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幽霊との夜

「これは全て夢だ! そう夢なんだ!」
 吉保が自分に言い聞かせ、何とか眠りにつこうとした時だった。
 不思議な香りがした。蓮の花の香りに似たような? これは先ほど、由希の部屋に漂っていた香ではないか。やはり平安時代に使われていた香であるはず。
「己! 何奴!」
 吉保は思わず叫び、そしてはね起きる。と同時に、強い力で背後から羽交い絞めにされた。
「そなたは、わらわの初恋の思い人に似ておる!」
 由希の声だった。由希は髪を激しく振り乱しながら、吉保にまとわり付いてくる。
「何も抵抗することもあるまい! これより男として最高の快楽をくれてやろうというに!」
 由希の手が、吉保の下腹部にゆっくりとのびてくる。吉保も武士として相応に鍛錬をつみ、決して非力ではなかったが、由希の力はやはり人間のものではなかった。
「己! 化物!」
 吉保は、かろうじて布団の下に隠してあった小刀を手にする。保明の苦しまぎれの一撃は、由希の胸のあたりを刺し貫き、次の瞬間由希の姿は消えた。
 顔を青白くし、髷を乱した吉保は、しばし仁王立ちとなる。そして周囲を見回す。やがて、力尽きたように布団にごろりと横になった。ところが事態はこれで終わりではなかった。
 不意に周囲に、不気味な笑い声が響き渡った。次の瞬間には、畳の下から無数の手が伸びてきて、吉保の全身にまとわりつく。吉保は悲鳴をあげるも、ほどなく快楽が全身が支配しはじめる。
 ついには抗うすべを失った吉保は、掛け布団の上に何やら重い感覚を覚えた。由希だった。不気味な薄ら笑いを浮かべた由希が、吉保の足の指の付け根に噛みつく。この時、吉保は官能が脳天まで一気につきぬけた。間もなく吉保は快楽と陶酔の奴隷になっていく……。
 吉保は次第、次第に由希の体に深入りしていった。相手が幽霊であるにも関わらず、不覚にも二度、三度と関係をもってしまう。やがて夜も更けた。


「そなた何故、成仏することもできずに、現世をさまよっている?」
 と寝所で、吉保は由希の胸をなでながらたずねてみた。
「憎き仇がおるのです。その者に復讐をはたさぬ限り、わらわは成仏できぬのじゃ!」
 と由希は、こころなしか表情をこわばらせていった。
「人はおよそ、七百年の歳月を経て生まれ変わると仏が申しておりました。そろそろ憎き仇が、世に再び生をうけてもおかしくないはず」
「なんと七百年とな? はるか王朝の昔ではないか。驚くべき執念であるな」
「何、一度魂のみとなってしまえば、千年でさえ一睡のこと」
 と由希は、何かを憂えるようにいった。
「しかし当てはあるのか? その仇とやらがいずこへ生まれ変わるか?」
「詳しいことはわからぬ。すでに生まれ変わっておるやもしれぬ。もうじき生まれ変わるかもしれん。あれいは生まれ変わることができず、何者かに憑いていることもありうる。ただ人は皆、来世よりの縁によって結ばれておる。私の魂がここにある限りは、必ずその仇とまみえる時がくるのじゃ」
「人と人との縁とはかように長く続くものなのか? はるか数百年の時を経ても、なお続くものなのか?」
「先ほども申したが、この世のことは全てが不確か。確かなものなど一つもありませぬ。私がかって生きていた世も不確か、今の世も不確か、今宵の月でさえ誠であるとは断言できぬ。
 なれど人と人の縁だけは、それが良いものであれ、悪いものであれ偽りなきもの。わらわと、そなたが今宵交わっておるのも、何らかの因縁によるものじゃ。そしてそなたは……永久に私から逃れることはできぬ」
「どういう意味じゃ?」
 と吉保は、半ば恐れをいだきながら聞いた。
「私は一度人と交わると、その者がどこにいようと、その者の側近くにいることができるということじゃ。これだけは覚えておくがよい。そなたは私から離れられぬ。そなたがどこで何をしていようと、わらわはそなたの近くにいる……」
 そこまでいうと、由希は突如として一羽の蝶になり夜の闇に消えた。

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