応援、そして出立
行軍の列は、時に伸びて時に縮み、屈伸するカエルのように前進していく。
行政区を抜け、広場に辿り着く。領都民が通りの壁に縫い付けられたように左右に割れ、無数のガラス玉のような目が俺達に向けられているのが分かる。材質は同じはずのそれらは、ある者は輝きに満ち、また、ある者はその輝きを失って久しいのかカラカラに乾いて萎れて見えた。
大人達の品定めをするような冷ややか視線と、子供、特に男の子の熱視線が混ざった温い空気が独特の重さを伴って降り注ぐ。露天商達は、風通しの良くなった軒先からこちらに向けて忌々しげな顔を向けている。石畳の照り返しで熱いのか、首元を手で扇ぐその仕草が、まるで「そろそろ通り過ぎてくれよ。商売あがったりだよ、まったく」と俺達を追い払うように見えた。
「熱烈な歓迎、とはいかないよな、そりゃあ」と独り言ちる俺の声が、広場の空気に散った。
「狩り! むふぅ」
ハティがソファの空いたスペースに腰掛け、視線に浮かされている。
「ハティ。どうしてキュイジーヌ領の領民達が、魔物の脅威に震えながらもここに住み続けるのか分かるか?」
「――美味しいご飯が食べられるから?」と、彼女は首を傾げて答えた。なんとも素直な回答だ。
「それはお前が俺といる理由だろうが」
「じゃあ、う~んと……。ここで生まれたから?」
「それは大きいだろうな。でも満点じゃない。――正解は、"満足しているから"、だ」
「まんぞく」
分かったのか怪しい舌足らずな声色でハティが繰り返した。
「あぁ。壁外を移動することは命懸けだし、先祖が死に物狂いで手に入れた土地や家屋、いわゆる不動産の扱いもある。うちみたいな辺境は各種の税金が安く、後ろ暗い奴でも冒険者になれば飯と宿には困らない。当然、あの父上が治安悪化なんぞ許す訳も無し。つまりは、日々の仕事や大きな犯罪に困らないから、安心して生活しているわけだな」
「それだけ?」
「あぁ、それだけさ。太陽と共に働き、月と共に寝る。それが幸せなんだ、彼等にとってはな」
ふーん、と彼女は頷いた。臍の辺りで組んだ両手の指を遊ばせ、自分には理解できないといった表情を浮かべて。
「俺達のような貴族、そして騎士は、彼等の生活を安堵することで社会的地位を得ている。危険な事態になった時に守ってくれる、素敵! ってな。今は税金以上の価値があるか値踏みされているわけだ」
やれやれと肩を竦めてみせる。貴族の生活は、平民や騎士、何より同じ貴族にどう見られるかを四六時中気にするのだ。肩身の狭さに辟易する。
「そして、金を払った以上は使い倒すのが平民の流儀。一生金を払い続けるから、もとを取るまで一生彼等は動けない。これまで払った税金が無駄になる、ってな」
掛け捨ての保険だと思えばいいのに。
「ハティは出たよ」
「うん?」
「ハティはお家出た」
脈絡の断たれた彼女の呟きに、俺は何故だか怒る気が湧かなかった。軽んじてはいけない、そんな直観があった。
彼女の目は、ここではないどこかを見ていた。建造物に切り取られ、額に入れられた空の向こうを一心に。懐かしむようで憎くむようで、同時に誇るような、そんな物悲しい目で。
―――――――――!
どこからか、聞こえるか聞こえないかという絶妙な声が聞こえた気がした。
意識を引き戻された俺は、顔見せのために幌を取り去った馬車の荷台から周囲をぐるりと見回す。どうやら冒険者ギルドの前まで来ていたようだ。雨戸と鎧戸を開けた二階の窓、先日ハリネズミのような少女から熱烈な歓迎を受けた部屋から、ヘンリーと件の少女が身を乗り出していた。
意識を向けると、喧騒に揉まれるようにして「がんばってくださーい!」と少女の叫ぶ声が俺の耳に届いた。八つ当たりの憎悪で心の軋むような感覚が、今回は無い。頭に血が上るほど声を張った少女のその赤面には、どのような感情が含まれているのだろうか。
少なくとも悪意を感じなかった俺は、口角を僅かに持ち上げ、窓を見上げ鷹揚に右手を上げた。沸き立つ民衆の頭上で弾けるような笑顔を浮かべた少女の頭に、無骨で大きな手が乗っかる。ヘンリーはこちらに一礼すると、少女の頭を撫でた。わしゃわしゃと大雑把なその仕草がすっかり整えられた少女の髪を散らし、青一色の額に色が加わった。
最後尾の騎士が通り過ぎた端から、露天商や今朝のパンを小脇に抱えた主婦達の姦しい声が勢いを取り戻していく。生活感が混然一体となった雑踏と喧騒は、澄清の空に響く従軍鼓笛隊の演奏のように俺達の行進を急かす。
王都から帰郷した際に通った門とは反対の位置に、ライゼ村方面へ続く門が外壁に穴を開けていた。狭い壁内から逃げるように吹き抜ける和煦に誘われて、俺達はカンパーニュを出立した。
城壁の中に閉じ込められたカンパーニュの民は、護衛を雇えない程度に抑制された賃金で、今日も日常を購入している。昨日と同じ経験に金を払う家畜のような彼ら彼女らは、稠密なこの都市で飼い殺しにされる幸せに浸っているのだった。
俺は貴族であっても未だ子供であり、何なら末子である。この都市の現状に切歯扼腕慷慨悲憤する自分を確かに感じつつも、悲しいかな、今の自分が持ち得るあらゆる物的・人的資源を注いでも変えようがないという事実が、冷淡に立ちはだかっているのだった。