バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

第8話 失敗

「え?」
 
 首を傾げる(はるか)の目の前に、自らの携帯電話を掲げて鈴心(すずね)は言う。
 
「私のこれは監視用として渡されたものです」
 
「!!」
 
「今の会話、筒抜けだったかもしれません」
 
 誰に、とは言わなくてもその場の全員が理解していた。
 
 途端に緊張が走る。蕾生(らいお)は鈴心に初めて会った時に鳴ったサイレンを想像した。永も身構えて部屋の隅々まで注視する。
 
 突然、外で激しく雨が降り始めた。ザアザア降る音が全てをかき消すように部屋中を満たしていく。
 
 数分経ったが屋敷の周りも部屋の中も静けさに満ちていた。ただ雨の音を除いては。

 
  
「別に何も起きねえな」
 
 蕾生が少し緊張を解いて言うと、永もそれに倣って一息吐いた。
 
「うん、この前みたいにサイレンでも鳴って、物騒な人が押し込んでくるかとも思ったけど……」
 
「だな。考え過ぎじゃねえか?」
 
「どうかな。さすがに銀騎(しらき)詮充郎(せんじゅうろう)でもそれは短絡的だし、泳がせてるのかも」
 
 二人の会話の横で鈴心はまだ険しい表情を続けていた。そして三人とは別の理由で青ざめながら神妙な面持ちの者がいる。
 
「ねえ、すずちゃん。それ、兄さんが中学生になる年齢になったからって、お祝いにくれた携帯電話だよね」
 
 星弥(せいや)の声は少し低く震えていたが、今の鈴心はそれに気づく余裕がなかった。
 
「そうですが」
 
「贅沢品だから、お祖父様には内緒ねって兄さん言ってたよね?」
 
「ええ」
 
 鈴心の短い返答に、星弥は冷笑を交えて言う。
 
「つまり、すずちゃんは兄さんのことも信用してなかったってこと?」
 
「あ……」
 
 星弥の言わんとしていることにようやく気づいた鈴心は言葉を失った。星弥は明らかに落胆した表情で佇んでいる。
 
「……お兄様には良くしていただいているとは思っています。でも、あの人はお祖父様の言いなりですから」
 
「そう……」
 
 取り繕うことはせず、しかし幾ばくかの罪悪感を持って鈴心が答えると、星弥は悲しそうに頷いた。
 部屋に気まずい雰囲気が漂う。星弥は俯いて黙ったままで、鈴心も二の句を考えあぐねている。

 
 
「──おい、鈴心」
 
 その沈黙を破ったのは蕾生だった。怒気のはらんだ声で鈴心を睨む。
 
「今の状況が緊急事態だったとしても、お前は銀騎に甘え過ぎだ」
 
「──」
 
 鈴心は蕾生の方を向いたけれども、自分の心の核心を突かれ顔を上げることができない。構わずに蕾生は続けた。
 
「お前のいる環境は、俺達には想像もつかない過酷なもんなんだろうけど、何も知らない銀騎に当たってんじゃねえ」
 
「……」
 
「これは、俺達三人の問題だ。お前が勝手に抱え込むのを永が許したか? 俺とお前は永の手足だ、余計なこと考えるのは頭に任せとけ」
 
 蕾生の言葉に一瞬だけ雷郷(らいごう)が重なった気がした。永が思わず口を挟む。
 
「ライくん、もしかして何か思い出した?」
 
「いや、なんかそんな気がした」
 
「──ハハッ、さすがライくん。昔からリンに意見ができるのは対等な君だけだったよ」
 
 永は満足そうに笑った後、鈴心の方を向き優しく話しかける。
 
「リン」
 
「はい……」
 
「まずは銀騎さんに謝ろうか?」
 
 永にそう言われると、鈴心は年相応の純真な表情を初めて見せる。そうして星弥に近づいて辿々しく話しかけた。
 
「星弥……ずっと黙っていて、すみませんでした」
 
 鈴心が軽く頭を下げるも、星弥はまだ俯いて黙っている。
 
「星弥? まだ怒ってますか?」
 
「うふふふ!」
 
 突如笑い出した彼女の態度に、永も蕾生も後ずさる程驚いた。
 
「すずちゃんは、つまり、わたしに甘えてたんだね?」
 
「え、いや、まあ、その……」
 
 少し屈んで上目遣いで言った後、戸惑っている鈴心に詰め寄って星弥は更に続ける。確認をとるように。
 
「すずちゃんは、わたしだから甘えられるんだよね?」
 
「そうだと思うぞ」
 
「──ライ!!」
 
 蕾生の言葉を鈴心は慌てて制したが、顔は朱に染まっていた。それを見た途端、星弥は物凄い勢いで鈴心に抱きついた。
 
「やーん、すずちゃんたらあ! もっと甘えていいんだよおお!」
 
 思いっきり抱きしめて、更にウリウリする星弥にされるがままの鈴心は今にも窒息しそうだった。それでも一切抵抗しない様は、二人の間に姉妹愛のようなものを感じられて、些か変態的ではあるが微笑ましくもある。

 
  
 ──銀騎(しらき)星弥(せいや)、本当に読めない女だ。と永は考える。
 
 本心はさておいて、自分がこの様に振る舞わないとこの場は収束しないことがわかって動いている。鈴心に向ける感情が異常であればあるほど、彼女の本質を見失う。きっとそれすらも承知の上で行動しているのだろう、というのは考え過ぎだろうか。
 
 おそらく彼女は自分も含めて、あらゆる事態を俯瞰しているのだろう。あらゆる場面場面で、そこまで自分の感情を一切排除できる人間はそういない。もしかしたら、一番敵に回してはいけないのは彼女かもしれない。ならば、是が非でも味方でいてもらわなければならない。

しおり