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助太刀、そして雄叫び

 食料を山と積んだ幌馬車では、急ぐと言ったところでたかが知れている。今は冷蔵機能のある大きな足枷でしかない。立派な足手纏いだ。

「マック様、こちらへ」と、ボールスとランスが馬車を挟むようにして左右に並走する。隊列のそこかしこに散る濃い動揺の色が二人には微塵も無く、訓練された兵士の悲痛とも言える覚悟がその表情を固く締めているようだ。

「ハティ、お前はランスの馬に乗せてもらえ。俺はボールスに」

「わかった」

色気も無ければ余裕も無いやり取りを交わした俺達は、ボールスとランスの馬の背に飛び乗るように跨った。

「輜重の馬車にそれぞれ一人つき、後の者は俺達に続け!」

馬車は遠からず追いつくであろうと、護衛は最小限に。そう指示を出すと、返事を待つ時間すら惜しく感じ落ち着かず、手綱を握る肩を叩く。心中を酌んでくれたのだろうか一つ頷き、俺達は遮る木立を掻き分け時に枝を打ち払い、鎌鼬のような鋭利さで山道を駆けた。



 山道を裂くようにして急いだ先の視界が急に開けた。明らかに人為的に拓かれたその広がりは、今夜を過ごす野営地であり、今この時は戦場だ。思い返せば版権キノコの時もこうだった。どうやら野営地では悉く戦闘になる嫌いが俺達にはあるらしい。食材が向こうから飛び込んでくるのは嬉しいが、下拵えが毎度毎度命懸けというのは、どうにもいただけない。 

 最初、野営地の中心に存在するそれは黒い大きな毛玉に見えた。あたかも大きな獣が蹲っているように。

 違和感を感じたのは、毛玉の各所が個別に蠢いていたからだ。餌に集る蛆のように、馬車の表面を数体のオークが覆っていることを悟った。ある者は殴りつけ、ある者は屋根に上り引き剥がそうと手をかけている。

 その横では、数名の男女が自分達より頭一つ二つ大きなオークに対している。弓や直剣を持つ彼等は馬車を護衛する冒険者だろう。その顔に鬼気迫る表情を浮かべている。

 前衛の剣盾の男が戦闘の最中に俺達に気付き、一瞬、はっとした。その隙を野生の殺戮者は見逃すはずがない。繰り出される一切装飾が無い拳。砲弾の如き威力のそれに腹を弾かれ、男は後方の地面に叩きつけられた。吐血し、力無く肩を上下させる。一瞬の判断で盾と左腕を拳と体の間に挟まなければ、内臓が破裂し即死していただろう。

 「レックス! ――ちょっと、まだ生きてる? 生きてるなら手上げなさい!」

 後衛の弓を持った女の悲鳴が木霊する。男の名前を叫んだようだが、下手に取り乱すことはせずに彼を囲うようにポジショニングしたあたりプロだ。こういった事態には慣れているのだろうか。メンバーに囲まれた男も男で親指を天に突き立てているのだから、存外今の所死にはしないのだろう。見ず知らずの他人とはいえ、俺も遠目から胸を撫で下ろした。

 俺達はそんな戦場に乗り込んだ。偵察の騎士と道中で合流した俺達は総勢二十六名。オーク共は冒険者が戦闘中の個体を含め七体。単純な数値を統計上比較すれば、有意に離れている可能性があるだろうが、彼我の肉体性能の差はそれ以上に歴然としている。

 馬車の近くで暴れられるわけにはいかない。何かの拍子に馬車が破壊される危険性がある。

 「キュイジーヌ家のマックだ! この場は一旦私が預かる!」

この場の誰しもに届くよう、腹の底から声を張り上げた。衆目が集まる。今日は何やら熱心に見つめられる一日のようだ。

 「鳴らせぇぇぇ!」

俺に続きボールスが叫ぶと、金属特有の甲高くも鈍い音が辺りに響く。追従する騎士達が剣と盾を打ち鳴らし始めたのだ。それだけでなく、俺の右を駆けるランスが日頃の柔和な顔立ちを勇ましく歪め、裂帛の気合を込めた雄叫びを上げた。

「――――――――!」

それはタウントでありウォークライ。人であれ魔物であれ惹き付けてやまず、その熱を伝播させる。

――――――――!!!!!! 

俺やボールス、そして騎士達の言葉にならない声の塊がオークを襲う。束ねたそれは一人一人に陰る不安や恐怖それから焦燥を覆い隠すために、余計に大きく太く轟いた。

 オークは馬車からこちらへ視線を移し、自分達に迫る一団に目を剥いたようだ。しかし動揺は一瞬。―――――――!!!!!!! 口の端から涎を撒き散らしながら、競うように雄叫びを返してきた。馬車から離れ、異常事態に対応するべく各々身構える。愚鈍で鈍重な外見に反し感じられる野生の賢さ。生きるための行動。闘争と逃走では前者を選択したことを応答するようだ。初撃の首尾は上々。

――そうかそうか、お前は人如き恐れるほどの生物ではないと思っているわけか。そうかそうか。人という生物を知らない生後間もない個体か、それとも……()()()()()()()()()()()()、か?

怒りの冷たさが脳髄に染む。冷静に憤るという離れ業を俺はやってのけた。

「俺とハティで一体を受け持つ。ボールス、ランス、お前達は騎士を指揮して各個撃破に当たれ」

「承知しました。――ご武運を」 

「――そう言うのは、美人な妻に玄関先か書斎でしめやかにキスされて言われたいものだが。お前達から言われると汗臭くて鼻が曲がりそうだ。コトが終われば説教してやるから、俺の所まで来るように」

ボールスの押し殺した笑い声が西洋兜の板金の隙間から漏れ出る。「えぇ、喜んで」。



 最後に甲冑越しの大きな両肩を叩き、俺は馬の背から滑るように降りた。慣性を殺しきれずに思わずよろめく俺のすぐ右では、華麗な着地を決めたハティがドヤ顔を向けてくる。心底ウザい。

 気を取り直して騎士達の後ろ姿を目で追う。もうもうと巻き上がる後塵を挟んだ先で、ボールスが擦れ違いざまオークの胸に一太刀を入れる。十分な勢いを乗せたそれでも、オークを一刀のもと切り伏せること叶わず。むしろ剣の埋まった肉の重みにボールスの身体が傾いだ程だ。下手に力と勢いで振り抜こうとせず、脱力して剣を流したことが功を奏し、落馬の危機は免れた。

 痛みに呻き胸を押えたオークは、尋常ではなく太い青筋を浮かべ、見るからに怒髪衝冠。後に続く騎士達も思い思いに一撃を加えていく。我慢が効かなかったのか、それとも魔物に人質という下卑た人間臭い浅知恵は無いのか。兎にも角にも六体のオーク達は騎士達を追い、馬車から離れた。


 俺の痴態の目撃者は、冒険者パーティーの御一行とオーク一頭。馬車周辺のオークはボールス達に任せて人命優先でこちらを担当することにした。

「危ない!」

安堵も束の間。弓使いの高い声が危機を告げる。考えるより早く咄嗟に転がると、頭の高さを丸太か棍棒かと見紛う太さの黒色が通った。引き裂かれた空気が、轟と低い唸り声を上げて鳴いた。

「マック、余所見しちゃだめ」

ハティがオークに肉薄し、大きなガントレットを突き出す。オークは避ける素振りを見せず、腹で受け止めた。しかし彼女の華奢な体から繰り出される威力としては予想外だったのだろう、「フゴッ!?」と不細工な声を上げ、後退る。俺とオークの間に距離が空き、今だと立ち上がった。

 喉元まで迫る死の感覚。千々に乱れた呼吸と鼓動。土汚れを払い、事ここに至って戦装束(コックコート)を纏う。

――コマンド選択を悠長に待ってくれたりはしないよな。

自嘲の笑みに冷や汗を垂らし、余りにも今更のことを呟く。こうしている間にもオークとハティが乱打戦を展開しているのだ、後悔は後に送り、今は戦闘に全神経を注ぐべきだ。

 ハティに目配せをする。サークリングのフットワークで立ち回っていたストライカーは、そのスタイルを乱打戦上等のインファイトに持ち込んだ。打ち込ませずに打ち込む。そんな理想を追えるのは、(ひとえ)に彼女の天稟に因る。

 ガントレットが肉を叩き、オークが呻き声とともに四肢を振り回す鈍い音が散る戦場で、俺は可及的静かにオークへにじり寄った。数秒が延々と引き伸ばされたように思え、滴る汗の雫が乾いた地面に跡を付ける些細な音にも気が付けそうだった。

 「首の警戒がお留守だぞ」 

 漸く辿り着くと、【寸胴切り】の剣閃が背後からオークの首を襲った。意識外からの鋭い一撃は、しかし素首を落とすに至らず、固い感触に阻まれた。ぎょっとする暇もなく、振り返りざま放たれるオークの拳を転がって避ける。柔らかな若草と地面を削る命の香りが舞った。

 オークは、俺達や冒険者のパーティーを視界に入れることのできる位置まで距離を取った。一時休戦と呼ぶにはあまりに短く脆い緊張が場に横たわっている。逃がすわけにもいかないが、今はこの距離が有り難くもある。

 俺の純粋な殺意はその本懐を遂げるに至らず、驚愕の情にその色を変えた。「タフだなぁ、おい」。目を見張る強靭さに辟易としつつ、首元に張り付く不快な後れ毛を払う。

「こいつ、強い」

俺の左に立つハティは、疾うに臨戦態勢の糸を張っていたが、今一度チューニングをし直すように、金属の拳を固めて打ち鳴らした。その固い音が一時の曖昧すぎる寂静に際立ち、キンキンと耳に響いて脳をひりつかせた。

 敵を知り己を知れば百戦危うからず、と今更ながらオークの状態に着目する。下顎から恐ろしい双牙が天を衝く顔は厳めしく、決して不細工ではない。むしろ気骨すら感じさせる戦士の風格が備わって見える。手負いの獣。その生存本能と覚悟の現出。
 
 首から下に目を向ける。短く密集した固い毛と弛む柔軟な皮。そして皮下脂肪と筋肉という四層の鎧が、騎士の板金甲冑にも劣らない性能を発揮しているのだ。猪の体脂肪率は10%程度と言われ、トップアスリート並み。そんな生物が弱いはずが無い。

――何が豚共だ。豚どころか猪じゃねぇか。それも飛び切りの化け猪だ、畜生。

 直接刃を入れるわけではなく、スキルのエフェクトによって切断する【寸胴切り】のような技でも、急所を一撃とはいかなかった。魔物が攻撃を受けHPが残るとはこういうことかと思い至る。十把一絡げに語られる敵のオークですら一撃で屠れない。悟る、それ程に俺達が弱いことを。

 それに気付けば、この先の展開も自ずと察せられるもの。

 俺が僅かな時間に呼吸と鼓動を宥め(すか)していると、眼前のオークも、怒りにその重厚な体を震わせながら、どこか落ち着いて見えた。

 理由は直ぐに合点がいった。左手で首元を覆い、止血と保護を兼ねているのだ。医学と呼ぶには(いささ)か拙いが、本能がそうさせるのだろうか。反対に垂らした右腕は、力に任せた戦い方、それこそが最適であることを知っているような自然の暴威の象徴。時に柔らかく周囲を撫ぜ、時に岩のように握りしめられ理不尽な破壊を齎す。

 魁偉にして怪異。
 偉容にして異様。

 その嫌な落ち着きと怒りの融合に、俺は粘つく唾を呑み込んだ。日は高く上り、余すところ無く容赦無く野営地を照らす。周囲の立ち木は、この決戦場を暗く囲うケージのようで不安と恐怖を煽る。

 何秒か何分か。

 次の瞬間、敵愾心に染まった凄まじい咆哮が周囲一帯を巻き込んで鼓膜を震わせた。付近の木から未だ青い葉が無残に散り、戦火が高々と燃え上がった。

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