第2話 普通なのに奇妙な名前
入学式は桜の季節というが、実際のところその前日の在校生の始業式の時点で、ほぼほぼ葉桜状態だった。
今日は二週間の春休みが終わり、新しい学年が始まる日。
夏輝もまた、新しいクラスを確認すべく広間の掲示板の前の人だかりの一部となっていた。
「クラスは……三組か。お。賢太とはまた同じクラスか」
一応形ばかりとはいえ同じ天文同好会のメンバーだ。連絡は取りやすいに越したことはない。
一学年のクラスの数は七。
だいたい均等に割り振られているのか、去年と同じクラスだった生徒は五人しか確認できなかった。
他のクラスの生徒で名前や顔が一致するのはほとんどいない。
とりあえず教室に向かうことにする。
「よぉ、夏輝。今年も同じクラスだな」
二年三組の教室に入って最初に声をかけてきたのが賢太だった。
佐藤賢太。一年の時に同じ図書委員で仲良くなった。
男子で図書委員というのは自分は置いておいて珍しいとは思うが、本人曰く『サボっても怒られないと思った』というように、実際ほとんど仕事しなかった。
まあ文句を言うつもりはなかったが。
「今年もよろしくな、賢太」
黒板に貼られている席順で自分の席を確認する。
最後列、廊下側から二列目。まあ悪くない。
とりあえず移動してカバンを置く。
「面白いことになってるぞ、お前の隣」
「隣?」
目のいい夏輝だが、さすがにこの距離で黒板の席順表の名前は見えない。
かといってもう一度黒板前まで行くのも面倒だった。
「あの那月さんがお前の隣なんだと」
「……ああ、なるほど」
他のクラスに欠片も興味のない夏輝でも、珍しく名前を知っている数少ない生徒だ。
別に接点があったわけではない。
理由の一つは、北欧系クォーターだとかで髪や瞳の色が日本人離れしていて、かつ非常に整った容姿をしていることで、他クラスにも評判になるほどの美少女だという点。
そしてもう一つの理由が――名前だった。
別に普通の名前に見える。
ただ、夏輝にとってのみ、特殊な名前になってしまうのだ。
姓と名が逆だが、完全に音が同じ。
普通に姓だけ並んでいても気付かない。
名前だけでも気付かない。
ところが並ぶと――非常におかしなことになるのだ。
「……先生も少しはクラス替えの際に配慮してもらいたいもんだよな」
姓で呼ぶ人もいれば名で呼ぶ人もいるだろう。
だが、そのどちらでも――反応しそうになってしまう。
去年はクラスが違ったから問題なかったが、今年は相当に紛らわしいことになりそうだ。
もっとも、向こうが有名人だったから夏輝でも知っていたが、那月がこっちを知ってる可能性はないだろう。というか、他のクラスで知られているはずはない。
中学までとは違い、目立たないようにひっそりと高校生活を送る。
それが夏輝の目標でもあるのだ。
そうしている間にクラスに次々と人が入ってきた。
当然――夏輝の隣の席も当の那月明菜がやってきた。
「お隣さんだね。よろしく、なんだけど……。えっと、
席順表で見たのだろう。
難読漢字などの名前ではない以上、他の読み方などない。
「ああ。秋名……夏輝だ。奇妙なことになってるが、よろしく」
そういって、夏輝は初めて『那月明菜』を正面から見て――思わず息をのんだ。
容姿端麗であることは噂で聞いていたので理解していた。
ただ――文字通りの意味で見ると聞くとは大違いというか。
染めたものと違う、自然で艶やかな栗色のセミロングの髪はハーフアップになっていて、両サイドにきれいに編み込まれたものが彼女の几帳面さを表しているように思える。
そして肌の色は日本人離れしてるとまでは言わないまでも、相当に白く、そしてシミ一つない。
すっと通った鼻梁と細い顎、少し小さめの顔とわずかに桜色に思える唇は、それぞれ理想的ともいえる形だ。
何より特徴的なのはその瞳の色。
一瞬普通の日本人のように見えるが、よく見ると焦げ茶色ではなく、深い緑色の瞳は、彼女の神秘的ともいえる美貌を際立たせていた。
「おい、どうした夏輝」
「あ、いや。なんでもない。よろしく、那月さん」
「……あれ。その声……?」
「なんだ?」
彼女は額に指を当て、俯いて何か考えるようにしている。
「……あのさ。もしかしてなんだけど、秋名君、春休みの夜に特別棟の屋上にいなかった?」
「ん? ああ……春休みに許可取って夜に屋上いたことあるけど……なんで那月さんがそれ知ってるんだ?」
知ってる可能性があるのは、許可を取った顧問の星川先生と、名目だけの同好会の会員である賢太だけのはずだ。
「ほら、覚えてない? でっかい音楽鳴らして助けてくれたの」
「音楽……ああ、あの時の!」
なにやらただならぬ雰囲気だったから、スピーカーで大音量の音楽をかき鳴らしたあの時か。
近所迷惑だったかもしれないと思いつつ、とりあえずいいことをしたという自己満足で終わっていた話だった。
まさかあの時の女性が同じ高校の生徒で、しかも二年からのクラスメイトで、さらに学年でも有名な那月明菜だとは思いもしなかった。
「あの時はホントにありがとう。助かったわ」
そういうと、彼女は夏輝の手を握ってぶんぶんと振る。
その様子に――彼女に注目していたクラスの大半の男子生徒から、なにやら負の感情――具体的には嫉妬めいた――が込められた視線を浴びて、夏輝はとても居心地悪そうにしていた。