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テリーヌ、そして不本意ながら弟子が出来たようです

 じょぼぼ、ざーざー、ぱりん。ぱっぱっ、きゅっきゅ、がしゃん。

 スライムの解体で汚れた流しを洗い、鍋を洗い、木匙を洗い、包丁を洗い。スライムゼリーの甘い香りを窓から逃がすと、裏の林から漂う青い香りが取って代わる。俺は長閑なキッチンに響き渡る甲高い音に胃をきりきりさせつつ、料理の後片付けをしている。

「マック、またお皿割れた」

「また割ったの間違いだろうが」

 ハティは淡々と報告してくるのだが、貴族の家の皿が一体いくらすると思ってるのか。食器棚に皿や調理器具を戻すだけで皿を割るのは、もう一種の才能だ。

「皿が弱いのが悪い。貴族の家にあるまじき!」

 遂には、ただの皿に貴族家の一員である心意気を持てという無理難題をふっかけ始めた。名門貴族家のメイドにあるまじき言動の彼女が言えたことではないと思うが。皿を反面教師にした、これからの彼女の頑張りに期待しよう。

 手元の皿に視線と意識を戻し、滑る雫を拭っていると聞こえてくる軽快でありながらある種痛快な音。ぱりん。……嗚呼。




 躾のなっていない狼メイドと戯れていると、表が俄に騒がしい。

 どうやら料理人が昼食の用意に来たらしい。昼餐のためにという訳ではなく、キュイジーヌ一家と使用人の食事まで一手に引き受けるからには、随分早い時間から調理に取り掛からねばならないからだ。

「この香り、スライムゼリーか。久しぶりに嗅いだな――って、マック坊ちゃん! それに、何だかキッチンの中が涼しいような?」

 母屋に続く木扉から現れたのは、短い赤茶けた髪と女性にしては高い身長、コックコートから覗く健康的な肌色が眩しい、二十代前半の女性だった。扉を開けたその姿勢のまま固まり、思わぬ先客に目を丸めて立ち尽くしている。

「すまないな、カロリーヌ。借りているぞ」

「キッチンもキュイジーヌ家の物ですから、断っていただかなくてもいいんですが……。坊ちゃんがキッチンで一体何を?」

 一言一句、彼女なりに虎の尾を踏まぬよう、虎の口へ手を入れるように、王都邸の若き料理長が疑問を口にする。 

「キッチンですることなど、料理しかあるまい?」

 だから驚いてるんですけど……と言わんばかりの怪訝な表情を崩さないカロリーヌは、俺の脇に目を遣った。

「ハティ、あんた、また飯(たか)りに来たのかい? 残念だけど干し肉と野菜くらいしかないよ」

「今日はちゃんと仕事してるの」

 ほう、いつもは仕事をしていない自覚があるわけだ。

「あんたに出来る仕事は庭石を運んだり、丸太を引っこ抜くくらいでしょ」

 世にも珍しい造園メイドここにあり。どちらも本来は業者の仕事である。適材適所で造園に就くメイドは、古今東西空前絶後、この世界の正確な広さを知らない俺でも自信を持って断言可能。ハティくらいのものだ。

「一緒に狩り行って、マックが料理作った! 部屋も冷やした!」

「坊ちゃんが料理だって? 料理の修行なんてしたことないのに、どうやって作るんだい。部屋を冷やすってのも、よくわからないし」

 貴族が使用人と同じ仕事をするなぞ考えられない、というのが一般論だ。カロリーヌが疑問を持つのも当然だろう。しかし、今後キュイジーヌ家で料理をするとなれば、キッチンを預かるカロリーヌとの関わりは避けて通れない。それに、この世界で料理の道を生きてきた彼女には、色々と教わることがあるだろう。

「実は、授与の儀で【料理】というスキルを授かってな。疎むことは簡単だが、これも何かの縁だと折角だから極めることにした。どうやら戦えるようで、正直悪くない気分だ。こうして部屋が涼しいのもスキルの影響だな」

「ほぁあ、便利なスキルですね。ただね、坊ちゃん。料理の道というのは、そんな思い付きで選ぶような楽なもんじゃありませんよ。汚れるし、臭いし、体力だって半端でなく必要なんですから」

 料理というものを軽んじられていると思ったのか、カロリーヌは眉を(ひそ)めてじろりと俺に一瞥をくれた。貴族家のキッチンを預かる者としての自負と料理人としての誇りが彼女を形作っているのだろう。そうでなければ説明のできない凄みを感じる。

 俺は視線を押し返すように彼女の双眸を覗く。

生半(なまなか)な覚悟で選んだ訳じゃない。――丁度、そこの二品を作ったところだ。冷えたら、その味で見極めてくれ」

「一つはスライムゼリーですね? もう一つは……何ですかこれ? 色合いはどこか芸術的ですけど」

 俺が視線を移し、指し示す先。カロリーヌはキッチンに入り中央の作業台に歩み寄ると、その上のバットと焼き型を()めつ(すが)めつ眺める。

「野菜のテリーヌ。言い換えれば野菜のゼリー寄せだな」

「野菜のゼリー寄せ? そんなの美味しいわけないですよ。素材(もの)が良いですから不味くは無いでしょうけど、ソースが無いとパンチが足りないでしょう?」

 これまでのマックの記憶を探ると、キュイジーヌ家の料理はスパイスやソースで食わせる類のものが多かったように思う。ファン王国最高の食事と声高に誇る王宮の料理も、如何に高価なスパイスを大量に用いることが出来るか、如何に濃厚なソースで一皿の旨味を増幅出来るのか、という部分に価値観が置かれているものが多かった。

 そもそもが貴族は野菜を食べ慣れていないのだ。その扱いを心得ているとは到底思えないうえにソースも無い。貴族の持て栄やす、否、持て囃す❝美食❞なるものとは天地程にかけ離れた料理。そう彼女の目に映るのだろう。

 しかし、専門家が皆心に飼う猫のような好奇心が疑問符の影から覗き、彼女の常識に劈開を齎した。その微かな音を同業者の耳は捉えて逃さない。

「当然、このテリーヌはあくまで前菜だ。これまで濃厚だったら、メインへ辿り着く前に食べ疲れてしまうじゃないか」

「……分かってるじゃないですか。なら、お手並み拝見といきましょう」

言葉を選ぶことを止めた勝気な彼女の表情に、料理人として認められたい自分がやおらに首を(もた)げた。




 挑戦状を叩きつけた俺は自室に戻り、普段通りの昼食を食べ、キッチンが落ち着いた頃を見計らって乗り込んだ。傍らには、生来一対の什器の如く、さもこれこそが自然であると言わんばかりにハティが追随する。喜色満面に尻尾で空を掃き、今日は随分と働き者のようだ。

「たのも~!」

 一番の見せ場を奪われてしまった。言うまでも無く、「たのも~!」などと間の抜けたことは口にしないのだが。だがしかし、何やら力の抜けるスターターピストルだった。

「はいはい、お待ちしておりましたよ。早速ですが、味を見ましょうか」

 カロリーヌが人数分の皿とカトラリーを用意して待っていた。

 先ずは、安定のゼリーからだ。バットにナイフを突き立てると、一口大に切り取る。

 純白の皿に透き通った黄緑のゼリーが静かに揺れる。表面には微細な泡が散り、光を受けるたびにキラキラと輝く。少し落ち着いたものの、変わらず爽やかな柑橘の香りを放っている。

 不思議な緊張を感じつつもそれを口に含むと、スライムゼリーは香りのイメージそのままの味だった。見知らぬ親戚からお中元に貰うちょっと良いレモンゼリーという感じの、甘酸っぱい爽やかな味わいだ。柑橘の苦みや渋みが無いため味わいはやや単調だが、これが良いと感じる者もいるだろう。舌触りは滑らかで、飲み込むと鼻から喉にかけて心地よい余韻が残った。

「おいしい!」

 ハティは尻尾をふりふり、スプーンで直接バットから掬おうとして、カロリーヌに(たしな)められている。

 あたかも姉と妹のように戯れる二人の微笑ましい光景は、ゼリーという料理に良く似合う。良く洗い、融かし、冷やす。不器用なハティが作ろうとする程に簡単な、真に誰でも作れる料理だ。であるからこそ色取り取りの思い出の側に在ることが出来る、素晴らしい料理なのだ。



 遮る物が一切無い外周から生暖かく眺める俺に気付き、そこで漸く女の園から脱したカロリーヌは、僅かに頬を染め、「こほん」と空っぽの咳をした。

「まあ、ゼリーは失敗する方が難しいですからね。問題は、この野菜のテリーヌとやら……」

「自信作だ。とくとご覧あれ」

 型から取り出すと、ちゃんと固まっていたことに胸を落ち着ける。

 ナイフの先端が柔らかなテリーヌに滑り込むと、野菜の美しい色彩が炸裂した。ミニトマトやトウモロコシ、アスパラガスにニンジン、様々な素材がそれぞれの色と形をもって鮮やかな模様を描いている。層を為すようなその断面は、一種の芸術品のようだ。

「「綺麗……」」

 二人の見惚れるような視線が、それぞれの手元の皿に注がれる。鮮やかな野菜達が、見開いた二人の瞳の中で星のように散り、輝いている。野菜嫌いのハティも、鼻をふんふんさせて興奮を隠しきれない様子だ。

「そのままだと温ぬるくなるぞ。味を損なう前に食べてくれ」

「わかってるわよ」

 遮るようにそう言うと、カロリーヌはテリーヌを口に運んだ。数度咀嚼すると、大きく目を見開いた。

「ともすれば少し華美にも見える外見に反して、繊細な味わいね。使われている野菜はミニトマトにトウモロコシ、アスパラガスにニンジン。比較的癖のない食べやすい野菜を選んだのはハティのためかしら? オーク干し肉の戻し汁が味わいを支えているけれど、他にも何か……」

「トウモロコシの芯とアスパラガスの皮から良い味が出るんだ。それにハーブを幾つか」

「なるほど、野菜くずにこんな使い方があるのね……」

 カロリーヌは頷きながら、次、またその次と確かめるように匙を往復させる。

「野菜が甘い! 肉の味もする!」

 バクバクとがっつくハティを見るに、お気に召したようだ。対照的に、カロリーヌは眉根を寄せて悔し気だ。その深さに、俺は確信を得た。

「どうやら合格のようだな」

「マック凄い。野菜なのに美味しかった!」

「確かに、これは遊びで作った料理の味ではないでしょう。緻密な計算と知識を感じます」

 カトリーヌは料理の味を認めると、俺に向かい姿勢を正して頭を下げた。

「御見逸れしました。これまでの無礼をお許しください」

「いや、君はこのキッチンを預かる人間だ。温室育ちのボンボンが出張って大きな顔をすれば、良い気はしないだろう。俺の方こそ喧嘩を売るようなことを言った。詫びよう」

 頭を下げることは出来ないが、極力偉そうに謝罪をしてみる。いつの日か自然な悪役貴族の振る舞いを身に着けたいものだ。

「何を仰いますか。マック様のテリーヌで、私は自分が料理人としていかに驕り高ぶっていたのか気付きました。これからは、マック様の弟子として、一から料理を学びなおしたいと思います」

 ――ゑ?

 勝手に覚悟を決めた自称弟子志望者の顔を見ると、繰れども繰れども退くという言葉が見つかりそうにない。どうやら料理で屈服させた時点で、俺は勝ったと同時に負けていたらしい。キッチンを気兼ねなく利用出来る権利と煩わしさを天秤に掛け、いや、掛けるまでもなく、俺は頷いていた。



 嵐のような勢いで、いつの間にやら弟子が出来ていた。正直頭が回っていないのだが、キッチンを使いやすくなったと思えば、悪くないのかもしれないと自分に言い聞かせる。腹を括れば、世の中大抵の事はどうにかなるのだ。

「もう一切れどうだ?」

「食べる!」「いただきます!」

 二人の元気な声が脳内で木霊してクラクラする。人生にはゼリーのような柔軟性が求められるのかもしれない。諦めの悟りを開きかける俺は、薄っぺらい味のゼリーを舌の上で存分に弄ぶと、その強かさに敬意を示しつつ呑み込んだ。

 日は窓枠に収まりきらず、林の奥から光を投げかけている。すっかり温まったキッチンに響く三人寄らずとも姦しい声。熱と喧騒にぷるぷると揺れる俺は難しいことを考えられず、取り敢えず今は目の前の料理に舌鼓を打つことにした。

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