誘拐放送
「お連れ様のお呼び出しを申し上げます。本館1階サービスカウンターにて、青いズボンに白い服を着た6歳の男の子、はる君をお預かりしております。お連れ様は至急、身代金一億円を用意して本館1階サービスカウンターまでお越し下さいませ」
スピーカーからそう聞こえてきた時には耳を疑った。
身代金……あまりデパートで聞く言葉じゃない。
いたずらだろうか、それとも何かイベントのようなものなのだろうか。
どちらにしても面倒なことには関わりたくない。
普段ならそう言って無視しているところだが、今回はそういうわけにもいかない。
今の放送、どう考えても俺の息子のことだ。
今日俺は息子と二人でデパートに来ていた。
その息子の姿が先ほどから見えない。
少し目を離した隙に迷子になってしまったようだ。
放送が終わると同時にデパート内がなんだかざわざわし始めた。
皆、近くにいる互いに名前も知らない人と顔を見合わせて首を傾げている。
俺は戸惑ったが、とりあえず1階のサービスカウンターとやらに行ってみることにした。
一億円なんて持っていないが、行くしかないだろう。
歩き始めてすぐに気づいた。
俺と同じ方向に進む人が明らかに多い。
野次馬根性を持った人たちだろう。
ちょっと恥ずかしい気持ちになったが息子を取り戻すためだ。
仕方がない。
俺の息子、はるは賢い子だ。
以前このデパートに俺の妻、つまりはるにとっての母親と一緒に買い物に来た時には、巧妙な手を使ってノートパソコンを買わせたらしい。
ぬいぐるみを買いに行くと言って出掛けた二人が、ノートパソコンを抱えて帰ってきた時は驚いた。
妻はどうやって言いくるめられたのかを決して話そうとしなかったが、しきりに
「悔しい。負けてしまった。あれはズルい」
と言っていた。
あの歳でなかなか侮れない子だ。
そんなはるがデパートで誘拐されて、サービスカウンターというところに捕らえられている。
はるのことだから泣いたりはしていないだろうが、きっと怖い思いをしているに違いない。
早く助けてあげねば。
サービスカウンターに辿り着いた俺はさっそく係員に詰め寄ろうとしたのだが、人がごった返していて全然係員の元まで行けない。
放送を聞いた野次馬たちが集結しているのだ。
どうにか人を押しのけるようにして係員の目の前まで行き着いた俺は単刀直入に訊いた。
「さっきの放送、あれは私の息子のことです。息子はどこですか?」
野次馬たちから歓声のような声が上がった。
「親御さんが来たぞ!」
「どうなるんだろう」
そんな言葉がどこからともなく聞こえてくる。
係員はニッコリと笑った。
「はる君のお父様ですね。身代金をお預かりいたします」
手を差し出してくる係員に対して俺は首を横に振る。
「そんなものはありません」
「では、お子さんをお返しするわけには参りません」
係員は手を引っ込めながらきっぱりとそう言った。
「返してください!」
「それならば身代金を」
「一億円なんてありませんよ!」
「ではいくらなら出せますか?」
俺は財布を取り出した。
……。
三万とんで五百円。
全然足りない。
「三万にまけてください」
「無理です」
「じゃあこのクーポン券で99.999%オフにしてください」
「なりません」
「ッ!」
ちくしょう。
この係員、話が通じない。
野次馬から俺に味方するようなヤジが飛ぶ。
「おい! まけてやってもいいじゃないか!」
「可哀想だろ!」
「そうだそうだ!」
「そんなことより最近野菜高すぎる!」
「肉も高いよ!」
「知らねぇよ!」
「知らねぇじゃねぇ!」
そんなヤジも気に留めることなく、係員はニコニコしながら
「身代金をお支払いいただけなければお子さんをお返しするわけには参りません。……はる君がどうなってもよろしいのですか?」
と言って、ポケットからスマホを取り出した。
画面は通話中になっていて係員がスピーカーのところをタップすると、はるの声が聞こえてきた。
「おとーさーん。タスケテー。コワイヨー」
「ッ! 待ってろはる! お父さんが助けてやるからな!」
俺がスマホに向かってそう叫ぶと、係員は赤いボタンのところをタップして通話を終了した。
「どうしますか?」
係員は改めて俺の顔をじっと見つめて問うてきた。
「……分かりましたよ。一億だろうが二億だろうが、はるの命には代えられない。私が死ぬまでにどうにかして払うので、はるを返してください」
俺が言い終えると同時に明かりが消えた。
真っ暗になった店内にざわめきが広がる。
突然、シルクハットを被ったはるがスポットライトに照らされて現れた。
そして歌い出した。
「おと~さ~ん。ありが~と~。嬉し~言葉を~ありが~と~」
俺はなんだかよく分からなかったが、とりあえず
「ど〜いた〜しまして~」
と返した。
はるはそれを聞いてニッコリと笑うと、野次馬の方に向き直って手を一度叩いた。
「はいっ! 皆様いかがでしたでしょうか。今回のこれ、実はドッキリでした~」
はるが司会者のようにそう告げると、野次馬たちの間にざわめきが広がった。
「ドッキリ?」
「なんだなんだ?」
「どういうこと?」
「帽子似合ってるぞ坊主!」
「仕上がってるよ!」
「ナイスバルク!」
俺は混乱していた。
先ほどまで話の通じなかった係員もにこやかに拍手している。
はるが説明を始めた。
「え~今回のドッキリはですね。ここにいる僕の父に誕生日プレゼントを贈るためのものでした。サプライズというやつですね」
またヤジが飛ぶ。
「そういうことか~」
「いい息子さんじゃないか」
「ナイスバルク!」
はるが説明を続ける。
「このドッキリ自体は誕生日プレゼントを買うための資金を得るために、お店の方に協力を仰いでやらせていただいたものです。何が言いたいのかと言うと、僕が父へのプレゼントを買うために、皆さんからお小遣いを寄付していただきたいのです! チップというやつなんですかね。よく分かりませんけど。とにかく、この帽子にお金を入れていただけると嬉しいです!」
そう言ってはるはその場に帽子を置いた。
野次馬たちから大きな笑いが起こった。
そして次々に帽子へと小銭が投げ込まれる。
中にはお
五千円札を入れた男がはるに向かって言った。
「坊主の行動力に胸打たれたよ。ナイスバルク」
はるは笑顔で
「ありがとうございます!」
と言って頭を下げた。
しばらくして野次馬たちが散り散りにどこかへ去ってしまってから、俺は若干呆れながらはるに言った。
「はる、これ一人で全部考えたのか?」
「うん! お店の人にお願いしたら快諾してくれたんだよ!」
「そうか。お父さんのためにありがとうな」
「いいよ。お父さん今日誕生日だからね。お父さんも気になるだろうし、僕の今回の計画の全容を話そうか?」
「ああ。頼む」
はるは得意げに説明を始めた。
「まず館内放送でお客さんたちが興味を惹かれるような内容を放送してもらう。そうすることで野次馬を集めたんだ。サービスカウンターの係員さんに一芝居打ってもらったのは野次馬たちをより引き込むため。そうしてお金を集めてお父さんが前から欲しがってた高級万年筆をプレゼントしたかったんだ」
「……そうか」
なんというか、すごい子だ。
「それにしてもこんなにたくさんお金が集まるなんて思ってもみなかったよ。感謝だね」
俺はそう言って笑うはるの頭をくしゃくしゃと撫でた。
はるはくすぐったそうに首を引っ込める。
そして子供らしい元気な声で言った。
「じゃあさっそく万年筆を買いに行こうよ!」
「ああ。そうだな」
俺たちは手を繋いで、いつもより少しだけ早足で歩いて文房具屋へ向かった。