九.センスは鳴りを潜める
「お前、和沙の誕生日、知ってんのか。」
場所は自宅自室。時間は午後十時半頃。あの重い話を聞いてから、週一の頻度でアキラさんとは電話で話している。他人から見た最近のカズが気になる、とのことで。もう親ですやん。
「いえ、知りません。」
自分が祝われた記憶も薄い。年に一回、梅雨を迎える前に、そう言えば親がケーキを買ってくる日があるな、くらい。他人の誕生日なんて、尚更気にしたことなかった。
はぁー
長い溜息がスマホの振動越しに伝わる。悪かったな。
「いかんぞお前。本気で和沙の傍に居たいんだったら、そんくらい知ってねぇとダメだろ。」
「ダメ、と言われましても。すみません。」
本気でってなんだよ。籍でも入れろってか?早ぇよ。
「とにかく知ってろ、良いか、」
何月何日、という言葉が耳に届く。耳に届いて脳に伝わり、その日がいつ訪れるかを理解する…はぁ?
「もう来週じゃないですか。」
「だからだよ。俺は、教えたからな。」
ちくしょう、知ってしまったからには何か用意しないと。にしても何で来週なんだよ。都合良すぎだろ。スルーしても良いのだが、いや無いとは思うが、アキラさんからカズに、
「誕生日教えておいたから。」
と告げ口されるかもしれない。いや、大いにありうるか。だってこの人変だもん。
「はぁ、ありがとうございます。何とかします。」
「おぅ、プレゼントちゃんとしろよ。」
「プレゼントですか。」
さっぱり思い付かない。図書カードとかじゃダメか?俺は現金が一番嬉しいんだが。そういうわけにもいかんか。しかも、女子へのプレゼント。皆目検討もつかん。
「ヒントとか、無いですか。」
「あん?」
「和沙さんの好きなものとか、教えてもらえませんか。」
「お前なぁ、そんなのも分からんのか。ちょっと一緒にいりゃ、どんな趣味があって、今何が欲しいのかくらい分かるだろ。」
心底呆れたように言われる。だから知らねぇって。普段から他人に興味持てない唯我独尊なんだもの。嗜好を察する能力なんて、あるわけねぇだろ。
「和沙さんだったら、何でも喜んでくれそうですけど。」
「いかんいかん、その考えは甘えで、負けだぞ。」
「ダメですか。」
「いいか、『貰ったものは何でも嬉しい』と思ってくれるなんて幻想だ。特に女は自分へのプレゼントを値踏みする。プレゼントされるものの価値が自分の価値のように思い込む。分かるだろ、センスが大事だ。」
センス、ねぇ。そんなものが売ってたら買いたいよ、全く。
「とにかく、分かりました。当日には本人に渡します。」
「おう、信頼してるからな。」
変なとこで信頼なんてしないでくれ。
通話が終わる。机に突っ伏す。
「プレゼントなんて分かんねぇよ…」
思いの丈が漏れる。どうすれば良い。答えが一つに決まってる問題なら得意だ。しかし、この問題は相手によって答えが違う。相手の気持ちを汲み取った上で、予算的にも問題無く、かつ、貰った相手が気後れしない、ほどほどの値段の品物でないといけない。悪問過ぎる。それでいて俺の場合は、もし選択を誤って機嫌を損ねでもしたら、仕事に支障をきたすかもしれない。こんな時に相談できる友達はいない。アキラさんは教えてくれないし、親に話すのはなんかヤダ。あーもう、ぐしゃぐしゃと頭を掻きむしる。本当どうすっかね。
次の土曜日昼過ぎ、俺は一人で近くのショッピングモールを訪れた。田舎のモールだから無駄にテナントがあって無駄に広い。休日ともなれば無駄に人間が集まり、そこそこ混んでいる。とても鬱陶しいが、今の俺には知見が足りない。ネットで調べるのも限界がある。直接この目で情報収集することにした。人間の波を掻い潜りながらテナントを回った。まずは雑貨屋。百均で事足りそうなものをオシャレに美化した物品が並ぶ。小物入れ、ペン立て、ケース、ポーチ、などなど、仕事場でも使えそうなものは多い。手にとってみたりするが、見た目以外の良し悪しが分からん。もうこの中のどれかで良いか?仕事で使うものなら、がっかりさせることは無いだろう。ちなみに俺の懐はバイト代のおかげで非常に潤っている。なので予算上限の心配はほぼ無い。いくつか目星をつけて、他の店も見てみる。服屋も見てみるが、女性モノなんて何も分からんし地雷の匂いがプンプンするので即刻断念。本屋も見てみる。昔読んでた漫画の新刊が出てた。いつか電子版で買うかもしれない。参考書のコーナーに寄る。大学生になったら就職に向けて資格を取っておきたい。とりあえず簿記かな。他にも就職で有利になりそうな資格の参考書を流し見する。本来の目的を忘れたまま、何も買わず退店。アクセサリー店、は入らない。値段が高いのもあるが、あんな仕事をしていて、今更贈り物にする気にはなれんな。その後も靴屋、CDショップなど、手当たり次第に見て回る。
「面倒くせぇ。」
今はフードコートに居る。見て回るのに飽きたので、遅めの昼飯を摂る。醤油ラーメンとミニ炒飯。このモールに来てご飯を食べる時は、小学生の頃からこのセットばかり食べる。こういう、安っぽい見た目がたまらんのだ。変に気負わず、気軽に味わえる。まずはレンゲで、スープを一口。口全体に染み渡るようにしてから、飲み込む。うん、これよこれ。油に覆われながら、ツンとくる醤油味。それにドカ振りした胡椒が良いスパイスになっている。もう二、三口楽しんだあと、箸で麺を掬い上げる。わざとらしい黄色の細麺。その束を口に放り込み、勢いよく啜り上げる。
ちゅるん
麺を歯でしっかり噛み砕く。舌で分かる麺の四角の形、微かに薫る小麦の甘み。そしてそれらを塗り潰すような醤油味。良い。これが良いのだ。もう一口啜った後、レンゲを炒飯に移す。綺麗なお椀型。茶色の山々に、卵の黄、名前は知らん野菜の緑、チャーシューの代わりの、何の肉か分からない肉片の白、そして麓に佇む紅生姜の赤。それがそれがモザイク状に映えている。それらをまとめて崩すようにして一角を掬う。舌に乗せ、噛み潰す。
ぐしゅ、ぐしゅ
紅生姜の酸味が訪れたと思えば、動物性油脂の甘みが襲ってくる。そして油の中にある米達がお出迎え。口の中をフラットな状態に抑えてくれる。ときどき、肉の僅かながらもジューシーな触感や、卵の包むような柔らかな味わいを楽しむ。そして何か分からない野菜が、ギトギトになった口内にフレッシュさをもたらす。うむうむ、満足だ。
こんなことを考えながら食事を楽しんだ。プレゼントに悩むより三倍楽しい。五分後、スープ完飲、米一片も残さず、ご馳走様でした。喉に残る油を水で押し流し、食器を返却する。胃の中のカロリーを感じながら、フードコートを去る。
「どうすっかね。」
モールの中通路に立ち尽くす。もう帰ろうかな。お腹いっぱいだし。やっぱ雑貨か。一個二個買って、帰ろう。アキラさんも許してくれるだろう。いや、文句も言わせんわ。雑貨屋に向かって歩く。人を避けて歩く、歩く。そうして雑貨屋の看板が見えたころだった。
綺麗な白が脇目に見えた。足を止め、身体をそっちに向ける。人波の中で立ちぼうけ。余りにも目に留まったから、気になってしまった。白、その正体は、帽子だった。つばが広く円を描き、真っ白に染まった帽子。それが、ライトを浴びて店の中央に鎮座している。店の名前は横文字で、オシャレに崩し過ぎていて読めないが、とにかく帽子屋のようだ。店の敷居をくぐる。色んな帽子に囲まれるが、やはりあの白帽子に吸い寄せられる。目の前に掲げられたそれを、じっと見つめる。実は麦わら帽子みたいに隙間が空いている。なるほど、通気性を良くして夏にも被りやすくしているのか。触り心地も良さそうだ。つばは若干たわんでいる。そして、リボンが頭をぐるっと一周結んでいる。漫画やアニメで見る、ヒロインが被っているような帽子。現実にあるもんなんだな。
「気になりますか?」
何?!たじろいで数歩下がる。声を掛けられた。誰に?店員、さんに。そりゃ、居るよな。目測四十代くらいの女性で、髪を茶色に染めた、人の良さそうな店員が、にこにこして立っている。
「えぇえ、ちょっと。」
「夏にピッタリですよね、これ。ご自身でお被りになります?最近は男性の方でもこういった帽子、被られる方が意外に珍しくないんですよ。手に取ってみて下さい。」
返事もままならいまま、白帽子を手渡される。もう。俺の十の指で帽子を支える。それぞれの指の腹で、素材の触感を確かめる。やっぱり麦わら帽子みたいで、触り心地が良い。汗をかいても染みたりしないな。それと、思ったより大きい。俺でも被れそうだ。
「被ってもらっても大丈夫ですよ。」
「あ、いや、いいです。僕のじゃないんで。」
取り急ぎ、そこは訂正する。目的は見失うべきではない。
「あら、そうなんです?でしたら、贈り物ですか?」
「は、はい。」
「あらぁ、素敵ですねぇ。どなたにです?お母様でしょうか?」
ぐいぐいくるなぁこの人。物理的に半歩距離を置いてから、
「いや、その、従姉妹です。一つ下の従姉妹がもうすぐ誕生日なので、それで…」
「いとこですか。えと、それは、女の子?」
「そうです。」
店員さんは一層にこやかになって、
「そうですかぁ、ご立派ですねぇ。だってまだ高校生くらいなのに、あ、高校生ですよね?」
「はい、僕は高二です。」
「えぇ、私も息子が今年高校生になったんですけど、こんな思いやりはありませんよ。」
店員さんのペースで話が進む。しんどい。
「それで、従姉妹さんに贈り物としてこちらを、ということですか。」
「えぇ、でも、本人が好むかどうかとか、サイズが合うか、とかが分からないんですけど。」
「そうですねぇ、サイズは女性にしては大きめではありますから、十分被れるとは思いますよ。もし大き過ぎたら、この裏にですね、何かテープを貼って、ちょっとサイズを小さくすることもできますよ。」
へぇ、そうなの。じゃあサイズは問題無いか。
「でも、好みのことはねぇ、ちょっと難しいですよねぇ。」
首をちょいと捻って店員さんが言う。何で俺より悩んでんのこの人。お節介なんだな。まぁ、ありがたいが。
「難しいですけど、まぁこれをあげたとして、怒ったりはしないと思います。」
ふはっ
身体をくの字に曲げて笑う店員さん。そんな変な事は言ってないだろ、今。ゲラ?
「うんうん、それに、お兄さんがこんなに考えて贈られたものなら、結構何でも喜んで下さる、んじゃないかなぁ?と思いますけどねぇ。」
アキラさんと言ってること違うが。どちらに従えば良いんだよ。やっぱり世の中分からんよ。
「従姉妹さんが被ったら、どんな感じになるんでしょうねぇ。」
被ったら、か。確かにどうなんだろうな。帽子を持ちながら考える。目を閉じて、豊かな想像力でイメージする。これを被ったカズを。ぼんやりと浮かんでくる。黒髪の上から帽子がすっぽりと収まる。帽子から髪が流れ出る。猫みたいな顔につばが陰をかける。青みがかった瞳はよりミステリアスに輝く。あれ、結構アリか?服も白いのにしたら、結構バランスが良いのでは?全身白に包まれたカズの姿は、より目が惹きつけられる。手足や顔が、より繊細で美しく見える、ような気がする。
ふぅ
イメージ終了。これは、アリ、だ。手中の帽子に目をかける。俺の中で雑貨より上位になってきた。うぅん、どうしよう、本当に良いのかな?
「どう、です?」
黙る俺に不安げに店員さんが尋ねてくる。これ以上私は分かりませんよ、とでも言いたげだ。そうだなぁ、
「これ、おいくらでしたっけ?」
値段を聞くと、店員さんの顔が晴れた。守銭奴。
「えぇとですね、こちらに、税抜で六千円ですね。」
高っ。いや高い、のか?しっかりしたやつだともっとする?でもこれはちゃんとしてそうだし、六千円は、うん、妥当だと思うよ。
「うーん、どうしようかなぁ。」
あまりの難題に人前でも声が漏れる。これを買ったら渡すしかない。だが、気に入られないリスクも高い。雑貨の方が安牌だが、ここで守りに入って良いの、だろうか?いやしかし、まだ結論を出すのは早いかも?今後それとなくカズの好みを聞いておいて、そこから考えれば良いのでは?そうだ、てか、そうすべきだろ。自分一人で判断しようとするなよ、全く。暴走するところだった。落ち着けって、それでやっぱり帽子で良いってなったら、また後で買いに来れば良いよ。そうだ、そうだ。顔を上げ、帽子を元のディスプレイに戻す。そこで店員さんが、
「こちら一点限りで、他に在庫が無いんですよ。取り寄せとかも、当分できないと思います。」
モールからの帰り道、電車に揺られる。外は夕暮れ。紫と橙の境界線をじっと目で追う。俺の手には、一際大きな紙袋。そっと袋の中を覗く。中には、どう見ても、あの白帽子。
俺は、弱い。売り文句にも、弱い。
その日の晩、机の上に帽子を出して、頭を抱えていた。やったよ。やっちまったよ。良い品ではあるよ?艶もあるし重量感もある。長持ちしそうなオーラがある。けど、帽子かぁ、ぁぁぁ、ああああああ!やっぱ雑貨にしとけば良かったってぇ。だってだって、気に入られなかったらどうすんだよぉ。もうバイトに行けねぇよぉ。最初思ったじゃん、服とか身につけるものはナシだろ、ってさぁ、分かんないかなぁ?!それなのに何だよ、帽子は別モンとでも思ったか?!一緒だよ、ちくしょう!髪をぐちゃぐちゃにする。どんなに掻き乱しても取り返しがつかないことは分かっていながら。あのさぁ、無反応で受け取られるくらいなら良いけど、もう最悪のケースとして、
「えぇ、いくらイッセーが非常識とはいえ、ここまでとは思わなかったよ。まだ関係が浅い段階で、帽子のプレゼントとは、いやはや、呆れを通り越して、もはや称賛に至るよ。私では到底及ばないね。さて、これはイッセーの常識レベルの指標として、ここに飾っておこう。何、被らないのかって?そんな訳が無いだろう。私にだって選ぶ権利がある。自分の趣味嗜好を捻じ曲げてまで、イッセーとの関係を保ちたいとは思わないね。もう、今日は帰ってもらっても構わないよ。ほら、行った行った。」
「言い過ぎ、だろぉ…」
脳内カズにノックアウトされた。顔を覆ったままベッドに寝転がる。脇目で机の上を見る。不可思議な白が映る。実際、どうする?無理くり返品に行く?わけない。非常識過ぎる。あの店員さんも喜んでくれたんだ。あの厚意を無下には、できんよなぁ。他のプレゼント探す?これは無かったことにして。でも、六千円プラス消費税だぜ?勿体無いよなぁ。俺使わんし、母親にあげたくもないし、そうなるとタンスの肥やしになるだけだ。それも嫌、だ。
「カズ、頼むよぉ。お前のためだけじゃない、俺のためにも、何も言わず受け取ってくれぇ…」
嘆きが虚しく部屋に響く。この時初めて、バイトに行くのが、ちょっと嫌になった。
それからというもの、相変わらずバイトに励むものの、カズに誕生日のことは聞けないでいた。せめて、俺の態度で、何か誕生日に用意してるのがバレるのは避けたい。恥の上塗りになってしまう。
「こっちをちらちら見て、どうしたんだい。何かあるのかい?」
こんな感じで俺がソワソワしているのがバレる時もあった。そんな時俺は、
「いや、デカ棚もあらかた片付いたし、床の掃き掃除も終わった。次はどこを片付けようかと思って、な。」
「そうだねぇ、私的にはもう十分ではあるけどねぇ。」
話をはぐらかしてしまう。俺がもっと女性慣れしてる優男だったら、自然に好みを聞けたんだろうか。そんな言い訳ばかり募り、時間は無情にも過ぎていく。
そうして誕生日当日を迎えた。あれから一回アキラさんと電話する機会があり、誕生日がこの日で合っているか確認した。今日で間違い無い。
「何用意したんだ?え?」
何度も聞かれたが、のらくらり誤魔化した。本人より先に公開するのも嫌だし、それに自分のセンスを否定されたくもなかった。朝起きると身体がだるい。瞼も重い。まだベッドで横になりたいが、時間は待ってくれない。しぶしぶ起き上がる。帽子を入れた袋をもって登校する。かなり足取りが重い。何度も、今すぐ引き返して帽子置いていこうか、と思った。だが、もうどうにでもなれ、という投げやりの思いもあり、ついに帽子を持ったまま学校に来てしまった。しょうがない。俺は良くやったよ、うん、良くやった。俺なりに頑張った結果だ。どんな反応だろうが、もう受け入れるしかない。
できれば、気に入ってはほしいけど。やきもきしながら授業を受けた。
放課後になった。いつも通り、校門で待ち合わせる。今日は俺のが早かった。袋の紐を握る右の掌に汗が滲む。カズに紙袋を指摘されるか?指摘されたとして、何て答える?誕生日プレゼントとバレないようにするには、もはや限界か?あれこれ考えてしまう。が、持ち前のポーカーフェイスを活かして、なんとか表面化しないよう格好つける。やがて、いつも通りのカズが、目前に現れた。
「待たせたね、行こう。」
今日が十七歳になる記念日だというのに、特にテンションも何も変わっていない。紙袋にも疑問を持たず、スタスタと歩いていく。俺の気も知らないで、全く。動揺を悟られないようについていく。渡すタイミングは、やっぱり小屋についてからか。着いてすぐ渡した方が楽だな。いやでも、待て!それで気に入られなかったら、そこからの時間かなり気まずいぞ。
「渡したから帰るわ。」
って言って逃げるか?いやぁ不自然も不自然、後日気まずくなるだけだ。だったら、帰る直前に渡すのが安牌か?そうかもな。逡巡する。
小屋に着く。道中、カズは自分の誕生日について言及しなかった。自分から言うとがめついかもしれんしな、妥当だ。中に入り、いつも通り互いの席につく。少しもしないうちに、カズはやはりスコープを覗き始めてしまった。
カ、タ
かすかな音を立てて蠢く針先。どんな文字を描き、どんな文を綴るのだろうか。肉眼では捉えきれないダイヤの表面を見ていると、常々想像が掻き立てられる。俺がバイトを始めてから、カズはいくつものダイヤに文を彫ってきた。納品完了のチェックが入るたび、その努力量が可視化されていたたまれなくなる。尊敬もある、感謝もある。だから、せっかくだから、俺なりにでも、祝ってやりたい。のだが、ううむ、タイミングが難しい。机の上に紙袋を置く。もしカズがこれに気付いて、
「中身は何だい。」
とか聞いてくれれば、もうそれきっかけで渡してしまって、良いんだけどなぁ。願いつつ、パソコンを立ち上げた。
ダメだ、こいつ興味示さねぇ。進展無いまま二時間が経過。そろそろ帰る時間。カズは特に俺に声を掛けるこたもなく、引き続き集中して彫っている。帰りたきゃ帰って良いよモードだ、こらあかん。
はぁ
溜息をつく。もう、覚悟、決めないといけない、な。
パンパン
顔を両手ではたく。眉間に力を入れる。もう一度、ふっ、と息を吐く。良し。ガッ、と右手で紙袋を掴む。ゆったりとした足取りで右、左と着実にカズに近付いていく。触れられそうな距離まで来たところで、足を止める。紙袋を机の上に置く。ここまで来てもカズはスコープから目を離さない。俺が近くにいることは分かっている上で、だろうな。顔が熱い、いや、身体全体が熱い。これから始まる審判の時に、全身が燃えるようにけたたましい。ふぅ。目を閉じる。瞼の裏に白が浮かぶ。大丈夫だ、どうなれど、俺は俺でしかない。目を開ける。
「カズ。」
自然に声を掛けられた。カズは、驚く様子も無く、ゆっくりとスコープから離れ、まるで眠そうに目を擦りながらこちらを向く。その仕草、本当に猫っぽいな。
「何、だい。」
はぁ。大体察してるくせに、さ。
「これ、を。」
ずい、とカズに袋を押しやる。緊張のせいで、結構強めに押しちゃって、袋がくしゃってなっちゃった。カズはちょっと狼狽えながら、袋を受け取る。
「?んん?これは?」
驚きを隠せないらしい。袋と俺の顔を交互に見やる。
「誕生日。」
「え?」
「誕生日、何だろ、今日。だからっ、だからだ。」
端的に返事をする。これ以上は無理。
「あぁ、そうか。そうだったねぇ。あれ、イッセーに言ったことあったかな?」
「あれ、アキラさんから。」
プレゼントの催促までされたからな。そう言うとカズはちょっと眉を潜めた。
「あー、全く彼はねぇ、お節介というか何というか…気を遣わせてしまったね。」
「別に、良い。」
目線を僅かにカズの目から逸らしつつ返事をする。心臓がバクバクする。まだ審判フェイズは始まったばかりだ。
「つまりこれは、イッセーから私へのプレゼント、だと。」
「ああ。」
「なるほど、そうかぁ。」
そう言って少し黙り込んだ後、
「予め言っておくけれど、」
「あ?」
何?何の宣言?
「この中身が何だろうと、その気持ちだけで私は十二分に嬉しい。私のためにイッセーともあろう人が時間を割いてくれた。その事実に、とてつもなく価値がある。」
「おぉ、おぉ。」
ガッツポーズをしそうになった。両腕を組んで抑える。はー、良い奴。良い奴で、良かったぁ。肩から力が抜ける。その言葉で大分救われた。本当だな?嬉しいんだな?この時点で、な?うーん、最高。もう大丈夫。審判フェイズ終了。身体から湯気が上がるかと思われるほど、熱が逃げていく。ふぅ。
「ちゃんと見てみても、良いかな?」
「もちろん。」
カズは袋を太腿に乗せ、両手を袋に突っ込み、がさごそする。数秒後、両手が取り出したるは、妙に白い塊。その全貌が露わになる。さぁ、一体彼女は、どんな反応をするのだろうか。思わず目を閉じてしまう。
「…。」
「…。」
三秒程過。声も上げない。
「…。」
「…。」
さらに三秒。カズは、帽子を手にしたままじっと見つめて動かない。え、ゑぇ?反応、無し?さっきあんなこと言っておいて?あぁ、とか、なるほど、とか言ってくれよ、なぁ!俺の顔も険しくなる。
「…。」
「…はは。」
声が漏れた、俺から。沈黙に耐えられなくなったのだ。
「何とか、言ってくれよ。」
それでもカズは黙ったまま。
「頼むから。」
声を絞り出して懇願する。
「…いや、ね?イッセーのセンスに、脱帽しているんだ。まさしくね。」
脱帽、感心すること。褒めてんのかどうなんだよそれ。
「どっちに、だよ。」
良い方に?悪い方に?
「無論、良い方に。」
パァァァ
SEが入るくらい、俺の表情が晴れた。あぁ、ああ!やったぞ、俺は!掴み取ったんだ、勝利を!っしゃあオラァ!ざまぁ見晒せ、世界!両の前腕に力が入る。解放された、もうガッツポーズが隠せない。
ふふっ
今度はカズから、笑い声が漏れる。何よぅ?口元に笑みを滲ませながら、
「やはりイッセー、君は稀有な人間だ。初めての誕生日プレゼントというだけで、ここまで私の想像を越えるとは、本当にあり得ない。流石だよ。」
ん?褒めてるん、だよな?
「そうだろう、どうだ、俺のセンスは。」
「抜群だ。実に良いものだよ、これは。と〜っても嬉しいさぁ。」
カズはウキウキしながら手で帽子を弄っている。どうやら本心で喜んでるようだ。その様を見てると、俺も顔がほころぶ。
「被ってみてくれ、折角だから。」
「そうだね、折角だ。」
カズが髪留めを下ろし、髪を整える。その仕草に若干のフェチズムを感じなくもない。両手が帽子を逆さまにし、つばを捉える。そのまま、ゆっくりとくるりんぱするように、被っていく。帽子中央の丸みが、頭とたっぷり重なる。被る深さを調整して、そして、満面の笑みを浮かべながら、俺と目を合わせる。
「どうだい?」
そう言うカズの顔は、実に、実に実に実に、可愛らしかった。単に恋愛感情の可愛いだけじゃなく、母性という観点からの可愛らしさが、そこには合った。ちょっと想像以上の破壊力ではある。にやけそうになる俺の顔を右手で鷲掴みにして食い止める。
「…似合ってますぅ。」
「そうか、それは良い。鏡でもあれば良かったんだけどね。」
カズが部屋を見渡す。連動して頭が振り動き、帽子を被ったカズの頭が後ろまで見える。よ、良い。サイズもちょっと大きいか?くらいで問題無い。黒髪と白帽子のコントラストもバッチグーだ。互いを引き立たせている。そして少し陰が落ちるカズの顔は、いつも以上にミステリアスな美しさが演出される。ふぅ。ふ、服が制服だから、そことのミスマッチは否めないが、まぁ、好きな私服と合わせて貰えば良いだろう。
「スマホで見れば良いんじゃないのか。」
見え方を気にするカズに提案する。
「おぉ、そうだね、カメラを使えば良い。」
いそいそとスマホを取り出し、自分に向ける。すると、
「おぉー…。」
感嘆の声が響いた。どうだ、やっぱり良いだろう。
「自分の顔というのはこんなにまじまじとは見たくないね、やめよう。」
さっとスマホを伏せる。何でだよ。帽子を見ろよ。
「でも、この帽子は雰囲気が良い。私に合っていなくもない。気に入ったよ。」
ちょいちょい、とつばを触りながらそう言う。
「そうか、何よりだ。」
はぁー
溜息をつき、天井を見上げる。灰色。終わった、無事に。結果として、俺の心配は杞憂だった。俺のセンスは、間違っていなかった。心臓に悪かったが、良い経験になった。人間関係のスキルも、大きく成長したような気がするよ。背中や脇にじっとり湧いた汗も、引っ込みがついたようだ。
「ねぇ、これ、いくらしたんだい?」
「ん、問題か?」
「まぁ、気にはなるよ。この帽子、生地もしっかりして丈夫そうだし。安くはなさそう、と思ってね。」
値段か。どう答えるべき?正直に言う?嘘をつく?はぐらかす?この先俺達の関係において、最も効果的な選択はー?脳内コンピューターが答えを弾き出す。
「え、あぁ、五千、五千円くらいだった。まあまあだよ。」
思いやりの千円割引してやった。どうよ?カズは一旦帽子を脱いで、
「なるぼど、五千円か。まぁそれくらいするのか。にしても、初めてのプレゼントとしては、ちょっと高かったんじゃないかい?」
確かに、大人ならいざ知らず、高校生が初めてのプレゼントで五千円はなかなか踏み込んでる。だがしかし、俺にはバイト代もあったからな。値段は屁でも無い。
「そうかもしれん。だが、喜んでくれた。良かった。」
「うん。本当に、ありがとう。」
その笑顔、プライスレス。どういたしまして。
これにて、誕生日プレゼントの変は終わった。俺は軽い足取りで帰路につき、夕飯を食べ、風呂に入る、勉強はそこそこにしてベッドに潜る。今日は良い夢、見れそうだ。
「待った。」
んん?!もう締めようとしてたのに。ドアノブに手をかけたところで呼び止められた。
「何?」
「いや、よく考えてみたんだ。困ったことがある。」
カズは顎に手をやり、名探偵チックな表情を浮かべてる。な、なんだよ。不穏じゃねぇか。まさか、今更帽子にケチつける気か?
「服が無い。」
「は?」
「服が無いんだ、これに合う服が。」
帽子を指差す。へぇ、はぁ、そうなんですか。無いんですか。それで?
「それで、何だ?俺に何が?」
「だから、買いに行く必要がある。」
「そうなんだな。」
「うん、だから買いに行こう。」
「そうか。」
…?語尾に違和感が?察して、背筋が凍る。
「行こ、う?」
俺の声が震える。まさか…?
「今度の土日、空いてるかな?一緒に、これに合う服を買いに行こう。イッセー、君のセンス、頼りにしてるよ。」
ばちこんっ
ウインクが星を散らす。瞬く星に脳をやられたのか、言われてることが分かんない。馬鹿になっちゃったおれぇ。
「ゑ?」
「ゑ?とは何だい。行こうよ。あ、用事があるかい?」
「いや、ん?いやぁ?無い、無いはず。どっちにも。」
「そうか、じゃあ、とりあえず土曜日にしておこうか。」
いや待って、待って?何の、何の話?
「服、服を買う?」
「そう。」
「お前が、買うのについていく?」
「買うのは私だけど、イッセーも選んでおくれよ。」
「へぇ、俺、俺も?」
「そうだろう、だってこれは、イッセーが選んだんだから。服も選んどくれよ。」
帽子をつんつんするカズ。ん、おぉ、俺、俺が、選ぶ?何を?服を?自分のも選んだことほとんどないのに?お母さんに選んでもらってばかりの、この俺の、服のセンス?そりゃ帽子は俺のセンスかもしれんけど、あ、ありゃ?センスって、何だっけ?頭の横でひよこが踊るほど混乱している俺をよそに、
「じゃあそういうことで。詳しくは後で決めよう。メッセージ送るよ。」
バタン
何も分からないまま小屋を出て、駅に向かって歩いた。蒸し暑さが抜けない、夜の道。小煩く感じる虫の音を聞いてるうちに、整理がついてくる。そして、理解した。どど、どに、どにち?に、に、いいっ、いっ、しょに、いっしょに、いっしょに、ふく、ふふくを、をっをっ、おおおれ、おれおれおれ、おれの、っせんすぅ、せんすで、かう、だっとおおおおおおぉぉぉぁぁああああ?!
油断していた身体にとんでもないカウンターパンチをもらった。審判の時、再び。センスが試されるセカンドシーズン、開幕。