バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

陣中の壱



 幼稚園に到着し、わしはいの一番にトラさんのバスを下馬する。
 武将たるものこういう時は一番槍を目指さねばならん。
 といった古臭い勇猛さではなく、足軽組メイトが下駄箱のあたりでごちゃごちゃしてしまうと、わしが草履を脱ぐのが遅くなってしまい、それが嫌なだけじゃ。

「おはようございまーす」

 バスを下馬するとすぐに、わしの足軽組を統率する寺川殿が挨拶して来よったので、こちらも5歳児の魅力を全力で活かした笑顔を添えて挨拶を返しておく。

「せんせー! おはようございまーす!」
「光君。今日も元気いっぱいね」

 この寺川殿、名を恵といい、わしらの先生――つまり師に当たる。
 歳は20代後半といったところか。
 年齢を聞いても正確な数字を答えてくれんのじゃ。
 軽い身分詐称にあたるし、教育者としてそれでいいのかとも思う。
 教員室の金庫あたりに寺川殿の履歴書が保管されておると見ているが鍵と番号が入手できず、この件については今現在調査中といったところじゃ。

 んで、普段彼女はわしらから“テラ先生”と呼ばれておる。
 ハードディスクのようじゃが、器量よし、テンションいと高し。わしが元服しておったら妾に迎えても構わんと思っておるぐらいじゃ。
 淀殿よりねね様に近い雰囲気だしのう。

 ただ、寺川殿の甘ったるい喋り方。あれはどうにかしてほしい。
 いや、わしらのようなわっぱを相手にする以上、あのような喋り方が必要になるのはわかっておる。
 むしろ幼稚園の教諭を生業とする彼女らには必須の技術じゃとも思うし、その技術が高い寺川殿は見事だとも思う。
 ついでに、たまにいらついておられる時は誰かを脅しているのかと勘違いするような声で独り言を言っておられるから、そっちが彼女の本性じゃということも十分承知しておる。
 あぁ、先生も大変だなぁ……と。
 そこまで理解しておるから、わしは彼女が甘ったるい声を出していても我慢できるし、大好きじゃ。

 だけど……こう、わしが真剣に書物を読みあさっている時に背後からあの声で迫られると、淀殿に声をかけられたようで驚くのじゃ。
 その後、若干気分が悪くなるし、四半刻ぐらいの間その気分から抜けられなくなる。なので、あの声掛けだけはやめてほしい今日この頃じゃ。


 ちなみにさっきもちらっと匂わせたが、わしはねね様押しじゃ。
 淀殿は――今で言うと“小悪魔系女子”といったところか……。
 テレビでやっていた歴史特集番組を見ながら母上が舌打ちしておったが、わしも母上の嫌悪感に賛成じゃ。


 どこが小悪魔か! と。思慮の浅さが目に見えておる。
 まぁ、だからこそやつらは真の悪魔を名乗ること許されず、『小』悪魔と表現されておるのじゃろうな。
 本当の悪魔というのは、森家の長可(ながよし)様のような変態を言うのじゃ。
 といっても、長可様のようなおなごがそこらへんをうろちょろしてても怖すぎるので、“小悪魔”ぐらいの表現がちょうどいいのじゃろう。

 話が逸れた。なにはともあれ、淀殿はあまり好かん。

 ちなみにトラさんのバスに乗っていたのは別の足軽組の先生殿じゃ。
 んで、寺川殿の向こう側にはバスのお迎えに出なかった他の先生方、そして幼稚園の全軍を指揮する園長先生殿がいつも並んでおられる。
 目上の者が目下の者を出迎える。
 不思議な文化じゃが、これはいつもの光景なので、わしも彼女たちに頭を下げて挨拶を済ませ、玄関に向かった。
 ここで外草履と内草履を履き替えるのじゃが、下駄箱は3つの通路を構成するように6つ置かれておる。
 一番左の通路には、もも軍の1組2組の下駄箱が向かい合うように設置され、真ん中の通路はばら軍の1組と2組、そして左がひまわり軍の領域になる。
 わしはこの幼稚園のばら軍2組に編入されておるゆえ、このままの勢いで真ん中の通路に突っ込めばいいわけじゃ。
 去年はもも軍の2組におったので、ばら軍になった後もたまに間違ってそっちの通路に行ってしまう時もあるが、卯月(4月)も終わりに近づいておる今日この頃となればその可能性もほぼなくなった。
 来年はひまわり軍になるということなので、一番右の通路に行くことになるじゃろう。
 ひまわり軍の領域はわしからすると不思議な威厳を放っておる空間じゃ。

 あと一つ断っておくが、1組と2組の間に身分制度のような上下関係は存在せん。
 入園した時においおい泣きながら1組への転属を訴えたわしだけど、その時に教えてもらっておる。
 優劣のある甲、乙、丙のような関係ではなく、い、ろ、はの関係に近いものになるらしいのじゃ。
 それならばよいということで、わしも納得済みじゃ。響きだけに注目すれば、1より2の方がレベル高そうじゃしのう。

 そんな経緯でわしは去年のもも軍2組からばら軍2組に繰り上げし、今この時のわしはばら軍の通路に颯爽と走り込んだ。
 外草履を放り込んで、代わりに内草履を取り出し、すぐさま姿勢を低くする。靴下に比べ格段に履きやすい内草履をさっさと装着し、次は廊下じゃ。
 幼稚園の城内の廊下はダッシュ禁止なので、ゆっくりと足を進めていると、ほどなくして“ばら2組”と記された札が見えてきた。

「おっはよー!」

 部屋に入り、わしはすでに幼稚園に到着していたキリンさんバス衆の面々と各々挨拶を交わす。
 先に来ていた者たちはすでにそれぞれの遊びに興じており、宴のようににぎやかじゃ。
 遅れてくるゾウさんバス衆が参列するまで5分ほどの暇があるので、わしはこの時間を利用して窓際に用意された書物の棚に向かう事にしておる。

 さてさて、今日はどの書物に心を満たされようぞ……?

 午前中は最初に半刻ほど歌のお稽古があり、その後、昼げの時間まで自由な暇(いとま)が与えられる。
 わしはその暇を書物の調査の時間に当てており、朝参陣したばかりのこの時間を使って、その時に読む書物をあらかじめ定めておくのが日課なのじゃ。

「うーん……」

 桃太郎殿と金太郎殿は熟知しておるし、キツネさんがよくわからない恩返しをする話は先週読んだ。
 まさかキツネさんが最後に銃撃されるとは思わなかったが、そもそも日本の昔話と呼ばれる伝承記のほとんどはわしが前世で生きていた頃からあったものなので、だいたい読まなくても分かる。
 キツネさんの話はわしが死んだ後なので知らなかったし、まぁ、知っている伝承についても、時代を経ることで話に多少の変化が生まれておったりする。
 その差異を探すのも面白い。

 知的好奇心というものを少し高ぶらせながら、わしは棚の左から順番に書物を吟味していく。
 毎日足軽組メイトが書物の位置を変えてしまうため、わしはその都度左端から書物を確認するようにしておるのじゃ。
 これは読んだ……これも読んだ……といった具合に指をスライドさせていくと、5冊目で新たな書物に出会った。

 “さんびきのこぶた”とな……?

 ほう。これは聞いたことがない。異国から伝わった話だろうか?
 それと、ブタさんとはたしか……イノシシさんを不可思議なる魔術にて食用に変換させた、あのブタさんか?
 あの肉はクマさんやシカさんに比べてクセも無く、生姜焼きはわしも大好きじゃ。
 その子ブタさんが3匹とな……?
 これは……元就様が御子息にお話しした“3本の矢”の話に似たものじゃろうか……?
 よし、今日はこれから読んでみよう。

 と、わしが書物を手にとってにやついていると、その時、わしの背後から声が聞こえてきた。

「みっつなりくーん!」

 でた。 足軽組メイトの由香殿じゃ。
 でも、実のところ、わしはこいつが好かん。由香殿はわしのことを好いておるようじゃが、どうも好かん。
 理由は1つ。こやつはよう嘘をつくからじゃ。
 以前、寺川殿に華殿を巻き込むような嘘をついて、華殿に悲しい思いをさせたこともあった。
 だからなおさら気にくわん。

 とはいえ、こやつが将来ええおなごになりそうな顔立ちをしておることも否めん。
 由香殿の母上にも会うたことがあるが、将来あのように育つならば由香殿も相当の美人になることじゃろう。
 現に足軽組メイトのうちほとんどの男衆が彼女にほの字じゃ。
 そう考えると、将来わしの側室の末席に加えてやってもいいが……こやつとわしの子に家督を継げさせる気はさらさら起きんでのう。

 なので、わしは心に生まれた不快感を隠そうともせずに、機嫌の悪そうな態度で挨拶を返すことにした。

「あ、おはよう……」
「うん、おっはよう。んー? なぁにしてんのう? 絵本見てるの―ぅ?」

 淀殿みたいじゃな。くそ甘ったるい声がやたらと苛立つ。
 さて、どうやってこやつを返り討ちにしてやろうか。
 二度とわしに話しかけないように。
 それぐらいの仕打ちが必要じゃ。

 などといろいろ思案しておったら、その時、救世主が現われたのじゃ。

「光君、積み木手伝って」

 勇殿じゃ。わしの援軍を所望じゃ。

 それにしても……。
 もうすぐ寺川殿が来るのに、今から積み木を始めるとはなんと勇猛な。
 と一瞬思ったけど、由香殿から距離を置くためには、勇殿を助勢するふりをしてこの場を離れるのも一案じゃ。
 それに、勇殿のこういう勇敢なところも大好きじゃ。
 なんだったら関ヶ原で戦ってた時に勇殿のような勇敢な若武者がわしの手元にいたらとつくづく思う。
 あのくずダヌキが旗本の三万騎を動かした時、薩摩のバカ武将がしたように敵本陣に突っ込めとは言わん。
 けど、これほどの勇将がわしの軍にいたら、必ずや戦況を変えてくれたろうに。
 惜しい限りじゃ。
 いや、過ぎたことじゃ。

 しかし……

「いいよ。何作るの?」
「……ビュルツブルグの街並み」

 ビュ……なんてった?
 わからん! わからん! どこじゃそれはッ!?
 その……ビュなんとかっていう街がどこにあるのかもわからんし、積み木でそれを再現しようとする勇殿の価値観も分からん!

「ど、どこの街並み?」
「ん? だから、ビュルツブルグってとこの街並み。すごく綺麗なんだ!」
「ん? そうじゃなくて、どこの街?」
「ん? だから、ビュルツブルグってとこの街並み。すごく綺麗なんだ!」

 いいループじゃ。
 わしが壊れた時間の輪に迷い込んだかと錯覚するほど、わしら2人の会話は見事なループじゃな。

 じゃなくて!

 危うく心の言葉使いを声に出そうとしてしまったけど、それをなんとかギリギリで押さえ、わしは詳しい説明を求める。
 聞けば、昨日図鑑で見た赤い屋根の街並みに感動したらしく、それを積み木で再現したいとのことじゃ。
 あぁ、そういえばさっきバスを待っている時にドイツに行ってみたいとかゆうておった。
 どうせそのビュなにがしという町はドイツにあるんじゃろ?
 多感な子じゃ。

 でもな、勇殿?
 勇殿の右手に握られておる赤色のマジックペン。
 それだけは見逃せん。

「いや、勇君……?」

 勇殿はたまにこういうことをしようとする。
 それを諌めるのが幼稚園でのわしの立ち位置なのじゃが、積み木をマジックで赤く塗るのは非常にまずいと説得しつつ、右手のマジックをやんわりと奪い取ることに成功した。
 その途中、勇殿が「責任は僕が取る。僕が色を塗るし、先生に怒られた時の実行犯役も僕が引き受けるから、光君は僕の言った通りに積み木を並べて」というかっこいいセリフを言い放ったが、完全にわしも共犯者になるので嫌じゃ。

 その後、文字通り肩を落とす勇殿の背中を支え、二人で遊具棚に向かう。
 積み木を取り出し、二人で大人しく遊んでいると、大きな声が部屋に響いた。

「みんなぁー。しゅうごーうッ!」

 寺川殿が部屋に現われ、これで遊びは一時中断じゃ。
 窓際の方から鬼の形相をして睨んでいる由香殿に、“ざまぁみろ”といった視線を流しつつ……
 ここでな、事件が起きたわ。

「せんせぇ! ……えぐ……光成君が……私のこと仲間外れにしたぁ! えーん、えーん」

 由香殿のバカがわしをはめおったのじゃ。

 なんでだよ!
 あぁッ!? 貴様、わしと会話した時に「一緒に遊ぼう」と打診してきてないじゃろ!?
 わしがなにしてんのか聞いてきただけじゃ!
 それがどうして仲間外れにつながるんじゃ! あぁ?
 しかもわしは毎朝この時間を書物の選定に当ててるし、お前みたいなくそがきと遊んだ覚えもないわ!
 こっちはこれが日課じゃ! わしは自分のやりたいこともさせてもらえんのかぁ!?
 あと、お前は自分の思ったことを周りの全員がやってくれるってゆー特殊な身分の人間かぁ!?
 いつからそんな大層な人間になったんじゃあ!?
 あぁ!? 言ってみろや! いつからお前はわしの行動を制限できる偉い身分になったんじゃあ!?
 六条河原に首晒すぞ、われぇ!

 ……

 ……

 ふーう、ふーう……

 落ち着け、わし。こんなところでブチギレるわけにはいかんのじゃ。
 あと、六条河原に首さらしたのはわしじゃ……。
 一軒家城に置いてある“マンガ日本の歴史”シリーズの書物にそう書いておった。むっかつくことに“徳川家康編”の最後の方にな。
 あったまきたから、あの巻だけカッターで切り裂いてやったわ。
 母上に怯えられたけど、あれだけは後悔してない。
 かっかっか!

 ――いや、首のことなどどうでもいい。今は繋がっておるしな。

 それにしても、今みたいにブチ切れた時、口に出したいと思った暴言を一度心に収める技術。
 技術というか、わしの心のブレーキ性能なんだけど、これは母上に怪しまれないためには非常に有効かも知れん。
 けど、こういう場合はすぐさま反撃に出た方がいいのかも知れんな。

 突如の計略にわしは脳内の反撃しかできず、案の定、寺川殿の刺すような視線は真っ先にわしに襲いかかった。

「みーづーなーりーぐーん……」

 怖い怖い怖い怖い……。つーか寺川殿ッ!?
 そなた、今さっき上機嫌で挨拶しておったじゃろ!?
 どっちかっていうとここ数日で一番機嫌の好さそうな……きゃッ!
 怖いからそんな目でわしを見ないで!

「だーめーでーしょーぉ! 言ったよねぇ? みんなで仲良く遊びなさいってぇ!!」

 こうなってしまっては後の祭り……わしの例えがあっているかもわからんが、そんなこと考える余裕もない。

「すみません。気づきませんでした」

 わしは適当に考えたしょうもない理由とともに、寺川殿に頭を下げる。
 あと、こういう場合寺川殿は泣かされた方にも謝らせる傾向があるので、わしはそれを言われる前に由香殿に頭を下げた。

「由香ちゃん、ごめんなさい」

 と、その時。

 わしはやっぱり馬鹿じゃな。
 ついつい反撃したくなりよる。

「あと、二度と僕を誘わないでください」

 次の瞬間、寺川殿が近くに置いてあったゾウさんのじょうろでわしの頭をひっぱたいた。
 由香殿がぎゃんぎゃんと泣き始め、わしは勇殿の胸でしくしくと泣いた。


しおり