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ギモーヴ、そしてこれってまさか?

 「お待ちしておりました、師匠!」

 買い物を終えると、キッチンに向かった。カロリーヌには準備を任せていたのだが、何やら彼女の背後にコックコートの男女が整列している。なかでも、五十代ほどの男がカロリーヌの横に立ってこちらを見ている。人でも殺めたのではないかという肝の冷える顔だ。

 怪訝な目で彼ら彼女らを見ていると、件の男が口を開いた。

「お帰りなさいませ、マック様。キュイジーヌ家領主邸のコックを拝命しております、カレームと申します。本日は新しい料理を作られるとカロリーヌからお聞きしました。マック様はスキルを活用なさって素晴らしい料理をつくられるとか。御多忙の中、失礼を承知で申し上げます」

 カレームは襟を正すと、直角に近い角度で頭を下げた。

「どうかわれわれ料理人一同にもご教授いただけないでしょうか!」

「「「「よろしくお願い申し上げます!」」」」

 一糸乱れぬ料理人達の申し出に圧倒される。カロリーヌに視線を向けると、「すいません。どうしても聞かず……」と瞬きで伝えている。彼女も断ったのだろうが、あまりにも人数差があり過ぎた。アウェーゲームは不利だからな。

「お前達にも伝統料理を学んできた自負があるだろう? こんなぽっと出の若造に教えを乞うていいのか?」

 煽るようで試すような俺の口調に、数人の年嵩の料理人が苛立たし気な雰囲気を滲ませた。部署のトップに釣られて頭を下げたものの、心中穏やかではないことがありありと伝わる。反対に、若い者は何でもないとでも言うように真摯な視線を崩さない。

 カレームは背後の不穏な気配を察したのか、檄を飛ばすように厳しい声を上げる。

「お前達も見ただろう、カロリーヌの斬新な料理を。このままでは、王都邸と領主邸で食事の格差が開く一方だぞ! これを悔しく思わない奴は、出ていくといい。止めはせん」

 沈黙がキッチンを支配する。

 息を呑む数秒の後、念を押すように部下達を見回した彼が一つ頷き、再度頭を下げた。

「部下の無礼は私の責任でございます。誠に申し訳ございません」

 ここまでテンプレ通りだと、一連の流れは計画通りなのではと裏を勘ぐってしまうが、ここで「非常に不愉快だ! 死に晒せゴミ共が!」なんて言おうものなら、勇者に出会う前に謀反で殺されかねない。そんな死に方は勘弁だ。

「部下の前でそう何度も頭を下げるものではないぞ、カレーム。頭を上げてくれ」

「はっ」

 俺は領主邸の料理人一人一人の顔を見回すと、再度挑戦的な風で言った。

「取り敢えず一つやってみようじゃないか。それを見て、期待外れであれば俺を見限るといい。そうでなければ、手伝ってくれ」

「マック様を試すような真似は出来ません! 我々は教わる立場、いわば修行をつけていただく身です。最初から――」

 カレームの姿勢は使用人として模範的であるが、それでは納得いかないのが料理人、いや職人という生き物だ。

「そろそろ黙ってくれよカレーム。俺も頭を下げればいいのか?」

 カレームが呆れるような困ったような表情で黙った。

「では、最初は時間のかかるギモーヴから作ろう。手伝いたい者は手伝うがいい」

 カロリーヌ、ハティ、カレームを侍らせて、俺は調理に取り掛かるのだった。



 「師匠、ギモーヴというのはどういった料理なのですか?」

 カロリーヌが俺の出した清水で手を洗いつつ、質問する。今回はハティも手伝うのだろう、エプロンドレスに水撥ねの跡を大量につけて、作業台についている。

「何とも形容し難いのだが、ふわふわでジュワジュワの菓子、だな」

「「「「菓子……!」」」」

 女性連中と一部の男の目が、狩人の如く爛々と光った。

「ふわふわでジュワジュワ……♡」

 ハティは恍惚とした顔でまだ見ぬギモーヴに涎を垂らしている。

「今回はオーク討伐に持っていくから大量に作る必要がある。興味のある者は途中からでも構わないから手を貸せ」

 こうして、ギモーヴ作りは始まった。

 ハティに担いできてもらった木箱から、数種類のベリーの袋を取り出す。麻袋を貫通して香っていた、甘くフレッシュな香りがキッチンに満ちた。

「まずは、持参した寸胴に洗ったベリーを投入して、心配になるくらいの砂糖をぶち込む。ハティ、やれ」

「りょうかい!」

 ハティが一抱えもある壺を傾けると、砂糖が美しい軌跡を残して鍋に吸い込まれた。未だ穢れを知らない新雪のようなそれが雪崩を起こすと、乗じるように悲鳴のような声が響いた。料理人達の声だ。ある者は気が遠くなったように額を押さえ、ある者は別離を惜しむように手を伸ばしている。

「いったい幾らかかってるんだい、あの菓子は」

 年配の女料理人が戦々恐々としているのを放置して、調理は続く。壮絶な重量になった寸胴を馬鹿力メイドに竈まで運ばせると、少し離して火にかける。

 ハティの涎をカレームに拭かせつつ、大きな杓文字のような匙で焦げ付かないようかき混ぜていると、高価な香りが広がった。

「沸騰したら、火の加減に注意しながらレモン汁と蜂蜜を加えて混ぜる。ある程度加熱したら――カロリーヌ、流しのボウルにスライムを戻してあるから、取ってくれ」

「ここにスライムですか」

 数個のボウルにジャムを分け、戻した粉末スライムを入れると――

「【ミキサー】!」

 ボウルに手をかざすと、中身が高速で回転し始める。“つる×まほ”では風属性魔法に分類される料理スキル、【ミキサー】だ。

「きれい!」

 空気を含み冷えてくると、白っぽい美しいマーブル模様が浮かび上がる。紅白の縁起の良い模様にハティが手を伸ばすところを、カロリーヌが直前で掴んで止めた。

「ハティ! あんな勢いで回転する所に手を入れたら大変なことになりますよ!」

 実際、手を突っ込んだら細切れになっていただろう。無論、食材が無駄にならないように直前で【ミキサー】を止めるつもりではいたが。

「どうせなら完成品を味わってくれ。――ある程度泡立ったら、薄いバットに入れて机に落とす。空気抜きだな。あとは【冷却】!」

「材料自体は割とシンプルなのですね」

 カレームが顎鬚をしごきながらバットを覗いている。

「高価なことは玉に瑕だが、命懸けの戦場に出向くんだ。金を惜しんでどうする」

 騎士や冒険者が鎧や剣に糸目をつけないようなものだ。俺の中ではな。現代に比べれば質の落ちる砂糖だが、こちらの物価感を知る体が震えていたのは秘密だ。

「金銭の心配はお前達がするようなことじゃない。父上に何か言われれば、俺の指示に従ったと言うように」

 手伝おうにも、見るだけで口の中が甘くなるほどの砂糖に腰が引けていた料理人連中には、こう言わないと動けないだろう。

 心なしか表情を明るくした彼等に気を良くし、続きに入る。

「味見をしたい者、手伝う気のある者は、卵を卵黄と卵白に分けてくれ。卵白は俺の所に、卵黄は冷却しておくから夕食に使おう」

「「「「はい!」」」」

 調理人達も料理を生業にする以上は食べることも好きなのだろう。手が増えたことで、調理は劇的にスピードを増した。



 俺が卵白を【ミキサー】で泡立てている時のこと。

「師匠、このメレンゲ? にさっきのジャムを少しずつ入れて混ぜて、トウモロコシ粉に落としたらマシュマロというお菓子なんですね。さっきのギモーヴにそっくりです」

 カロリーヌの疑問に幾人かの料理人が頷いて同意を示す。

 ――来たな。禁断の質問が。

「ギモーヴとマシュマロは語源が同じでな、材料もほとんど同じなんだが、メレンゲ――泡立てた卵白を入れるかどうかが、違いと言えば違いだ」

「なにやら含みのある言い方をなさいますね」

 カレームが訝し気な顔で俺を見る。

「実はギモーヴにもメレンゲを入れるレシピがあってな、こうなると二つの差は殆ど存在しないことになる。伝統的なレシピで作らないと分類は難しい、というわけだな」

「伝統的、ですか……。浅学を恥じるばかりですが、この二つの菓子を私は聞いたことがありません。マック様は何処でこれらのレシピを学ばれたのですか?」

 そこで、自分の大きなミスに気が付いた。この世界では発明されていないこれらの菓子。辺境とは言え大貴族の邸でキッチンを与る彼が知らないものが()()()、とはこれ如何に。

「――実はスキルを賜る際に数多のレシピが浮かんでな。これも女神様のご加護なのだろう」

 苦し紛れに言うと、キッチンに沈黙が再来した。庭木の葉が擦れる音が聞こえ、鳥の囀りがやけに大きい。

「つ、つまり……これは女神様の食される菓子ということでは!?」

 カレームの怒声にも似た驚きに、キッチンは興奮のるつぼと化した。カロリーヌも手近な料理人と手を取り合い飛び跳ねている。

「なんと光栄なことだろう!」

「孫に自慢できます……」

「良い冥途の土産が出来ました」

 食ったら嬉しさで死にやしないだろうかと不安になる発言が聞こえる。思ったより、この世界で女神様の権威は絶大らしい。

 虎の威を借る狐になるつもりはないが、随分と大事になってしまった。
 便利な言い訳を手に入れたことは喜ばしいが、料理人達の俺を見る目が明らかに色を変え、ぞわぞわとした。

 ハティはそんな喧騒もどこ吹く風で、コンフィに使うオーク肉を持って俺を見つめている。この我が道を行く少女が、今は長い夜道の先に見えた街灯のように俺に安心感と一種の諦めを与えてくれた。

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