第1話 潜入
鈴心が高校に編入するようになってから、皓矢は頻繁に自宅に帰って来るようになったと言う。母が珍しがってその理由を尋ねると、母からの言いつけを守っていると返事が返ってきた。
母はこれに気を良くし、毎晩皓矢の好物を山ほど作って食卓を彩るようになった。おかげで星弥も鈴心も少し太った、と星弥は困りながら笑った。
後で本当の理由をこっそり聞いて見ると、鈴心の体調が心配だし、最近詮充郎が研究室に篭りっぱなしで研究所に全くこないので補佐する仕事がなく、時間に余裕ができたのだと言ったそうだ。
それを聞いた
そして皓矢が頻繁に自宅に帰ることで、その予定は簡単に掴むことができた。
次の日曜日、皓矢は研究フォーラムに出席するために一日出張に出ることが決まっている。
◆ ◆ ◆
「こっちこっち」
星弥が鈴心を連れて自宅前の門の影から手招きをしている所へ、永と
「皓矢は出かけた?」
小声でスパイよろしく、永が確認すると、星弥も小さく頷いた。
「うん、今朝早くに」
「家の方から倉庫に行けるのか?」
背の高い蕾生は中腰に苦戦しつつもやはり小声で聞いた。腰を屈める必要のない鈴心がそれに涼しい顔で答える。
「ええ。もともと研究員は立ち入り禁止の場所ですから、こちらから回れるようになっているんです」
そうして四人は顔をつき合わせて互いに目配せする。
「じゃあ、レッツゴー」
永の囁きによる音頭とともに、一同はゆっくりと静かに移動を開始した。
「
永が背負ってきた竹刀入りの布袋を見上げて、星弥は初めて見る物々しさに驚いていた。
「まあ、武将の生まれ変わりとしては基本だからね。ちなみに弓道も習ってるよ」
少し得意げにしている永に続いて、蕾生も何故か誇らしげに言う。
「永に武器持たせたら、俺も簡単には勝てない」
「あのね、それ武器持ってる僕にも負けたことないっていう自慢だからね、ライくん」
「そうなのか?」
蕾生としては「永はすごいだろ」という意味で付け足したのだが、当の永はお気に召さなかったらしい。
その様子に星弥は思わず吹き出した。
「ふふ、いつかの逆だね」
複雑な顔の永と不思議そうに首を捻る蕾生、それを微笑ましく見ている星弥に、少し先行して歩いていた鈴心が緊張を孕んだ声で雰囲気を正した。
「おしゃべりはそこまでです。見えてきました」
その声に従って全員顔を上げる。
目の前には一軒家ほどの大きさの真四角な建物が立っていた。コンクリートで固められた、窓一つない丈夫な外見の周りには頑強な鉄のフェンス。さらにその上には忍び返しの有刺鉄線が伸びている。
永は眼前の状況を一瞥した後、想定内という表情で呟いた。
「なるほど、一般的なやつだね」
「どうする? ぶち破るのは簡単だけど」
冷静に言う蕾生の言葉に、星弥は内心驚いた。未だ蕾生の力がどれくらいなのかは見たことがないからだ。
星弥は不良をコテンパンにできる、と言ったような凡庸な想像しかしていなかった。
人知れず動揺する星弥を他所に、永は蕾生と相談を続ける。
「それだと派手だなあ。どこかの面に入口があるんじゃない?」
永の予想通りの答えを、先んじて建物の周りを一周してきた鈴心が持ってきた。
「ハル様、こちらです」
その案内に従って少し回り込むと、フェンスの一区画が扉になっている箇所があり、大きな南京錠がかかっていた。
流れるような一連のやり取りに、星弥は三人の阿吽の呼吸とも言える雰囲気を実感する。
「この錠前、随分錆びています」
鈴心が指差して永にそれを見るように促す。
「ここから出入りしてる訳ではなさそうだね」
永がそう言うと星弥も首を傾げた。
「兄さんはどうやって入ってるんだろう……」
「ま、それについては考えても無駄なので──うん、思った通りの形だ。じゃあ、ライくん、これ壊しちゃっていいよ」
「おう」
短い返事の後、蕾生はその南京錠を掴むと、上部の曲がった鉄を引っ張った。するとすぐに南京錠は二つに分かれ、フェンスの入り口が開いた。
「すご……」
蕾生の怪力を初めて目の当たりにした星弥は息を呑んだ。鈴心は特に動じずに永にひとつ確認をする。
「壊してしまってよかったんですか? ハル様」
「ああ、帰りにこの錠前下げていくから。付け焼き刃かもしれないけど、ないよりいいでしょ?」
そう言うと永はウエストポーチから別の南京錠を取り出して見せた。蕾生が壊したものにはあまり似ていないが、古くて錆びている点は共通している。
皓矢がこの南京錠を使っていないなら、代わりにかけておいても少しの間なら誤魔化せるかもしれない。
「さすが永、用意がいい」
蕾生が満足げに頷いて、開いたフェンスに手をかけて入口を広げる。それを当然のようにして永が先に中に入った。
鈴心も続こうとするが、星弥がぽかーんと口を開けているので、その手を引いた。
「星弥? 行きますよ」
「あ、はい」
そうして四人は倉庫の入口までの侵入に成功した。入口は重そうな鉄の扉で閉じられている。かんぬきなどの原始的な鍵はない。周りの有刺鉄線などというアナログな雰囲気とは逆に、近代的な電子ロックがかかっていた。
「最初にして最大の難関だね」
鉄製のドアノブをぐいぐい引くけれど当然ビクともせず、その横のテンキーボタンを睨みながら永は息を吐いた。
「蹴破る──わけにもいかねえよな」
蕾生も悔しそうに考えあぐねていると、横から星弥が吸い込まれるようにドアに寄り、テンキーを触る。
「暗証番号……か」
言いながら星弥は四桁の番号を押した。するとカチリという音ともに扉が開く。
「──え!?」
あまりに自然な出来事に、思わず永は大声を上げてしまう。
「あ、開いちゃった……」
「星弥、何を入力したんです?」
慌てて鈴心が聞くと、星弥も目を丸くしたまま答えた。
「冗談のつもりで兄さんの誕生日を……」
「──」
今度は鈴心の方がぽかーんと口を開けてしまった。
「オウ……」
永が言葉を失って声を漏らす。星弥は罰が悪そうに肩を竦めた。
「なんかごめん……」
「まあいい、入口でまごまごしてる訳にもいかねえだろ。入ろうぜ」
結果オーライ派の蕾生は、その場で深く考えることをさせずに永を急かした。
「そうだね、行こう」
とにかく扉が開いてしまった以上、ここからは時間との勝負だ。それを充分にわかっている永もひとまず頷いた。