桜子(毒じゃない)
トイレから戻ってきた桜子は実に美しい所作で床に正座した。
「ただいま戻りましたわ」
……。
俺は唖然として桜子の顔を見つめた。
「? どうかなさいました?」
「ち、違う! やりすぎ!」
やっぱり作者は加減というものを知らないらしい。
いくらなんでも変わりすぎだ。
「やりすぎ、とはどういうことでございましょうか晶午さん」
晶午さん!?
晶午さんってなに!?
「口調だよ! 普通でいいの普通で」
「普通、ですか……」
桜子はしばらくフリーズした。
俺は固唾を飲んで見守った。
「……ん? どうしたの晶午。私の顔に何かついてる?」
おぉ……。
これは、どうなんだ?
まだ判断しかねる。
毒舌は残っているかもしれない。
俺が訝しむようにじっと見ると、桜子は小首を傾げた。
「? まぁいいや。あ、そんなことより昨日はほんとにありがとうね。私を庇ってくれて」
俺は疑うような目を向けたまま答えた。
「別に。庇ったってかボコられただけだし」
「そんなことないよ。……かっこよかったよ」
桜子はそっぽを向きながらボソッと呟いた。
これ、いけたかもしれない。
毒舌消えてるっぽい。
勝ったな。
これからは作者と登場人物が協力して作品を創り上げていく時代だ。
なあ作者、今まで色々あったけどこれからは仲良くしようや。
「あ、そうだ! 最近話題の映画のチケット、ちょうど二枚持ってるんだ~。ナンパから助けてもらったお礼も兼ねて、一緒に行かない?」
桜子はカバンから二人分のチケットを取り出した。
これがもし桜子(毒)だったら
「あんたみたいなロクでなしのクソ野郎は映画でも見て性格を矯正しなさいよ」
とかなんとか言ってくるはずだ。
俺は桜子(毒じゃない)からチケット受け取った。
うげ。
最近CMでやってるゴリゴリの恋愛ものだ。
んー。
まぁホラーよりいいか。
「別に怖がりなわけじゃないからな? ホラーなんて楽勝だからな?」
「え、誰に言ってるの? まぁいいけど。今週の土曜ね」
「わかった」
桜子(毒じゃない)の様子見のつもりで素直に了承した。
場面が進み、土曜日になった。
朝から桜子が家に迎えに来た。
「おはよ~。いい朝だね」
いい朝だね、か。
桜子(毒)なら絶対言わないな。
それから二人で映画館を目指した。
時間が進んでいきなり目の前に映画館が現れるわけではなく、道中もちゃんと俺の意思で行動できた。
多分デート回だから道中も描写するのだろう。
映画館はデカめのデパートみたいな建物の中にある。
俺たちは時間になるまで適当に店を見て回った。
「わ~見て見て! これ可愛い~」
桜子は服屋で気に入った服を見つける度、自分にあてがって楽しそうに俺に見せてきた。
これが桜子(毒)だったらどんな振る舞いを見せるだろうか。
……。
桜子(毒)だったらあり得ない行動を桜子(毒じゃない)がする度に俺の心は乱された。