14
ある村で起こった行方不明事件。被害者はある家族。父、母、一人息子の三人。村でのダム建設を巡って反対運動が激化する直前に家族は夜中に自家用車で村から脱出しようと試みたようだが、それ以降、行方が分からない。村の中では「村を捨てようとしたせいで、山の神様に祟られた」とまことしやかに囁かれている。しかし、この行方不明事件はある証拠をきっかけに殺人事件として扱われた。
「三人の死体が見つかった――そうですね?」
「…………ちがう」
項垂れ、否定する未来に構わず、涼佑は「そして……」と境内の隅を指し示す。そこには竹林があり、更にその奥を彼は指し示しているようだ。あそこに何があるのか、涼佑も真奈美も巫女さんも、そして、未来にも分かっていた。
「遺体はあの竹林に隠された井戸から見付かった。三人分の白骨死体が井戸の底から出てきた、とここには書かれています」
「ちがう! ちがう! ちがう!」
「そして、被害者家族の一人息子、清くんはあなたの好きな人だった」
「ちがうぅぅううううううううううっ!!!!!」
涼佑は始め週刊誌記事を手に取った時、その本文を読み、その脇に掲載されている被害者家族の顔写真を見て、そして、今、未来の反応を見て、確信した。直前に幼いみくが告白した相手、それがこの事件の被害者である長谷川清だった。記事には村を捨てようとした裏切り者として村人によって殺され、証拠隠滅を図ろうと遺体は井戸に投げ込まれたとある。容疑者も捕まっており、やはりマスコミと警察の見解通りの結果だった。村ぐるみの犯行で、村長の指示の下、若い男達数人で実行に移した。これはその当時のことを扇情的に書いた記事だ。しかも、村長の名字は――
「実行犯は村の若い男数人だけど、この家族の殺人を指示したのは当時の村長で、名字は……」
そこで涼佑は口にするのを躊躇った。良いのか、と自問する。地面に頭を擦り付け、「違う違う」と泣き叫んでいる未来を見ていると、自分まで辛くて苦しくて、息がし辛くなってくる。でも、言わなくちゃと思う。ここで言わなければ、直樹達も自分達もこの悪夢から出られない。逃げることは許されない。苦しくなる胸を押さえる涼佑の肩に真奈美が触れる。彼女の方へ目を向けると、真奈美は勇気づけるように頷いた。その切なくも覚悟の決まった顔を見て、涼佑は強張る口を無理矢理動かして言った。
「一橋――村長の一橋和之が指示したことだった……!」
いちはし。最初に未来が名前を訊かれた時に口にした名字だ。
他人が聞けば、「ありふれたよくある話」で終わるだろう。当時、都会から引っ越して来た少年と村育ちの少女が互いに惹かれ合い、恋をした。しかし、大人達の事情で二人は引き裂かれた。それだけの話だと。それでも、未来にとっては最も大切なものだった。失いたくないものだったのだ。だから、二度と失わないように、何一つ無くさないように、彼女はこの夢を造った。それが今、瓦解しようとしている。
絶叫が境内に溢れた。身を引き裂かれんばかりに慟哭する未来へ、涼佑は言葉を掛け続ける。
「だから、あなたはこの世界を造った。もう誰も失わないように、もう誰もここから出られないように。でも、あなたの心には『何かを失った』という喪失感が常にある。失うということ自体はこの世界でも避けられない。その条件が『転んだら死ぬ村』なんだ。あなた自身が感じた挫折と絶望を他人にも味わわせる為……」
「そして、この怪異の原因となった場所に迷い込んだ者の魂は溜まる。あの井戸にな」
この話はここに来る前、巫女さんに聞かされたことだった。川の先がどこにも繋がっていないのなら、怪異は流れる魂を必ずどこかに保管しておかねばならない。この怪異が人の霊ならば、他人の体から魂を抜いたとしても、それを食うということは巫女さんのようなかなり特殊な霊でもない限り、できないからだ。死に誘うことはできても、それを取り込んで己の力とするのは、並の霊ではまずできないらしい。なので、涼佑達のような迷い込んで来た外部の魂を保管する必要がある。そして、それは全ての原因となった、犯行現場である井戸の底だろう、というのが彼女の見解だった。怪異というのは、発端となった要因と必ず繋がっている。その繋がりを断ち切ることは巫女さんがいつも振るっている霊刀『滅丸』以外にはできないのだという。
今回の場合、全ての原因となった場所に魂を保管し、自分の弱点を晒す代わりに人質にでもしようとしていたのではないか、というのも彼女の考えだ。実際にそういう行動に走らないよう、涼佑は言葉を続ける。
「でも、未来さん。もう清さんはここにはいないんだ。遺体は遺族にちゃんと供養されて、天国であなたを待ってる! あなただって、こんなところでずっと苦しんでいるのは違うって思ってるんじゃないですか?」
実際に清がどうなったかなどは分からない。しかし、今はそんなことは関係無く、僅かながら成仏への可能性があるなら、涼佑はそれに懸けたいと思った。想い合う魂の片割れが、こんなところにずっと縛られているのは哀れにも思ったからだ。
未来は涼佑の話を聞いているのか、いないのか、彼が話している間もずっと苦しげな呻き声を発し、地面に頭を擦り付けるようにして蹲っている。自分の言葉が本当に届いているのかは涼佑にも分からないし、自信も無い。それでも、自分にできることは説得することだけだと、彼は諦めなかった。
「だから、もう終わりにしましょう? こんなことをしていても、清さんはここに帰って来ません」
その言葉に未来の声が途絶えた。やっと自分の声が届いたのかと、涼佑は近付こうと一歩踏み出した。
「涼佑、下がれっ!」
巫女さんの声が飛んだが、間に合わなかった。涼佑が一歩、未来に近付いた瞬間、地面から木の根のようなものが伸び、涼佑と真奈美の足首に巻き付いて固定する。それに気を取られていると、涼佑達の上に影が差した。振り返ると、境内の入り口に立っていた鳥居がゆっくりと倒れてくる光景が見えた。このままでは押し潰されると思った涼佑は、急いで足首に巻き付いた根を剥がそうとするが、抵抗すればする程、巻き付く力がきつく強くなり、引き剥がせそうにない。未来へ向けようとした滅丸を涼佑達の方へ向け、巫女さんは彼らの死首に巻き付く木の根を斬って「走れ!」と叫んだ。二人が鳥居が届かない場所まで逃げるのを見届けて、巫女さんは未来へ刀を向ける。
「ここは私が引き受ける! お前達は井戸へ行け!」
「わ、分かった!」
「誰も……この村からは、出られない」
未来が発したそれが何かの宣言だったかのように神社の様相が変わる。さっきまで静謐だった空気は重く陰鬱になり、空は不気味な赤紫に染まり、歪な赤い月が浮かぶ。社殿はぼろぼろの廃墟と化し、地面からはあの腕達が生えてきた。未来の姿は段々と年を取り、最早老婆を通り越して真っ白な骨を赤い月光に晒した。
「誰一人、逃がすものか」
「とうとう妖域を現したか! 良いぞ、相手になってやる!」
巫女さんが未来の相手をしている間に、涼佑と真奈美は竹林の中に隠された井戸へ向かう。途中、何度かあの腕達に捕まりそうになったが、その度に二人は蹴り付けたり、石を投げたりして何とか捕まらずに走り続けた。殆ど飛び込むようにして竹林へ入り、竹の間を進みながら、井戸を探す。何度か竹の間を通り抜けた時、出し抜けに井戸が現れた。