドに、それを贈られた夢の中のファビオラは、取り扱いに大変苦悩していた。
だが、フーゴ宝石商の名前を、一躍有名にする商品なのだ。
「きっと、髪飾り以上のヒットが生まれますよ」
未来を知っているとは言えないので、謎の占い師のような台詞になってしまうファビオラだった。
◇◆◇◆
「あれから1年が経った。ファビオラは商科で、頑張っているようだな」
13歳になったファビオラと同じ食卓についているのは、学業成績を褒めてくれた父トマスだけではない。
12歳になって王都へやってきた弟アダンと、母パトリシアも共に晩餐を囲んでいた。
「なんの相談もなしに、淑女科を辞めるだなんて……どうしてトマスは、ファビオラを止めなかったのです?」
何も知らされていなかったパトリシアが、トマスを詰める。
淑女科から商科へのコース変更は、反対されるだろうと思っていたが、まったくもってその通りだった。
さっさと動いて正解だったと、ファビオラは胸を撫で下ろす。
納得のいっていないパトリシアと、ファビオラを認めてくれたトマスの問答は続く。
「ファビオラたっての希望だ。商人になれる能力があるのなら、それを活かすべきだろう」
「それは家を継げない次男や三男の話でしょう? ファビオラはグラナド侯爵家の長女として、しっかりと淑女の嗜みを学び、爵位のつりあう貴族に嫁ぐ準備をするべきですよ」
「君なら分かるだろうが、嫁いだ先によって、必要とされる知識は異なる」
エルゲラ辺境伯令嬢だったパトリシアは、広大な領地を馬で駆けるお転婆な少女だった。
それが今では、財務大臣として多忙を極めるトマスに代わり、グラナド侯爵領で収支報告書と睨めっこをする毎日だ。
「商科で学んだことが今後、ファビオラの役に立つかもしれないと言うのですか? それはまあ、否定はしませんが……」
ややパトリシアの勢いがなくなったところで、ファビオラが合いの手を入れる。
「お母さま、ご心配には及びません。ちゃんと淑女科で学ぶことも、同時に身につけていますから」
「同時に? それはそれで、大変なのではないの?」
予知夢のおかげで、18歳までに習う知識なら頭に入っている。
パートナーが必要なダンスなどの練習は残っているが、それはこれからアダンに付き合ってもらえばいい。
「お母さまの娘を信じてください。これでも私、やるときはやるんですよ」
「あなたが私に似て、活発なのは知っています。だけど、あんな事件があったから……」
パトリシアが頑なに、ファビオラを淑女らしく、大人しくさせようとするのは、その身を心配しているからだ。
3年前に、何者かの襲撃を受けて、ファビオラの左胸には生涯残る傷ができてしまった。
その事実に最も泣いたのは、何を隠そうパトリシアだ。
のんびりとしたエルゲラ辺境伯領ならば大丈夫だろうと、二人に護衛もつけず、自由気ままに遊ばせていた己の浅慮を悔いていた。
それ以来、ファビオラもアダンも、大好きだった自然豊かなあの町へは、行かせてもらえなくなったのだ。
(愛情深さゆえだと分かってはいるけれど、お母さまは少し過保護なのよね。きっとアダンも領地では、お母さまの目の届く範囲でしか行動させてもらえず、息苦しい思いをしたでしょう)
アダンは後継者教育という名のもと、去年までパトリシアと一緒に、グラナド侯爵領へ引きこもっていた。
学校へ通う年齢になり、やっと王都に出てこられて、ホッとしているかもしれないとファビオラは内心を慮る。
こうして素直にアダンを思いやれるのも、『朱金の少年少女探偵団』のおかげだ。
それまで、ファビオラは周囲の関心を奪った1歳年下の弟に嫉妬し、あまりよくない姉だった自覚がある。
(そうね、あれは私がまだ3歳のときだった――)