73歳元悪役令嬢、ほざく
私がお庭で優雅にアフタヌーンティーをブチかましていたところに、孫であるレベッカが訪ねてきた。
レベッカは元気いっぱいに手を振りながら駆け寄ってきた。
「イザベラばあちゃんこんにちわー」
私は静かにティーカップを置きながら注意する。
「こらこらレベッカ。ばあちゃんじゃないでしょう。お婆様と呼びなさいといつも言っているではありませんか」
「あ、そうだった。ごめんなさいイザベラおばさん」
「こらこらレベッカ。私の立場が変わっていますよ。私はあなたの祖母であって、叔母ではありません」
「言われてみれば確かにそうかも~。おばあちゃんすご~い」
ほんとに分かってんのかこいつ。
まぁいいや。
「よく来ましたねレベッカ」
なんだかんだと言いつつも可愛い孫だ。
私はレベッカの頭を撫でた。
レベッカはくすぐったそうに首を引っ込める。
そしてニコニコしながら私の顔を見て言った。
「お母様がね。おばあちゃんの相手してあげてって」
「そう」
「介護してきてあげてって」
「あらそう」
「老人介護を依頼されたの」
「そうなのね」
「後期高齢者を対象として介護することをお母様に依頼され」
「わ、分かった。もういいわ。……レベッカは今年でいくつになるんだったかしら」
「も~。ボケちゃったの~? 今年で九才だよ」
……この歳でこの毒舌。
このままでは将来困ったことになってしまうかもしれない。
今のうちにやんわりと軌道修正せねば。
私は、もう何度もやっていることだが、自分の経験を孫に伝えることにした。
「レベッカよく聞きなさい。私はね、若い頃悪役令嬢だったのよ」
レベッカは欧米風に肩をすくめてみせた。
「おばあちゃんその話256回目〜」
「あらやだ。2の8乗じゃない」
「も〜おばあちゃんってば理系〜」
「オホホホ」
「うふふふ」
私とレベッカは十秒間、お上品に笑った。
十秒経った瞬間に真顔に戻った私は話を再開した。
「それでね、私は若い頃に大変な苦労をしたの」
「えー。もういいって。その話本当に冗談抜きで耳にタコができるくらい聞いたもん。私の耳も聞き飽きたって言ってるよ」
「あなた自分の耳と会話できるの?」
「擬人法に決まってるじゃん。ボケてるの?」
「それは歳でボケてるという意味かしら。それともボケとツッコミのボケかしら」
「歳でボケてるって意味に決まってるでしょ〜」
「レベッカ、あなた言葉遣いが美しくないわ。それでは駄目よ」
「おばあちゃんだって、初っ端からアフタヌーンティーをブチかますとか言ってたじゃない」
「ッ! レベッカ!」
私はつい大きな声を出してしまった。
レベッカの肩がビクッと震える。
私は感情的になってしまったことを反省し、優しく諭すような口調で言った。
「いつも言っているでしょう? ナレーションにツッコミを入れるのは恥ずかしいことなのよ。慎みなさい」
「……はい。ごめんなさいおばあちゃん」
「では、話を続けますよ」
「えー」
「黙って聞きなさい」
「255回聞いたことがある話なのに」
「いいから聞きなさい」
「……はぁ~い」
レベッカはため息をつくように返事した。
「あなたも聞き飽きているだろうし、序盤は適当に流すわね」
「中盤も終盤も聞き飽きてるよ」
私はレベッカの抗議を無視して話す。
「悪役令嬢がいるということはヒロインがいるということで、端的に言えば私はヒロインに負けたのよ」
「無様にね」
レベッカが不必要な合いの手を入れる。
「……まぁそうよ。それでね、そこからが大変だったのよ。ヒロインとその旦那さんになったあの人に、私の悪事がバレてバチボコに批難されて、国を追い出されることになったの」
「そりゃ大変だー。それで、その悪事ってのは一体、なんなんだろうなー」
まったく感情がこもっていない口調でレベッカが訊いてきた。
この質問にはいつものように口角を上げて答える。
「子供には刺激が強すぎることよ」
「わー。256回訊いても教えてくれないだなんて、おばあちゃんは本当にケチだなー。教えてほしいなー」
「ふふ。秘密よ」
「あー悲しいなー」
レベッカはため息をついた。
無理もない。
これと同じやりとりを今まで256回繰り返してきたのだから。
でも楽しいから私はやめない。
次にレベッカが遊びに来た時も、このやりとりを繰り返すだろう。
私は満足して続きを話す。
「その先は本当に人生で一番頑張ったと言っても過言ではないわね」
私は昔のことを思い出しながらレベッカに語った。
序盤の話について少しだけ付け足してから中盤に入ろう。
「えー、適当に流すって言ったじゃん」
「こらっ! ナレーションにツッコミを入れては駄目とさっき言ったばかりでしょう!」
「はーい……」
こほん。
仕切り直して。
さっき言ったヒロインと結ばれたあの人というのは、私が狙っていた男のことだ。
私はあの人を洗脳しようとした。
ヤバめのキノコを食べさせて、その作用によって私に惚れさせようとしていたのだ。
バレたけど。
なんでバレたのかというと、ついでにあの人の弟にもヤバキノコを盛ったからだ。
それが失敗だった。
奴は剣の達人だった。
誰よりも強く、そして寡黙な男だった。
そんな奴には悪意や敵意を察知するというなんかすごい力があったのだ。
それを使いこなして奴は剣士長という立場にまで上り詰めたらしいが、その力のせいで私がヤバキノコを盛ったことがバレた。
ちくしょうめ。
結局ヒロイン、名前はアリアというのだけど、その子があの人を掻っ攫っていった。
憎きあの人の弟については後で話そう。
当時の私にとってアリアは永遠のライバルであり、対抗意識をバチバチに燃やしていたのだが、正直に言えば私はアリアのことがあまり嫌いじゃなかった。
のちにアリアがあの人と結ばれたことを知ったときは、舌打ちしながら祝福したものだ。
私という悪役令嬢を追っ払って、アリアがあの人と幸せに過ごしているその時。
私はというと、漂流していた。
海の上をゆらゆらと漂っていたのだ。
なぜそんなことになったのか説明しよう。
私は悪事を暴かれ国を追い出されたわけだが、その時に一銭も持たせてもらえなかった。
つまり無一文だ。
泣いた。
国を追い出された私がまずしたことは泣くことだった。
道端でむせび泣いた。
そこを通りかかったのが、優しいおっさん。
「いや、おっさんって。言葉遣いが美しくないな〜」
「せいっ!」
「ひゃあ!」
私はまた話を遮ってきたレベッカの喉元に手刀を突きつけた。
「次にナレーションにツッコミを入れたら……分かってるわね?」
「ごめんなさいおばあちゃん」
まったく。
困った孫だ。
では話を続けよう。
おっさんは赤ちゃんもドン引きする勢いで号泣する私に声をかけてきた。
「大丈夫かいお嬢ちゃん」
「ビェエエェ!」
「う、うん。ちょっと落ち着こうか」
「ビエェ……」
「そうそう。いい感じ」
「うぅ。……」
「えーっと。落ち着いたかな。大丈夫かい。何があったんだい?」
私はこの時、自分でも驚くほど冷静に思考していた。
ここで馬鹿正直に事情を話せばこの人はきっと私を見放すだろう。
この人だけじゃない。
私が自分のしたことを正直に話せば、世の中の誰もが私のことを見捨てるはずだ。
つまり私はこれから嘘をつきながら生きていくしかない。
最初の一歩だ。
上手に嘘をつくぞ。
「道に迷ったんです」
私がそう言うと、おっさんは唖然とした。
これは……ミスったな。
冷静に考えて、この歳で道に迷ったからといって号泣する奴なんかいない。
こうなったらどうすればいいんだ?
とりあえず逃げるか?
私がそんなことを考えていると、おっさんは下手くそな笑顔を浮かべながら言ってきた。
「お嬢ちゃんのお家はどこにあるのかな?」
私はおっさんの苦笑いを見て悟った。
このおっさんは私のことを精神的に幼い人間だと勘違いしたのだ。
誠に遺憾だが、チャンスだ。
これは乗っかるしかない。
さて、家の場所はどう嘘をつけばいいだろうか。
もちろん元の国は駄目だ。
んー。
どうしようかな……。
どうせなら海の近くの綺麗なところがいいな。
そうだ!
嘘の家の場所を思いついた私は俯きながら子供っぽく
「ラプズ……」
とだけ答えた。
おっさんは私の答えを聞いて固まった。
「ラプズって。ラプズ王国のことだよね……」
「うん」
「この大陸の国ですらないじゃん……。君は海を越えて迷子なの?」
「ちょっと盛大に迷っちゃって」
「えぇ……。もしかして哲学的な意味合いで迷子、とか? 心がどこかに行ってしまった的な」
「違う。物理的に迷子」
「そっかぁ。困ったねぇ……」
その後、なんやかんやあって、おっさんのツテでラプズ行きの船に乗せてもらえることになったのだ。
「なんやかんやの部分が知りたいんだけど」
「何度言えば分かるの! ナレーションにツッコミを入れてはいけません!」
「イェッサー」
レベッカはそっぽを向きながら適当に返事した。
「レベッカ、あなたちょっとアレよ」
「アレって言われても分からないなー」
「これ以上ナレーションにケチをつけるのならトドメを刺すわよ」
レベッカはまったく悪びれていない態度で謝った。
「ごめんって。あんまり怒らないでよ。そんなにカリカリしてたら血圧が上がってポックリ逝っちゃうよ?」
「本当に口が悪いわね。……話を続けるわよ」
「わっしょい」
レベッカはもはや関係のない合いの手を入れ始めた。
「わっしょいじゃありません」
「はーどっこい」
「……続けるわね」
「あーよいしょー」
レベッカは完全におちょくってきているが、私はスルーして話を再開した。
ここからは大体お察しの通りだ。
ラプズ行きの船に乗っていた時に、私たちを嵐が襲った。
そして私は船から落っこちてしまったのだ。
結構大きな船で、嵐が襲ってもあまり船自体に問題はなかったのだが、私が馬鹿だった。
「甲板で悲しげな表情を浮かべ大雨に打たれながら佇む私」をやっていたら突風に吹っ飛ばされたのだ。
自分に酔うとロクなことにならない。
おばあちゃんの知恵袋です。
海に真っ逆さまに落ちた私は必死に水面に顔を出し、たまたま近くを漂っていた流木に必死になってしがみついた。
そこから私の漂流生活が始まった。
期間は二日だったが、私には永遠にも思えるほどに長く苦しい時間だった。
正直思い出したくもないので、詳しくは語らないことにする。
結局私は無人島に流れ着いた。
砂浜を踏みしめながら、なんとか助かったと感動しているところに、腹の底に響き渡るような雄叫びが聞こえてきた。
声の聞こえてきた方向、空を見上げると、そこにはドラゴンがいた。
私は口を開けて固まった。
やっばい。
これは洒落にならない。
ところで、今更だが世界観の説明がまだだった。
この世界には魔法やドラゴンなんかが存在する。
そしてこの世界のドラゴンは人間に関わろうとしないし、人間もドラゴンに関わろうとしない。
ドラゴンたちが住んでいる島はこの世界に一つ。
それ以外の土地にドラゴンはいない。
私はたまたまドンピシャでその島に流れ着いてしまったのだ。
一巻の終わりである。
ドラゴンを視認した瞬間、私は恐怖で縮こまるより先に砂浜から木陰へとダッシュした。
本能が
「砂浜なんて見通しのいい場所に突っ立っていたらすぐに見つかって食われるぞ!」
と警告してきたのだ。
木陰に辿り着いた私は縮こまって考えた。
これからどうすればいい?
人はこの島を意図的に避けるから、この島の近くを通りかかった船に救助してもらう、という展開は望めないだろう。
というかすごくお腹が空いた。
そういえば二日も食べていないんだった。
のども渇いた。
私はよろよろと立ち上がった。
考えるのは後だ。
まずは水を飲まないと……。
私は森の奥へと進んだ。
しばらくふらふらしながら歩いていると、川を見つけた。
助かった!
私はすぐに駆け寄ると、膝をついて手で水をすくってゴクゴクと飲んだ。
「ああ美味しい! 生きてるって幸せ!」
私はこの時必死すぎて気がついていなかった。
私の真横にドラゴンがいて、私と同じように川の水を飲んでいたことに……。
お腹がタプタプになるくらい水を飲んだ後、ふと横を見てみるとドラゴンがいた。
こっちを見ている。
私はあまりに驚きすぎて声が出なかった。
ドラゴンは私を見て鼻をひくつかせている。
食われる。
逃げなきゃ。
後ずさりしようとしたが、手足が上手に動かせない。
そんな私をじっと見つめていたドラゴンはゆっくりと口を開いた。
あ、終わった。
私は目を閉じて猫のように丸まった。
食べられるならせめて一口で丸呑みにされるほうがいい。
むしゃむしゃ食べられるのは絶対嫌だ。
そう思った。
しかし
「お前、人間だな?」
ドラゴンは私にそう訊いた。
私は慎重に目を開けてドラゴンの方を見た。
「聞こえなかったのか?」
今度はドラゴンが言葉を話していることに驚きすぎて声が出なかった。
「喋れないのか?」
ドラゴンは首を傾げた。
「さっきからなんだ。心の中でドラゴンドラゴンとは。我にはちゃんと名前がある」
私はそれを聞いた瞬間、目の前にいるのがドラゴンであることを含め、何もかも意識から出ていった。
そして精一杯の大声で叫んだ。
「ナレーションにツッコむんじゃありませんっ!」
ドラゴンは私が急に叫んだことに驚いたようだ。
一瞬目を丸くすると、フッと口元を緩めた。
「いや、これは失礼した。しかしお前が何も喋らないものだからつい」
私は開き直っていた。
なんだか目の前の相手には堂々としていた方がいい気がしたのだ。
「あなたの方こそお前ってなんですか。私にもイザベラという名前があるんです」
「そうか。イザベラか。我が名はパイナポーだ」
私は噴き出した。
「な、なにを笑うのだ。人の名前を笑うのは最低だぞ」
「プッ、ふふ、あ、あなたは人じゃ、ふふ、ないでしょう?」
「笑いながら喋るな!」
「プッ。その顔で、パイナポー。ふふ」
「ぬあああ!」
パイナポーは地団駄を踏んだ。
地面が激しく揺れる。
「ご、ごめんなさい。怒らないで」
パイナポーは私を睨んだ。
そして大きくため息をつくと
「……人間がなぜここにいる」
と改めて訊いてきた。
私は考えた。
パイナポーはさっき私の心の中の声が伝わっているというようなことを言った。
ドラゴンの中には人の心を読むことができる個体がいると聞いたことがある。
考えていることがもしバレるのなら、嘘は通じないということだ。
「その通りだ。我に嘘は通じないぞ」
やばい。
「なにがやばいのだ」
「なんでもないわよ」
私はその時、無意識にバレたくないことを頭の中に思い浮かべてしまった。
パイナポーが笑い出す。
「はっはっは! イザベラ、お前は悪役令嬢で国から追い出されたのか。はっはっは!」
めちゃくちゃ笑ってる。
さっき名前を笑ったことへの仕返しのつもりだろう。
「違う。全然怒ってない。根に持ってない」
嘘つけ。
「嘘じゃないし。それで? イザベラはこれからどうするつもりなんだ?」
「とりあえずご飯が食べたいわね」
「ああ、しばらく食料にありつけていないのか。よかろう。ちょっと待っていろ」
パイナポーはそう言って体を起こすと、近くの木に実っていた果物をいくつか咥えて持ってきて私の前に置いてくれた。
犬みたいだ。
「誰が犬だ。さっさと食え」
「ありがとう」
私はパイナポーの唾液にまみれた果物を川の水で入念に洗い流してからかじりついた。
「いや別に洗うのは構わないが、あんなに洗う必要あったか? 当てつけか?」
「だって臭いんだもの」
「くっ。仕方がないだろう! 前足では歯ブラシを持つことなどできないから歯磨きできないんだ。せめてこれだけはと思ってぐじゅぐじゅぺはしてるのに……」
「あなたうがいのことぐじゅぐじゅぺって言うのね。なんだか気味が悪いわ」
「やかましいわ」
私はパイナポーが取ってきてくれた果物をすべて残さず食べた。
「はぁ。美味しかったわ。ありがとう」
「ああ」
「ねぇ。なんで親切にしてくれるの? ドラゴンは人間に関わりたがらないものだと思っていたのだけれど」
「それはお互い様だろう。人間もドラゴンに関わらないようにする」
「そうなんだけど……それってどうしてなの?」
パイナポーは遠い目をした。
そしてゆっくりと話し始めた。
「昔、人間とドラゴンの間で戦争が起こった。それまでは仲良くやっていたのだが、ちょっとしたことで争いが起こって、それが段々エスカレートしていった結果だ。どちらの側にも甚大な被害が出た。その戦争が終わった時、決めたんだ。こんなことを繰り返さないためにお互いに関わらないようにしようとな」
「へぇー。じゃあなおさらなんで私に食べ物をくれたりするのよ」
「さっきイザベラの心を読んだとき、自分のしたことを心から反省してこれからは真っ当に生きようと思っていることが分かった。見殺しにしても良かったが、この先どのような道を歩むのか見てみたくなったんだ。まぁ王様の気まぐれというやつだな」
「ふーん。……ん? 王様?」
「ああ。我はドラゴンの王。パイナポーだ」
私が初めて会話したドラゴンは、なんとすべてのドラゴンを束ねる王様だったのだ。
「毎回思うけど、ドラゴン編長いな」
レベッカが呆れたように言った。
「ナレーションに」
「待って! 今回はナレーションにツッコんだわけじゃない!」
「……確かにそうね。トドメは刺さないでおくわ」
「ふー、危ないな〜。それにしても、悪役令嬢っていう設定の必要性を疑うような物語よね~」
「メタネタは美しくありませんよ」
「わっしょい」
「続きを話しますよ。いいですか?」
「お好きになさってくださーい」
ドラゴンの王様であるパイナポーと友達になった私は、しばらくこの島で暮らすことになった。
ドラゴンたちともすぐに打ち解けて仲良く……できたら良かったのだけれど。
大人のドラゴンたちとはなんだかんだ上手くやっていたが、子供のドラゴンが問題だった。
好奇心旺盛な子供のドラゴンたちは私のことを面白がって追い掛け回した。
酷い時はフルマラソンくらいの距離を追い回されることもあった。
そのせいでというか、おかげでというか。
私のハムストリングはバッキバキになった。
意地悪なドラゴンもいた。
私が人間であるからというよりも、よそ者だから毛嫌いしていたらしい。
露骨に避けられるくらいなら可愛いものだが、気づかないふりをして踏んづけようとしてくるようなこともあった。
相手にとってはちょっとした意地悪のつもりかもしれないが、私にとっては大問題だ。
普通に死ぬ。
実際何回か踏まれたことがあるが、いずれも大ダメージだった。
なんとかしぶとく生き延びたけど。
そんな生活を続けるうちに、悪役令嬢としては破格のスピードとパワーを手に入れた。
自分が確実に強くなっていることに気がついた私は、本格的にドラゴンたちに稽古をつけてもらうことにした。
毎日木刀片手にドラゴンたちと戦う日々……。
ドラゴンは強かった。
圧倒的重量で押し潰そうとしてくるし、火を噴いたりもする。
私はそれに木刀一本で立ち向かった。
私たちは互いに互いを高め合った。
苦しくも、充実した日々だった。
そうして二年が経った。
私の実力はドラゴンの中でも中の上くらいになっていた。
子供ドラゴンはいつしか私のことを追い掛け回すのを止め、尊敬の眼差しを向けてくれるようになり、意地悪してきていたドラゴンも私の努力と実力を認めてくれて、踏み潰してくることも無くなった。
そんな生活を続けていたある日、パイナポーが私に言った。
「イザベラ、人間の国に帰りたいと思うことはないか?」
私は少し考えた。
ここでの暮らしは好きだった。
それに自分を高めることの楽しさが分かってきたところだ。
ここでずっと暮らしていくのも悪くはない。
でも……。
「やっぱり、帰りたいと思うことはあるよ」
私にはやりたいことがあった。
それは、かつてヤバキノコを盛ったあの人たちに謝ることだ。
私が国を追い出されたとき、言い訳も謝罪もする暇がなかった。
きちんと自分のしたことについて謝りたい。
それは船から落ちて漂流し、この島に流れ着いて、生きていることにただひたすら感謝したあの瞬間からずっと思っていることだ。
最近は、私の命が助かったのは自分がしたことに対してちゃんとケジメをつけるためなのではないかと考えている。
だから私はもう一度あの人たちに会わなければならなかった。
私の心を読んだのか、パイナポーは優しく微笑んだ。
「自分のやるべきことを、しっかりやるんだぞ」
「はいっ!」
私は人間の住む土地へと戻ることになった。
ここに来たばかりの頃に私のことを毛嫌いして踏んづけたりしてきた例のドラゴンが背中に乗せて送ってくれた。
そしてヒロインであるアリアたちが暮らす国の隣の国の海岸に降ろしてもらった。
私は追い出された身だ。
いきなりあの国に帰ることはできない。
ドラゴンの背から舞い降りる私を見て、地元の人たちは目を丸くしていた。
私はどうやってアリアたちに会うかということで頭を悩ませていたのだが、その前にやらなければならないことがあった。
取り調べである。
住民の通報を受けた兵士たちが私のことを捕まえに来たのだ。
私は送ってくれたことのお礼をドラゴンに伝え、大人しく捕まった。
ドラゴンは兵士たちが来る前に飛び去った。
取り調べでは根掘り葉掘り色々なことを聞かれたが、私は正直に話した。
私の話を聞いた兵士たちは、
「そんな話が信じられるか」
と言ってきて、私は何度も同じ話をさせられた。
そんな兵士たちに私は証拠としてあの島にいる時にずっと書いていた日記を見せてみた。
兵士たちは私から日記を奪い取るようにして、興奮した様子で日記のページをめくっていった。
それからなんやかんやあって、それは書物として世に出されることとなり、世間に大論争を巻き起こした。
その影響で人間の意見は、ドラゴンと仲良くすべき派と今のままでいるべき派に分かれた。
私は正直どっちでもいいと思っていた。
お世話になったあのドラゴンたちが平和に暮らせるのならどっちでも良かったのだ。
でも、人間とドラゴンが大昔のように仲良くできれば、それはすごいことだと思っていた。
どっちでもいいとは言っても、どちらかと言えば仲良く派だった。
みんなにドラゴンたちのことを知ってもらいたいという気持ちが少なからずあったのだ。
色んな場所で色んなことが話し合われた結果、ドラゴンと仲良く派が優勢となり、私がドラゴンと人間の橋渡し役を担うことになった。
そうして私は走ってあの島に戻った。
いつの間にか私は水の上を走れるようになっていたのだ。
島に辿り着くと、真っ直ぐにパイナポーに会いに行った。
パイナポーは私がこんなに早く戻ってきたことに驚いていたが、優しく迎え入れてくれた。
私が事情を話すと、パイナポーは難しい顔をして言った。
「もう長いこと人間とドラゴンは関わっていない。急にそういうことになれば混乱を招くだろうし、簡単に決めていい問題ではないのだ」
「そうよね……」
俯く私にパイナポーは希望を与えるように言った。
「でもな、イザベラのおかげでこの島のドラゴンたちは人間に対して好意的な印象を持っている。今すぐにというわけにはいかないだろうが、近いうちに人間とドラゴンが仲良くできる世の中になると我は思っている。そのために、ドラゴンの長として我が直接人間と対話しよう」
「本当!?」
「ああ」
パイナポーは穏やかに頷いた。
そうして私とパイナポーは人間の国に向かった。
どこの国かといえば、この前と同じようにアリアのいる国の隣の国だ。
私は仮にも王様であるパイナポーに乗るのは流石に遠慮すべきだと思ったのだが、パイナポーは気にするなと言って背中に乗せてくれた。
パイナポーは凄まじい速さで飛んだ。
私は前髪を押さえながら必死にしがみついていた。
前と同じように海岸に到着すると、なんと兵士団が待ち構えていた。
それもアリアのところの国の兵士団だった。
一体どういうことなのかと私は困惑した。
パイナポーが砂浜にゆっくりと着地すると、私たちを兵士団が取り囲んだ。
私は慌ててパイナポーの背から飛び降りると、兵士たちに説明を求めた。
「ど、どういうことですか? なぜ私たちを取り囲んだりするんです?」
一人が私たちに向かって一歩前に出た。
奴だ。
あの人の弟……。
剣士長である彼が兵士団を率いてきたのか……?
剣士長は言った。
「昨今世間を騒がせている書物の作者はお前だな」
「は、はい。そうですけど」
「やはりな……」
剣士長は兵士たちに言った。
「この女は二年前に我が兄と私に毒を盛った罪人だ。そのような者がドラゴンと人間を繋ごうとしている。これは何かの企みに違いない!」
「ち、違います! 私はただ」
「黙れ! 問答無用だ。捕らえろ!」
剣士長の指示により、私に向かって兵士たちが駆け寄ってきた。
私はパイナポーを見上げ、
「手を出さないで」
とアイコンタクトで伝えた。
パイナポーは小さく頷いた。
私は右から迫る兵士の右手首を掴み上げて、空いた横腹に肘を入れた。
「グッ!」
兵士は呻き声を上げながら倒れた。
それを見た剣士長は、
「抵抗したな。やむを得ん。斬れ」
と言って剣を抜いた。
それを合図に兵士たちが斬りかかってくる。
私は正面の兵士に一瞬で間合いを詰め、みぞおちに拳を叩き込むと、その兵士が滑り落した剣を蹴飛ばした。
私の動きを見た兵士たちが怯む。
「な、なんて速さだッ! 悪役令嬢の動きじゃないッ!」
私は剣士長を睨みつけた。
剣士長も私を睨み返す。
「おらぁ! っ!」
不意打ちのつもりなのか、後ろから兵士が斬りかかってきた。
私は振り返ることもなく、兵士の振り下ろした剣の側面をデコピンで弾いて軌道を逸らすと、右肘で兵士のみぞおちを貫いた。
兵士は気を失ったようで、私の足元に転がった。
「……全員下がれ。私がやる」
剣士長が私に向かってきた。
私も同じように剣士長の方に歩く。
そして互いの間合いに入る直前、私は勢いよく頭を下げた。
「すみませんでした!」
剣士長は動きを止め、私をじっと見た。
「なんの真似だ」
「謝罪です。私は二年前、あなたとあなたのお兄さんにヤバいキノコを盛りました。私はそのことをまだ謝っていませんでした。本当にごめんなさい」
剣士長はしばらく黙って私を見つめた後、ゆっくりと口を開いた。
「……あのキノコには命の危険があるような類の毒はなかった。私が悪意があると察知したのだから、あれに悪意があったことは確かだが、意図が分からなかった。あれは一体どういうつもりで仕込んだものだったんだ?」
「あのキノコは惚れ薬です」
「……ほれ? は?」
「惚れ薬です」
「ん? ちょっと待て。惚れ薬だと? それはおかしいだろう。あのキノコには私にも兄にも盛られていたんだぞ? まさか……私と兄を仲良くするためのものだったというのか……? 悪意ある良心的犯行?」
剣士長は大真面目に馬鹿なことを言った。
「どうやったらそんな考えになるんですか? 二人が私に惚れるようにするために決まっているでしょう」
「どうやったらそんな発想になるんだ? 二人も自分に惚れるようにするなんてそんなの、なんていうか……なんかダメだろう?」
「なんかダメって……まぁそりゃ悪いことですけど」
「おのれ。やはりお前は悪役令嬢。とんでもないことを考えおる。許せん! ……いやちょっと待てよ。惚れさせようとしたってことは、お前は私と兄に好意を寄せていたということか?」
忙しい人だな。
「まぁ……そうですね。お二人とも好きでしたよ。家の意向もあってどちらかと言えばあなたのお兄さんの方を狙ってましたけど。でも……余計なことだって分かっていても、ついでにヤバキノコを盛るくらいにはあなたのことも好きでした。今思えばあの行動は、あなたのことを諦めてあなたのお兄さんと結ばれることに対して無意識に抵抗してしまった結果なのかもしれませんね」
「ということはつまり……お前は私のことを心底好いているということかッ!」
「え、まぁ。言われてみればそうかもしれない?」
「はい。おしまいよ」
私がそう言うとレベッカは深いため息をついた。
「あ~あ。いっつもここで終わるんだよな~。続きが気になるな~」
「ふふ。もう聞き飽きたんじゃなかったかしら?」
「毎回最初はそう思うんだけどさ~、最後まで聞いたらやっぱり続き気になるんだよ~」
「でも内緒よ。……あら、話していたらいつの間にかいい時間になってしまったわね。そろそろ迎えが来る頃かしら」
「え! ばあちゃん死んじゃうの!?」
「違うわよ。そのお迎えじゃなくて。あ、噂をすればね」
私たちの頭上から姿を現したパイナポーがゆっくりとお庭に降り立った。
「それじゃあ私はアリアたちとのお茶会があるから行くわね。レベッカ、いつも言っていることだけれど、私が自分の話を通じて何を言いたいのかと言うと」
「はいはい、分かってるよばあちゃん。いい子にしてないと将来悪役令嬢になっちゃうわよ、でしょ?」
私はニッコリと微笑んだ。
「その通りよ。さて、あなた~、迎えが到着しましたよ~」
私がお屋敷に向かって言うと、
「今行く」
と夫から返事が返ってきた。
数分後にお庭に来た夫と一緒にパイナポーの背に乗った。
「お迎えありがとうねパイナポー」
「構わないさ。我も久しぶりにイザベラに会いたかったところだ」
私はその言葉に頬を緩めた。
そしてパイナポーは翼を広げて大きく羽ばたき始めた。
「またね~!」
レベッカがお庭から手を振ってくれている。
私と夫も笑顔で手を振り返した。
お茶会に向かうべく、パイナポーに乗って上空を移動している途中。
夫が
「兄に会うのは久しぶりだ」
と言った。
「前に会ったのは、あなたが剣士長を引退したときだったかしらね」
「そうだな。二か月前だ」
「こんな歳になってまで本当に頑張ったわよね。長い間、お疲れさまでした」
「ありがとう。イザベラの支えがなければここまでやってこれなかっただろう」
夫はそう言って微笑みかけてきた。
「そうかもしれないわね」
人間とドラゴンが仲良くできる世界を作った元悪役令嬢の英雄イザベラは、若い頃にヤバキノコを食べさせようとした夫に対してニッコリと微笑み返した。