遠征の壱
「テラ先生のところに行って、なにするの?」
ゾウさんバスの車内で、隣に座るジャッカル殿が寺川殿のラケットを抱きしめるわしに話しかけてきた。
ジャッカル殿が聞いておるのは、もちろんひまわり軍への反撃方法についてのことじゃろう。
前の席にはカロン殿とよみよみ殿。前の席に座る2人も、座席に膝をつく形でわしらの方に体を向け、興味津々な瞳をこちらに向けておる。
しかし、わしはその問いに対して、首を横に振った。
あの後――
園長室での2回目の説教を乗り越え、その後、ショート暇タイムが終わる頃にわしは教員室へと出向いた。
母上と寺川殿に連絡を入れるためじゃ。
でもあのような事件を起こした直後だけに、先生殿たちがえらく警戒しておった。
事件の当事者の1人たるわしが単独で寺川殿の長屋に赴こうというのじゃ。
自分でも怪しさ満点だったと思う。
もちろん、わしの願いは園長先生殿に却下された。
誰かの家に遊びに行くなら、1度一軒家城に帰ってから親同士で連絡を取り付け、親の引率を備えた上で相手の家に行かねばならん。
わしらのようなわっぱが事件や事故に巻き込まれないために、この幼稚園に布かれた分国法じゃ。
これは当然のルールだと思うし、わしも今までその法に背いたことはない。
もちろんわし以外の誰かが今回のわしのように送迎バスを乗り換えたなどという話も聞いたことがない。
なので電話の使用を請願する時に、わしは1つの嘘をついた。
名刀“全国大会八強”の一振り。これを寺川殿の元に返しておきたい、と。
あの名刀を足軽組拠点に置いておくと、何かの拍子にわしらが壊しかねないから、と。
寺川殿の大切な思い出を壊したくはない、と。
あと本当は事情を知ってるけど、それを知らないふりしつつ――寺川殿は今体を壊して辛いだろうから、これを寺川殿に持たせてあげたい、と。
これで絶対、寺川殿が元気を取り戻すはず、と。
ふっふっふ。
5歳のわっぱが先生殿の神話時代の思い出に配慮をするということは、教育に携わる先生という職業からすれば、道徳的で模範的な行動なのじゃ。
一般的な大人から見ても、それはそれは涙が出るほどに感動的じゃろうて。
わしとしては(槍や刀ならまだしも、たかがラケットに何を重苦しい)とか思ってしまうけど、それを大切にしようとしておるわしを大人たちが止められるわけがあるまい。
まぁ、寺川殿のラケットをわしのラジコンや電気ポットに置き換えれば、今のわしでも十分理解できるしな。
あと5歳のわっぱであるわしが眼に涙を浮かべながら、そんな複雑な嘘をつくとは思ってもおらん。
チョロイもんじゃ。
普段のわしを知っておる寺川殿があの場にいたらこの嘘もばれちゃうような気もするけど、いかんせんその名探偵が自宅謹慎なのだから仕方あるまいて!
あと、百歩譲って、寺川殿が今現在多少気落ちしておるとして――
先生殿たちとしては、そう簡単に寺川殿の元気が戻ってもらいたくなかろう。
どっちかってゆーと寺川殿にはしばらく凹むぐらい反省しておいてもらいたいぐらいなはずじゃ。
でもこの時のわしの純真無垢な瞳に対して「いや、あの人にはしばらく反省してもらわないとね」なんて非道徳的な反論なんぞできようはずもない。
いわば先生殿たちはわしを説得すること叶わず。手詰まりじゃ。
園長先生とその仲間たち? どんまい!
そんな感じでわしは泣きそうな眼で訴え、先生殿は引きつった表情とともに電話の使用を許可してくれた。
まず母上に連絡し、寺川殿に渡す物があるから他のバスに乗って寺川殿の長屋に向かうと伝える。
ついでに寺川殿の長屋はバスを降りる地点からジャッカル殿の居城まで行く途中にあるから、ジャッカル殿親子にそこまで連れて行ってもらうということも……。
もちろん母上は納得しなかったけど、夕げの頃にでも迎えに来てほしいことと、その時また連絡を入れるということも加えて伝えた。
わしが寺川殿の長屋に長居する場合。
母上は寺川殿の長屋の所在を知らないだろうから、わしは寺川殿に同伴してもらいながら、ジャッカル殿の城の近所にある大型ショッピングモールの北口に行く。
そこでわしの受け渡しを行う感じじゃ。
またはわしが寺川殿の長屋を早々に退いてジャッカル殿の城で遊んでいた場合。
この場合は母上に直接ジャッカル殿の城に迎えに来てもらうといった感じじゃ。
あと最後に、その旨を母上の方からジャッカル殿の親に伝えておいて欲しいと。
ここはわしの問題ではなく、母上同士の付き合いに関わる問題じゃな。
自分の子を他の城に預ける時の挨拶みたいなのが親同士には必要なのじゃ。
ここまで細かくお願いしたことで、逆に母上はわしの願いを断れなくなった。
あたりまえじゃ。わしが大人の視点から、各所に配慮しておるからな。
ふっふっふ! 母上もチョロイ!
んで寺川殿。
寺川殿の携帯電話の番号は、事前に保健室のおねえさんから聞き出しておいた。
先生殿たちが教えてくれないと思ったからじゃ。
されど電話で会合を取り付けようとしたら、寺川殿は午後から用事があるとのことじゃ。
おいおい……自宅謹慎中じゃろ……? と。
でも、半分脅しながら約束を取り付けたから大丈夫じゃ。
「僕の訪問断ったら、全国8強の思い出がどうなっても知らないよ?」って脅したら、簡単に屈しおったわ。
ひゃっひゃっひゃっ! ここもチョロかったわ!
でも……
電話を切る直前に、「私んちに来た後、お前の身がどうなっても知らねぇからな?」という寺川殿のひっくい声が聞こえてきたから、出会い頭に土下座する準備もしておる。
うん、完璧じゃ。
そんでわしはそのような計略を巡らせ、ゾウさんバスに乗ることを許可された。
今このバスに乗っておる先生殿――確かもも軍の先生殿だった様な気がするけど、怪訝な表情でこっちをちらちら見ておる。
まぁ、わしが本来乗るのはトラさんバスだから、注目されるのは当然だがな。
帰城のバスを独断で変え、本来乗るべきであったトラさんバスを笑顔で見送り、意気揚々とゾウさんバスに乗り込むどころかその一角を我がもの顔で陣取る5歳のわっぱ。
完全に事件じゃ。
本来ならバスの待合場に来た母上がわしの不在を知り、お巡りさんに捜索願を出すほどの事件じゃ。
でもそうならないために各所に連絡もしておいたし、大丈夫じゃ。
唯一やっぱ先生殿たちも信用出来たもんではないので、このバスに乗る先生殿も警戒しておく必要があろう。
あとこのバスにもひまわり軍のやつらが数人乗っておる。
他にも車内のほとんどのわっぱが不審者を見る目でわしのことを見ておる。
やつらのうち、どこのだれが情報を漏らすか知れたもんではない。
漏洩は防がねばならん。
「静かに。ここには敵が多い」
なのでわしは低い声でジャッカル殿を諌める。
あと寺川殿の長屋を訪れる理由は、単に彼女の話を聞きたいだけじゃ。
それ以上のことは何もない。
でも園庭の倉庫裏で雄弁を語ったわしは、ジャッカル殿たちからさぞかし羨望のまなざしを受けたのじゃろう。
正味な話、あの時は血気にはやるジャッカル殿たちをとりあえず収めておこうと思っただけで、今後の具体的な計画など何も考えておらん。
にもかかわらず、ジャッカル殿たちは今瞳を輝かせながらわしのことを見ておる。
さて、どうしたものか……
でも、その前に……
座席に膝をついてこちらを見ておる前の席の2人。
カロン殿とよみよみ殿に一言申し上げたい。
おいおい。車が走ってるときは行儀よく座っておれ。
この状態で事故が起きても、そんな体勢しとると保険おりないぞ?
と、1人の大人としてそこら辺をしっかり注意しておきたい衝動にかられてしまうな。
でも無理じゃ。
今のわしは、よみよみ殿が怖いのじゃ。
だからよみよみ殿に意見する事などできないのじゃ。
まさかあんな武力を持っておったとは……。
つゆぞ考えなかったけど、よみよみ殿に対するわしの印象が今日1日でひっくり返りおったわ。
うーん。怖い……
どのような状況になったらよみよみ殿が怒りを感じ、そのこぶしが狂喜乱舞することになるのか……?
それを知っておかねば、今後わしの身に危険が振りかかる可能性もある。
でもよみよみ殿は普段物静かなおなごじゃ。
だからこのわしの洞察眼をもってしても彼女の武力発動条件に予想をつけることができないのじゃ。
いつ爆発するかわからないこのドキドキ感。
火縄銃の火薬を懐に忍ばせておきながら狼煙の火を焚いてる気分じゃな。
でもでも……
逆にあかねっち殿はわかりやすい。
普段からよくしゃべるし、あかねっち殿の性格や趣味嗜好は読み取りやすい。
なのでどういう状況ならあかねっち殿が怒るのか、わしはそれなりに把握しているつもりじゃ。
まぁ、あかねっち殿も比較的温和なわっぱじゃし、よみよみ殿が声を荒げている場に出くわしたこともない。
それと、現代の武道は安易にその技を見せびらかさないことに重きを置いておるとのことじゃ。
なのでよみよみ殿たちがちょっとやそっとのことで暴力をふるうなど、本来は考えにくいことなのじゃろうな。
今日の戦いにおけるよみよみ殿は例外だったのじゃ。
うん。そうに違いない!
そう思ったらなんか安心してきた!
あと安心したらブドウさんが食べたくなってきたな。
心の中で思考が脱線し、(今晩のゆうげのデザートは何かなぁ)などとにやけておったら、その笑みを勘違いしたジャッカル殿が再度問いを重ねてきた。
「テラ先生にも手伝ってもらうの?」
うぅ、心が痛い。
ジャッカル殿?
そのような瞳でわしを見るな。
この戦いは大人が絡んでおる。
さすれば、わしらの直感だけで軍略を練っても危ういのじゃ。
まずは対大人用の調査網を張り巡らせる。
そんで十分な調査を行い、調査が済んだら作戦の立案に取り掛かる。
今うっすらとそのように考えておるが、情報が少なすぎるだけに今のわしでも何も考えられんのじゃよ。
あと、寺川殿をこちらの計画に引き込むのも危険な気がする。
こちら側に入れたら、あの方のこと、影響力が半端ないだけにいつの間にか作戦の中核を寺川殿が陣取ってしまうこともあり得るのじゃ。
でも寺川殿は大人じゃ。
いろんな拘束があるだろうし、わしらのように自由に動けはせまい。
あと本人を前にしては絶対に言えないけど、すでに寺川殿は一敗しておる。
自宅謹慎。乱世では幽閉と同義じゃ。
まぁ、乱世だったら負けわんわんの敗者復活もあり得るが、ここで寺川殿をこちらに引き込みそれでも失敗した場合、寺川殿の身が本当に危なくなる。
幼稚園を去らねばなるまいて。
そういう旨をひまわり軍のばばぁが言っておったからな。
なのでダメじゃ。
でもわしの味方は、わっぱが数名。
各々目を見張るほどの個性を持っておるが、あくまでわっぱじゃ。
これもジャッカル殿たちには絶対言えないけど……。
わしとしてはどちらかというと、わっぱを数名引き連れるより、寺川殿のような大人――謀を交わす事のできるちゃんとした大人がたった1人でもいる方が力強い。
でもそれも期待できないゆえ、この人材だけで戦うしかないのじゃ。
5歳のわっぱが数人。
対するはPTAとその奥に潜む貴族。
なかなか難儀な戦いじゃ。
でもやるしかないのじゃ。
いざとなったら1人でも……。
と決意を新たにし、わしはゾウさんバスの窓の外を眺める。
その後他の足軽組衆の視線を感じながら、わしらはたわいもない会話を進めた。
バスが4個目の下馬ポイントに到着したところで、カロン殿とよみよみ殿がバスを降りた。
「次が僕たちの降りる番だよ」
ジャッカル殿の言を聞きふと視線を前に向けると、ジャッカル殿をマーケティング分析のプロに育てた大型ショッピングモールが見えてきた。