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陣中の陸



 ひるげまであと半刻ほど。
 数人のわっぱが負傷や疲労を訴えて保健室のおねえさんのもとへ向かい、それほどじゃない者も椅子に座ったまま息を荒げておる。
 寺川殿の代わりに来た遠山殿はというと、過酷な闘争の終幕と昼げまでの暇タイムを下知し、保健室に向かった足軽組メイトの付き添いとして姿を消した。
 なので閑散としておる我が拠点。戦の跡のようじゃ。

「うーん。お昼ご飯まであと1時間あるね。光君? 今日も絵本読むの?」

 力なくうなだれるわっぱたちの光景を眺めながら、勇殿がわしに問いかけてきた。

「ん? うーん……今日は絵本は読まないで、勇君たちと遊ぼうと思ってたんだけど……」

 おはようの会が終わった時点では、わしは今日の書物調査を見送る方針じゃった。
 寺川殿のことが心配だったし、ちまちまと頭を使う気にはなれんかったからな。
 なのであわよくば勇殿やジャッカル殿たちの遊戯に混ぜてもらって、オチムシャFIVEごっこやそれに準ずる宴に身を任せようかと思っておったんじゃ。

 でもだめじゃ。
 見た感じ、元気そうなのはわしと勇殿とジャッカル殿。あと華殿と、普段華殿が仲よくしておるおなごが2人ほど。
 この程度の人数が体力を残しておるが、オチムシャFIVEごっこをしようにも、ジャッカル殿と仲のいいわっぱ数名はすでに保健室へと行っておる。
 つまり激しい殺陣を彩ることのできる人材は、現状でわしと勇殿とジャッカル殿。
 無理じゃ。3人で殺り合ってもむなしいだけじゃ。

 加えて、寺川殿主催の歌のお稽古がなかったゆえ、気分の高ぶりが始まらないのじゃ。
 逆にその分だけ今のわしらは体力ムッキムキだけど、やっぱ心がそのような勢いにならん。

 なんというもったいない暇タイム……全ては遠山殿のせいじゃな。
 わしらの日課をめちゃくちゃにしおってからにぃ……あのおたんこなす、いと許すまじ……。

「……」

 悔しさのあまり、わしが親の仇を見るような目で虚空を睨んでおると、華殿と仲のいいおなごたちが話しかけてきた。

「みんなで外のお花に水あげてこようよ!」

 片方は……名を……確か……。
 あれ……?
 やべ、名前忘れた……! こやつら……なんて名前だったっけ?
 いや、呼び名はわかっておる。わかっておるけども、その……本名が……。
 えーとぉ……。

 ……

 ……うん。本名とかどうでもよいか。
 両方とも、ミドルネームが印象深きおなごじゃ。

 まずは、貴族のように髪を長くしておるわっぱが“あかねっち”殿。
 見た目は貴族っぽい髪の長さをしておるが、この時もわしらに元気いっぱいの声を掛けるほど活発なおなごじゃ。

 そんで、農民の娘のように頭髪を短くしておるのが“よみよみ”殿じゃ。
 よみよみ殿は黄泉の使いっぽく、物静かなおなごじゃな。今もあかねっちの背中に隠れておる。

 ――いや、待て。
 よみよみ殿。おびえ過ぎじゃ。
 わしらは夜盗か? と。
 なにを怯えることがあろうか? と。
 そんな、道端に捨てられたにゃんにゃんみたいな目で見られても……いや、逆にそんな目で見られると、わしのよからぬ侍魂が……。

 ――いや、これ以上はやめておこう。今のわしは健全な5歳児じゃ。
 過去に何度かこの2人を混ぜた小組を作り、一緒に合同工作などを仕上げたことがあるので、よみよみ殿が基本的に静かで気の小さいわっぱだということはわしもよく知っておる。
 寺川殿に似てやたらと活発なあかねっち殿。そして、やたらと配慮の行き届く華殿。
 よみよみ殿はこの2人とは対極に位置する感じだけど、だからかもしれん。よみよみ殿と2人は馬が合うのじゃ。
 ある意味、なるべくしてなった三位一体技じゃろうて。

 なのでわしが書物調査の途中に窓の外を眺めると、この3人が仲よく遊ぶ光景が高確率で目に入ってきよる。
 ばら軍2組専用の花壇に水をやったり……花壇という名目なのに、いつの間にか野菜の類を育て始めたり……それをこっそり食べて、寺川殿に見つかったり……怒るべきところなのに、寺川殿も一緒に野菜を食したり……。
 去年の夏ごろによく見た光景じゃ。

 でも、たまに窓から見るわしに気づいて、わしにも収穫物などをくれたりするんじゃ。

 その場合、華殿側の誰かが外で背伸びをして、受け取る側のわしが窓から身を乗り出す形で手を伸ばせば、収穫した食料を手渡しで受け取れる。
 だけどミニトマトのように野菜が小さい場合は双方そういう動きを面倒がってしまい、最近は窓を開けて口を大きく広げたわしに向かって、華殿側の誰かが野菜を投げ込む習わしになっておった。
 それをわしが乱破のごとき動きで口に直接入れると。
 いと美味しいけど、傍から見れば畜生に餌を与える光景のようじゃな。
 わしとしても、道端に捨てられたにゃんにゃんが食べ物を貰う時の気持ちがわかる気がす……

 ……あれ?

 なんかデジャブった。まいっか。
 とりあえず、この2人の農業はハイパーあなどりがたしなのじゃ。
 そんで、その2人が珍しくわしらに声をかけてきよった。
 なかなかどうして珍しいイベントじゃな。
 でも、その気持ちはわからんでもない。

 椅子取りゲームの時は、華殿が目に見えてイライラしておった。
 あかねっち殿たちは寺川殿の件を知っておらんと思うが、華殿の機嫌に引っ張られる様に2人のテンションもだだ下がりじゃった。
 ゆえに、あかねっち殿たちも早期に争いから手を引く選択を選んだ。

 結果、あかねっち殿たちも怪我はしていないし、無益な疲労感にも襲われてもいない。
 それはそれでいい判断だったと思うが、それはさらに不可思議な現象へと繋がるのじゃ。

 すなわち、疲れた者と疲れていない者。
 あくまで一時的で、あくまで気分的なものじゃが、足軽組内で精神的な二極化が生まれたのじゃ。
 んで、わしら体力ムッキムキ組と同じ側にいたあかねっち殿たちは、疲れて息を切らしている他のおなごに声をかけることができず、華殿と一緒にいたわしらに声をかけてきた。
 こんな感じじゃな。

 でも、まぁよい。
 大地と豊穣の神に感謝し、八百万の神にも感謝し、仏様とかにも感謝しながらお水をまく。
 いい響きじゃ。
 ここは誘いに乗って、草木たちに少し早目の梅雨を授けてやろうではないか!
 あと、無心でお水をばらまき続ければ、このおかしな心境から抜け出せるかも知れんしのう!

「うん。いいね。お水あげよう! 勇君は?」
「うん。そだね。いいよ! ジャッカル君も行こうよ!」
「うん。僕も入れて! 給食まで、まだ時間もあるしね!」

 さすれば決まりじゃな。
 もはやこれは水攻め。高松城のごとき水浸しをお見舞いしてくれようぞ!


「光君! お水あげすぎっ!」

 そんでもってみんなで外に行き、わしが無心で水を注いでおったら華殿に怒られちゃった。

「え?」
「え? じゃなくて! 1つのところにお水あげすぎ! ちょ……」

 さらには右手に持っていたゾウさんじょうろを華殿に奪われてしまった。

「こうやって……こーやって……それで、こーーー……こんな感じでお水あげるの。あんまりお水あげすぎると、お花さんが土の中でおぼれちゃうんだって。
 だから今やったみたいに、じょうろを動かしながら広い範囲にお水あげるの。わかった?」

 わかるかぁ!
 難しいわ! すんげー難しいわ!
 何じゃその技術!?

 じょうろからお水がいい感じで出てるか確認しながら、お水の勢いにあわせてじょうろの傾きを調整して……さらにお水をあげる範囲を定めて、かつ残りのお水の量を計算しつつ、挙句その標的1つ1つに適度な量のお水をあげろじゃと!?
 そんなの立派な匠の技じゃ! わしのようなわっぱに今すぐ完璧にこなせなど無理に決まっておる!
 華殿は一体どれだけ無茶な仕置きをさせるんじゃ!?
 いや、これが仕置きなのかどうなのかわからんけどォ!

 あと、なんだったら、お水をまき始めたら電気ポット遊びの時の感覚を思い出したから、わしはぜひともあの時のように一点を見つめながら黙々とお水をまきたい!
 よって無理じゃ! 華殿の仕様要求はわしの性能限界を超えておる!
 その証拠に見てみい!
 勇殿もわしと同じように満足に水まきも出来ずに……。

「……!?」

 ……あー、出来ておる……。
 勇殿が巧みな動きでお水をまいておる。
 なぜじゃ? 勇殿はどこでそれを習った?
 わしは聞いておらんぞ。

 勇殿? わしらだって付き合いが短いわけじゃなかろう?
 そういう技術を持っておるということをなぜ教えてくれなかった?
 いや、もしかして……教えるほどでもないのか?
 じゃあなにか? わしがダメなのか?
 わしのお水まきセンスが皆無なのか?

 あっ、そうだ。それならジャッカル殿は……?
 名前的にも、ジャッカル殿は草木を愛でるタイプでは……。

「……!?」

 あー……ジャッカル殿も上手にお水まいておる。
 トマトちゃんエリアにおるわしたちの隣、二十日大根君エリアのあたりで惜しみない愛を振りまいておる。
 こんちくしょう……!
 おぬしのその笑顔。そんな穏やかな顔してて、自身の名前に対して申し訳ないと思わないのか?

 ……うーむ……話を逸らそう。
 しかしあれじゃな。
 今さっき華殿にとりあげられたゾウさんじょうろ。
 この幼稚園では各足軽組に2~3のゾウさんじょうろが配備されておる。
 また、それとは別に外の花壇用に使われるやつが10個ほど、幼稚園全軍の誰もが使用していいというルールで、玄関を出たすぐ脇のところに置いてある。
 ここには水道の蛇口もあるので、そこで水を補充して花壇にまくのじゃ。

 んで、それらとは別に草木をみんなで植えるといった大掛かりな儀式の時のために、園庭の“倉庫室”という小屋に大量のゾウさんじょうろが眠っておるらしい。
 “倉庫室”……名前の響きが陰陽のごとき雰囲気を匂わせる秘密の小屋じゃ。
 まぁ、倉庫室の件は置いといて――

 あれじゃ。
 あれ――というかあの事件と言った方がいいような気もするが、あの件が意外とわしの心にトラウマとして残っておったわ。
 さっき何気なく花壇用のゾウさんじょうろを手に取ろうとしたら、右手に震えが走ったんじゃ。
 一瞬、それがなんの現象なのかわからなかったけど、よくよく思い出せばこれは先週の金曜日に寺川殿から受けた一撃の影響だと思う。

 ゾウさんじょうろ。

 こんなにも愛くるしいフォルム。こんなにも軽い素材。
 あと……義理でも言っておかねばなるまい。あんなにも美しい女性の、心洗われるたわむれの一撃。
 もろもろの好条件が合わさった素敵な記憶にもかかわらず、さっきのわしの本能はゾウさんじょうろに対して警戒心をむき出しにしよった。

 うーむ……。
 以前、わしの体は痛みによる外的ストレスに弱いと言った。
 でも、トラウマというものは精神的な問題じゃ。
 国営放送のおねえさんがそう言っておったから間違いはない。

 んで、わしの精神的なストレス耐性は46歳のそれじゃ。
 ゾウさんじょうろの一撃は物理的な外的ストレスだから、あの時のわしが痛みに抵抗できず、一時的に泣いてしまったのは仕方なしじゃ。
 でも、46歳の心力がそれを後まで引きずるとは思ってもみなかった。

 物理的な痛みには耐えられないけど、心の痛みには耐えられる。でも物理的な痛みを原因とする心の痛みには防御が弱い。
 まとめるとこんな感じだけど、なかなかどうして不可思議じゃ。

 といってもお水をまき始めたら電気ポット遊びを思い出して、わりとすぐにあっちの世界に行ってしまったから、大して深いトラウマではなさそうじゃが……。
 あと、先生としてあるまじき行為をした寺川殿の罪を責めるつもりもないが……。

 この体、他にどれほどの秘密が隠されておるのじゃろうか?
 まぁ、それはおいおい考えて行けばいいのじゃろうな。
 今はとりあえず水まきじゃ。
 少しでも華殿のレベルに近づくため、わしはこの技術を1から学ばねばならん。

「いい? じゃあ、こっちのじょうろはお水満タンだから、こっちでやってみて」

 そう言って、華殿は脇に置いてあった別のじょうろをわしに渡してくれた。
 いやはや、こういう準備の良さは流石じゃな。
 と思っておったら、よくよく見てみると華殿はすでにお水満タンのじょうろを4つも用意しておった。

 さ……流石過ぎじゃ。

 でもそれでこそ華殿。
 ぶっちゃけ殿下の下で働いておった頃のわしよりいい仕事すると思う。
 そう考えると、若干凹んでしまうが……ここは華殿の好意に甘えようではないか。

「うん。まんべんなくまけばいいんだよね?」
「そう。光君ならできるから! 自信もって!」

 あれ? わし、華殿に同情されてない?

「み……光君。がんばって……」

 さらには近くにいたよみよみ殿にまで応援されてしまった。
 なので、わしが引きつった笑みをよみよみ殿に返しておると、開けっぱなしになっておった我が足軽拠点の窓の内側から、数名のわっぱの泣き声が聞こえてきた。

「うちの教室かな? 何の声だろ?」

 勇殿が窓を見ながらつぶやき、それとほぼ同時に華殿が動き出す。
 次いでわし。遅れて勇殿とジャッカル殿、そしてよみよみ殿が走り出し、最後にあかねっち殿が後を追った。
 あかねっち殿に関しては、彼女が動き出す頃にはわしらは玄関に飛び込んでいたゆえ、確認はしていない。
 でも、この時はあかねっち殿を待っている余裕なんてなかったのじゃ。

 玄関で内草履を履き、外草履はそのまま放っておく。廊下はダッシュ厳禁じゃが、そんなものを守っている場合でもない。
 わしの先をゆく華殿が風の速さで廊下を駆け抜け、廊下を歩く他の足軽組のわっぱを避けて避けて……避けて避けて、跳んで避けて、くぐって避けて……。

 ……あれ? 華殿って、足めっちゃ速くねぇ?

 いや、こういうことだったのか。
 先週の金曜日のあの事件。
 ゾウさんじょうろ事件じゃなくて、ひまわり軍の方のあれ。
 あの時とんでもない速さで現場に駆け付けた華殿じゃったが、これほどの駿駆なら納得じゃ。

 わっはっは! 華ちゃんは将来、オリンピックで金メダル獲れるかな!

 って、親戚のおじちゃんに言われるぐらいのスピードじゃ。

 じゃなくてさ。
 この時のわしの脳裏に浮かぶのは金曜日のあの事件。
 もちろんゾウさんじょうろ事件じゃなくて、ひまわり軍の方のあれな。
 おそらく華殿と勇殿、あとジャッカル殿は似たような予想をしておるかもしれん。
 そして、そんなわしらの予想は間違いではなかった。
 またしてもひまわり軍のやつらがわしらの拠点に侵入しておったのじゃ。


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