case8.ご都合主義信者
ゴトッ
唐突だが観葉植物を買った。全長一メートルくらいあるガジュマル。なぜガジュマルかって?名前の語感が良いからに決まってる。ホームセンターで適当に選んだ。特に拘りは無い。強いて言えば一枚一枚の葉っぱが大き過ぎるのはあまり好みではなかった。ちょっと圧を感じて不気味に思えるから。小さな葉がたくさんついている方がいじらしくて良い。
ジャッジャァッ
パパパ、ポタ、ポタ…
さっと水をやる。葉の一枚一枚に水滴が乗り、土が濃い茶色に染まる。
人を小馬鹿にしてばかりの俺でも、植物を愛でようという気持ちはある。緑を見ていると心が落ち着く。人のように難しく小賢しいことを考えず、ただどっしりと根を下ろして天に向かって高く伸びる。こんなに純粋な存在がいていいのだろうか。
じぃっ
ずっと見てられる。それぞれの葉にも違いがある。色、筋の多さ、形…
土を見るのも良い。この下にどんな根を張っているのだろうかと、想像するだけでも面白い。
それに…
ダダダダダッ
ガラァッ
「ここだ、ここだ!高遠カウンセリングって、ここですか?!ですよね?!」
ちっ
邪魔が入った。不機嫌な顔を崩さずに振り向く。
若い男が一人、チェック柄のシャツに鼠色のズボン、スニーカー。ぶよぶよのリュックを背負って、何やら興奮した様子で立っている。
はぁー
もう面倒臭い。ただでさえ俺の内省を阻害されたのに、見るからにやる気を出させない容姿。もっとシャッキリしてから来てくんない?
「はぁ、そうですが、何でしょう?」
「やっぱり!あの、あの、ここで…」
ゴソゴソ
バッ
リュックから取り出したそれは、ある雑誌の一ページ。
「天内先生の憂鬱気分を吸い出していたのって、本当ですか?!」
「はぁ?」
二十八歳男性。フリーター。地方の大学を卒業後、東京に出てIT企業に就職したが、半年も経たず退職。人間関係のもつれがあったらしい、知らんが。以降はアルバイトで食い繋ぐ日々。
ある日たまたま通りがかったギャラリーで、何の気なしに足を踏み入れたところ、天内晋弥の作品に衝撃を受けたという。
「ほら、これもこれもこれも!どれもが僕の琴線に触れたんです!ね!先生のカウンセリングをしてたあなたなら、分かってくれますよね!」
「ええ、そうですね。」
知らんて。どんな作品かも覚えてないて。
「僕と同じ名前だったのは運命だったんですよ!きっと先生のご意思が僕を導いてくれたんです!何も上手くいかなかったこの僕を!先生は神様です!」
きゃー。嫌だー。相手するの疲れるー。もう疲れるー。
”しんや”なんてよくある名前だろ。思い込みも甚だしい。
それで、天内にどっぷりのめり込んでからというもの、賃貸の家を出てホームレスになり、バイト代を貯めに貯めて作品を買ったという。それだけにとどまらず、闇金から借金までして買い集めているそう。飾る家が無いから、貸トランクルームに入れておいて、時々眺めては元気を貰っているとのこと。理解に苦しむ。
さらに信仰は過熱し、天内の素性を詳しく知りたいと思うようになり、SNSの常時チェック、インタビュー記事のスナップは勿論、天内の会社やギャラリー等で待ち伏せして尾行し、行動パターンをまとめるのも日課になっていたという。所謂ストーカーだ。アイドルや芸能人ならまだ分かるが、ただの画家にそこまでやるかね…?という疑問しかないが、まぁそれ以上は、ちょっと、考えないことにした。
悩みは、天内の死。それはそう。信奉していた存在の訃報を知った時は、心を引き裂かれんばかりの苦痛だったらしい。後追いしようと思って川に飛び込んだが、その川が浅くて死ねなかったらしい。残念。それと天内の葬儀場所を何とか嗅ぎ付けて参列しようとしたが、受付で親族に弾き返されたそう。あわや警察沙汰という所までいったらしい。怖いよぉ。
それで心にぽっかり穴が空いた加藤は、亡霊のように天内の作品や記事を集めて眺める日々を送っていたが、ある記事の一文が目に留まったという。
『憂鬱気分を吸い出したり、逆にくれたりするクリニックがあるんですよ。冗談みたいですけど、本当なんです。まぁどことは言えないんですが。』
おい。ここのことを外で話すなって言ってんだろうが。こういうのが来ちゃうから。
「親族には近づかないよう念書を書かされてしまいましたから、代わりに先生が懇意にしていたクリニックからなら、何か先生の新しいお話が聞けるかと思って!それに、鬱を出したり入れたりできるなんて、流石先生!目の付け所が違うなぁ…!」
「それ、信じるんですか?まだ自分の目で確認してもないのに?」
「?」
キョトン
加藤は迫真のハテナ顔。
「先生が仰ってるんですよ?信じなくてどうするんですか?」
やべえ、こいつ人間じゃねぇ。
「やっぱり現代人は、信じる心が希薄なんですよ!そんなんだから、真に美しいものにも気づけないんですよ!先生はもっと、もっともっと評価されるべきアーティストだった!なのに、世界はそれに気づかなかった!先生が、死ぬまで…!うぅ…」
ズビッ、ズビィィィィィィ
うげぇ。鼻啜り過ぎだろ、ばっちい。
「とにかく、それで先生の行動パターンを調べたら、ここのクリニックかなって分かったんです。本当に吸ってくれるってレビューもちらほらあるみたいですし。で、で、で!本当なんですよね?!その、先生がここに来てたってのは?!」
「えぇ、まぁ、はい。」
「やっぱりだぁ!え、じゃあじゃあ先生はここで、どんな話をされたんです?!作品の話とか、ありましたぁ?!」
「いえちょっとそれは、守秘義務がありますので、何とも。」
だるいので守秘義務の盾を構える。
「えぇー?!ケチだなぁ!いいでしょそれくらい!教えてくださいよぉ!」
俺は言いたくねぇって言ってんだろうが。大人しく帰れよ。
こんな感じで俺は天内の話をするのを拒んだが、加藤はそれでもしつこく聞いてきて止まらない。あまりのくどさに辟易してきた。
「もう、これ以上は無理です。営業妨害で警察を呼びますよ。」
「えぇー?!何でぇ?!」
「何でではないです。どうしますか?」
「…ちっ、いいよもう、分かったよ。」
舌打ちすんなドカス。
「え、じゃあアレは?憂鬱気分出したり入れたりは?出来んの?」
タ、メ、ぐ、ち!
いかん、キレそう。
「…出来ますが。」
「へー。じゃあ、やってみてよ…え、待って待って、入れるのもできんだよね?」
「はい。」
「え!あ、じゃあ、じゃあじゃあ、先生の鬱、僕に入れてよ!できるんでしょ?!」
「えぇ…?できなくは、ないですが…」
あれ、あいつから吸ったのっていつだっけ。残ってたかな…?怪しいぞ。
「ちょっと…うーん…」
「ねぇお願い!先生の苦悩を味わう機会なんて二度と無いよ!お願いお願いお願い!金払うから!入れてもらったら帰るから!おねがぁい!」
ピクッ
帰るって言ったな?正直、もうこんなの相手にしたくない。適当に入れて帰ってもらおう。
「分かりました。そこまで仰るなら良いでしょう。準備しますから、お待ちください。」
「マジっすかぁ?!キャッホウ!待っててね先生!今僕も、その境地に行きますからねぇ!」
保管室。
棚を搔きわけて探すが、最近は入れてばかりだった天内の鬱ボールは無かった。結構前に吸った記憶はあるが、それも消失したようだ。
「うーん…もう、これでいっか。」
パシッ
近くの手頃な大きさの鬱ボールを手に取る。内容も確認しない。別にいいだろ。人の心なんて分かるはずないんだし。
「お待たせしました。それでは目を閉じてください。」
「え?!何ですかそれ?!汚い!」
「これが天内先生の鬱で、具現化したものになります。」
「えぇぇぇ?!これがぁ?!本当に?!ちょっと、近くで見せてくださぁい!」
「駄目です。座って、目を閉じてください。」
「いいじゃんちょっとくらい!」
「駄目です。」
「えぇー?」
ふぅー
「目を、閉じろ。」
自分でもびっくりするくらいドスが利いた声が出た。
「あ、はい。」
加藤も大人しくなって目を閉じてくれた。やれやれ。
ズッ
ズズズズズズズ
鬱ボールが解け、靄に戻っていく。それが次第に加藤を包み込み、内に入っていく。
信者なんてロクなもんじゃない。聞き入れる耳を持たない人間ほど粗暴な存在はいない。これだけが正しく、他は正しくない、というノイズキャンセリングイヤホンを装着してしまっているから、他の人に肩をぶつけて歩き回っても何も気にならない。
ただそういう人間は御しやすくもある。耳障りの良い言葉で釣っていれば、勝手にはしゃいで何かと理由を作り上げて、餌に食いついてくれる。他の人、よく聞こえる耳を持った人ならきちんと判断して見向きもしないような餌に。
人間は賢く生きないといけない。だから、賢くないやつは踏み台になって当然なのだ。せいぜいお前も天内と同じように、俺以下の馬鹿であってくれよ、な。
ズズッ
鬱ボールがなくなった。
「どうですか?気分は。」
「…」
「加藤さん?」
「…あ、はい、ちょっと…頭の中がまとまらなくて…」
にぃっ
「それはそうでしょう。なにせ天内先生の苦悩なんですから。解釈するのにも時間がかかるはずです。」
「そうか…これが…先生の…?」
「ええ、ええ、そうです。また天内先生の苦悩を味わいたかったら、ぜひいらしてください。ではでは、お大事に。」
勝手にストーリーを作るがいいさ。誰の何かも分からない憂鬱にな。せいぜい苦しめ。
ぐいぐい
ぼーっとする加藤をなるべく丁寧に退出させた。
はぁぁぁー
溜息をつく。肩を回す。背伸びをする。
「本当に疲れるわぁ、あーいうの。せめて週一とかだったらいいけどなぁ。」
ガジュマルを見る。さっき見た時と同じ姿勢で立ち尽くしている。
「お前はいつまでもブレなさそうだな?」
それからしばらくして。
ネットニュースにこんなのが飛び出てきた。
『期待の新星、加藤晋也!新人創作コンペティションで大賞獲得!』
『「僕は天内晋弥先生のご遺志を継ぎ、現代アートに革命を起こします。先生が成しえなかった夢を、きっと実現させます」と意気込み…』
「…マジィ?」
人生、何があるか分からない。
そんな人間の紆余曲折の中、ガジュマルは今日も凛と佇む。