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第26話 ぶんちゃんの意気込み。(和の視点)

 ひよさん、稲継さんと別れてしばらく通学路を歩き続けていると、前方に小さく背中を丸めた後ろ姿を見つけた。
 僕はバレないように慎重に距離を詰め、その背中を軽く(たた)く。
「ひいっ!?」
 ()()()()()が身体を強張(こわば)らせたまま、ゆっくりと首を後ろに回転させる。僕の顔を確認すると、その瞬間に全身の力が抜けたかのように、大きなため息を吐いた。
「なごさんじゃないかよお。勘弁してくれよお」
 ぶんちゃんが不満げに口を(とが)らせた。
 郷瀬(ごのせ)文斗(ぶんと)――ぶんちゃんとは、席替えでたまたま僕と前後の席になったことで仲良くなった。席の近い者同士で、少しずつ人間関係が増えていった。今では()()()()こと和田山(わだやま)昂一郎(こういちろう)や、()()()()こと挙田(あぐた)(あき)と四人で話すことが多くなった。
 同じ中学の知り合いが居らず、友達作りに()けていない僕としては、とてもラッキーだった。
 並んで歩き始めた僕たちが古びた家屋の前を通りかかった時、生け垣の向こうから突然、激しい犬の()え声が鳴り響いた。予期せぬ出来事にぶんちゃんは「ひゃっ!」と声を上げ、持っていた本を手から滑り落とした。
 歩道に落ちた本のページが、偶然にも開いたままになっていた。そこにはチープなタッチのイラストが描かれていて、ぎこちない男女のキスシーンが目に飛び込んでくる。慌てて本を拾おうとするぶんちゃんの姿に、僕は吹き出しそうになり、必死になって笑いを堪えた。
 ぶんちゃんが本を拾い上げる時、表紙のタイトルがはっきりと見えた。
『ラブコメの主人公になるための35の法則』
 ついに僕は限界を迎え、ぶんちゃんに申し訳ないと思いつつ、大きな声を出して笑った。
「俺は、この合宿に賭けてるんだよお。女子とお近づきになりたいんだよお」
 ぶんちゃんが打ち明けた。
「え? 気になってる女子でもいるの?」
 ぶんちゃんは周囲を見渡し、誰も近くにいないことを確認すると、小声で僕の耳に(ささや)いた。
「俺は最近、三谷(みだに)さんのことが気になってる。チャンスがあれば合宿中に仲良くなりたいんだよお」
 三谷さん!?
 あの!?
 ぶんちゃんの言葉に、僕は思わず耳を疑った。三谷さんと言えば、猪篠(いざさ)さんや横須(よこす)さんとともに、クラスで有名なギャル軍団の中心人物だ。地味で控えめなぶんちゃんが、そんな華やかな存在に(おも)いを寄せているとは、まったくの予想外だった。
「そうだよ。あの、三谷パトリシアさんだよお。俺は彼女にギャップ()えしてしまった」
 三谷パトリシアさんは、その名前が物語る通り、海外にルーツを持つ生徒だ。褐色の肌と金色に輝く髪が印象的で、高身長で抜群の体格を誇っている。けれど彼女の存在感はその外見のみならず、常に表情を崩さず、冷静で、余計なことを一切(しゃべ)らない風格にあった。彼女はギャルというより、クラスの女王と呼ぶに相応(ふさわ)しい。
「三谷さんは、普段デーンと構えていてカッコいいけど、一度俺が(しゃべ)り掛けた時にデレの要素を見たんだよお」
「何それ。デレの要素?」
「彼女、ああ見えて可愛(かわい)い物が好きなんだよお。俺は彼女がつけてるリストバンドに描かれたファンシーなキャラクターを見逃さなかった。だから言ったんだよお。『それ三谷さんみたいで可愛(かわい)いねえ』って」
「ふんふん」
 と、僕は相槌(あいづち)を打った。ぶんちゃんが、女子にそういうことを平気で言うタイプだと知り、驚いた。
「そしたらさ、彼女いつもとは違った感じの態度で『お、おう』って言って、恥ずかしそうに顔を背けたんだよお。これはもう、デーンとしてるのにデレ、つまり()()()()なんだよお」
「ごめん、ぶんちゃんが言ってることが一つもわからない。デンデレって言葉も聞いたことがない」
「俺、説明が下手だから」
「ちなみに、そのキャラクターって何だったの?」
「なごさんは知らないかもなあ。グロイヤーラビットっていう可愛(かわい)いキャラで、俺の妹も好きなんだよお」
 ……グロイヤーラビットなら知っている。パンパンに膨れ上がってドロドロに溶けた目と、血の滴る牙と、垂れ下がった刃物のような耳が特徴的なウサギのキャラクターだ。二年ぐらい前、女子中学生の間で大流行(だいりゅうこう)した。なぜ知っているかというと、()()()()()()で僕もグッズを持っていたからだ。
 三谷さんはぶんちゃんに、()()()()に似てると言われたのか……。それはもう、話がまったく違ってくる。
「とにかく、俺はチャンスの目はあると思ってるよお」
 目は溶けてなくなってるんじゃないかな、と思ったけれど、僕はそれをぶんちゃんに伝えることはできなかった。
 学校に着くまでの間、ぶんちゃんは僕にずっと、三谷さんの魅力を身振り手振りで熱っぽく話し続けたのだった。やれやれ。

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