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第8話

「よく食べるわね」不意にキオスは背後から声をかけられた。
 振り向くと、立派な牙を持ったひときわ大柄なサバンナゾウがそこにいた。
「リーダー」今まで話していたサバンナゾウがキオスの代わりに呼び返し、気を遣ってかもぐもぐと口を動かしつつその場から立ち去った。
「こんにちは」キオスはぺこりと頭を下げた。
「乳は飲まないの?」リーダーはそう質問した。
「──」キオスは一瞬きょとんとしてしまったが、自分がこの群れの中においては『子ども』なのだということをすぐに思い出し「あ、いえ、飲みません。ぼくは草や葉っぱを食べます」と答えた。
「そう」リーダーの鼻もまたよく動く鼻だ。それは今、まるで独自に何かを考えてでもいるかのように、くるん、くるんと回転していた。
 キオスは次第に緊張が高まるのを感じた。何を思っているのだろう──この鼻は──じゃなくて、このサバンナゾウの群れのリーダーは。
「あなたは、どこから来たの?」ついにその問いが出た。
「──え」キオスは一瞬、なにを言われているのかわからない振りをしようかと思った、だがそれはできないとすぐに悟った。
 あなたはどこから来たのか──それは鋭い問いかけだが、同時にこの群れのリーダーから向けられる、最大級の誠実さの表れだ。
「──ぼくは、他の星から来ました」キオスはおずおずと答えた。
「星? 星って」リーダーはぶんと鼻を振り上げながら空を仰いだ。「あの、夜に見える星?」
「はい、そうです」キオスも頷き、一緒に空を見上げた。ちょうど太陽が地平に向かって下降し始めたところだ
「へえ」リーダーはまたキオスに視線を戻した。鼻がゆらゆらと揺れる──かと思うと不意にそれはキオスの方へ伸びて来て、キオスの頭にちょんちょんと触れた。「じゃあ、私たちとは違う種族なのね?」
「──」降参だ。「はい」頷いたまま顔も上げられず、キオスはうつむいたままリーダーの鼻に頭を撫でられつづけた。
「まあ、どうりで」リーダーは溜息交じりに言った。「誰に聞いても、あなたを産んだ憶えはないって答えるわけだわ」
「──」
「乳も飲まないし」
「──」
 どうなるのだろう。キオスの拍動は最高潮に高まった。どう、されるのだろう。サバンナゾウは草食のはずだから、まさかぼくを叩きのめして食らいつくなんてことはないのだろうけど──少なくとも、もう群れにはいさせてもらえないんだろうな。追放だ。ぼくは一人ぼっちで、また必死に捕食者の目につかないよう逃げ惑い息を潜める生活に戻らなくちゃならないんだ──
「まあ、大きくなるまではここにいたらいいわ」リーダーの言葉はそんなキオスに生きる道を示してくれた。黄金に輝く道を。
「えっ、いいんですか? ゾウでもないのに?」キオスは思わず叫んだ。
「大きくなるまではね」リーダーはキオスから鼻を離してウインクした。「私たちは基本的には雌と子どもの群れだから」
「はい」キオスは大きく頷いた。自分は恐らく、このリーダーが考えているほど『大きく』はならない。だが今しばらくは、ここにかくまってもらおう。お言葉に甘えて。
 そして次にリーダーが怪しく思うようになるまでには、なんとか元いた星につれて帰ってもえらえることを、信じて祈ろう。
 きっと、来てくれるはずだ。あの小さい存在の誰かが。

          ◇◆◇

 コスの無事を確かめることができた後、レイヴンは再び地上を目指して下降した。
 上空から見下ろした時に見つけた、フェアリーサークルがヒントになったのだ。はるか遠くにまで広がる草の上、見事なほどに一定の間隔で開けられた、穴たち。
 空からではなく、地下から当たりをつけよう。
 何故ならキオスは恐らくゾウの群れと共にいると思われ、そのゾウの足の下には彼らの食生活を支える存在がいるからだ。
 サバンナの植生を潤す存在。それはシロアリだ。
 レイヴンはシロアリと交渉したことがなかった。彼らがどういうスタンスで組織を運営し、活動し、何を目指し何を是とするものなのか、有力な情報は持ち合わせていなかった。
 なのでこれはある意味『賭け』だった。
 草の生えているところ、その下に彼らの巣がある。レイヴンは砂──彼にとってはまさに岩石群──をかいくぐり、迷宮を目指した。
「侵入者発見!」
 たちまちアラートが鳴り響く。
「BZQ六三〇八五一、未確認生物の侵入あり!」
「近傍区域担当者はただちにスクランブル体制始動!」
「囮、現地へ!」
 ほんの数回瞬きする間に、何か見えない動きがそこかしこで走り始めた。
 一体何の騒ぎだ──侵入者? 未確認生物? って──ぼくのことか?
 レイヴンが困惑と混迷の中視点を定められもせず狼狽えていると、突然一匹のシロアリが目の前に飛び出して来た。
 それはまさに、地下迷宮の闇の中から突如として姿を現したのだった。まるで廃墟にて出くわす亡霊のように。
「うぎゃあああッ!」レイヴンの恐怖の叫びはカンジダに出くわした時の比ではなく、それはもしかすると彼の寿命を何パーセントか削り取ったかも知れない。「わあああッひいい──ッ!」
「──」シロアリは無言でレイヴンを見下ろし、無表情にその悲鳴を聞いた。
「あう、えう、おう、あひひひ」だがそのおかげでレイヴンのパニックも急速に沈静化することができたのだ。「あの、えと」
「君は」シロアリは呼びかけた。「ネズミの仲間か」
「えっ」レイヴンは吃驚して我が身を顧みた。「ネ、ネズミでは、ないよ」
「ならば、我々を捕食する目的でここに来たのではないということか」
「捕食? 食べるってこと? 君たちを? まさか! とんでもない」
「承知した」シロアリはレイヴンの答えを聞くとただちに回答を寄越した。「改めて問う。君は何者か」
「──レイヴン」
「レイヴン」シロアリは復唱した。「ここへ何をしに来たのか」
「あのですね」レイヴンは今こそ目的を果たすべき時が来たとばかりに身を乗り出した。「あなた方が作っているフェアリーサークルのどこかに、ゾウの群れがいると思うんですが。ぼくはゾウ──仲間を探しているんです。あなた方ならゾウの居場所がわかるんじゃないかと思って」
「ゾウ」シロアリは復唱した。そしてレイヴンをじっと見る。
「きょ」レイヴンはひるまぬよう、だが喧嘩腰にならぬよう、コミュニケーションバランスに細心の注意をはらいながら依頼した。「協力、願えませんか」
 シロアリはさらにレイヴンをじっと見た。
 何か対価を支払えと言ってくるだろうか──レイヴンは今さらながら、自分の準備不足と、それにも関わらずこんな所へ潜り込んだ自分自身の無鉄砲さにげんなりした。
「いた」シロアリは突如回答した。「ARM一九〇三八二に、サバンナゾウの群れがいる。それがここから一番近い」シロアリはすらすらと位置情報を開示してきた。
「えっほんと?」レイヴンは信じられない気持ちに包まれた。「あ、ありがとう──でもあの、それはここから、どっち方面に行けばいいのかな。もしよければ、案内をお願いすることは可能──」
「こっちだ」シロアリは突如くるりと向きを変え、すたすたと歩き出した。
「あっ」レイヴンは慌てて浮揚推進し追った。「ありがとう、重ね重ね申し訳ない」
 シロアリからの回答はなかった。
 しばらくの間、右に左にてきぱきと曲がりつつ先へ進むシロアリの後ろを黙ってついて行ったが、ふと思うことがありレイヴンは声をかけてみた。「あの、君はぼくのことをネズミだと思っていたの?」
「思っていた」シロアリは歩をゆるめることもなく即座に回答した。
「それで、ぼくを、その──排除しようとしてやって来たの?」シロアリは一体、捕食者であるネズミに対してどんな撃退法を持っているのか? レイヴンはふと、そんなことに興味を覚えたのだった。
「排除しようとしたのではない」シロアリは否定した。「囮になるためにやって来た」
「囮?」レイヴンは浮揚推進しながら素っ頓狂な声を挙げた。「囮って、まさか」
「一人がネズミに捕食される間、他の者は退避する」
「そんな、じゃあ君は自ら喰われる覚悟で、ぼくの前に来たの?」
「我々の法則だ」シロアリは答えると同時に突如止まった。「着いた」
「──え」レイヴンも慌てて推進を停止した。「ここ……この、上?」見上げる。薄暗いが、遥か上よりほんのり光が差し込んでくるのがわかる。
 再び視線を下ろした時、もうそこにシロアリはいなかった。
「あれっ」レイヴンは最後まで困惑し通しだったが「あの、ありがとうね。また、いつかよければ会いましょう」と叫んだ。
 回答は聞こえて来なかった。
 ──法則か。
 レイヴンは首を振り、ともかくも地上に向けて飛び上がった。

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