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独り言、二人言

 僕の名前は古川(ふるかわ)(みなと)
最近の悩みは近所のカラスがうるさいことと、月に一度友人が訪ねてくることだ。

友人は決まって毎月十四日に訪ねてくる。
僕はそれが嫌なのだ。

今日は四月の十四日。
きっと今日も友人は来るだろう。
憂鬱だ。

そんな僕の気持ちを知るはずもない友人がやはり訪ねてきた。

「よう。一か月振りだな」

友人はそう言って僕に哀れむような視線を向けてくる。

こいつは僕が大学で親しくしていた友人、岩田(いわた)(かける)だ。

「これ。お前好きだったよな」
翔は酒を差し出してきた。

僕はもう酒飲めないんだけどな。
そう思っても、僕にはそれを口に出すこともできない。
何も言わない僕に翔は悲しげな顔を向けてくる。

僕はある出来事がきっかけで喋ることもできなくなった。
それを翔は自分のせいだと思っている。

だからこうして月に一度顔を見せてくるのだ。
それが自分にできる唯一の償いだとでも思っているのだろう。

「……あー、あとこれ。家の近所の花屋で買ってきたんだ」
翔はリンドウの花を差し出してきた。

見舞いのつもりだろうか。
僕は何も言わない。

翔は思い出したように話し始めた。
「そういえば覚えてるか? 大学時代、この時期は心晴と三人で花見しながら酒飲んでたよな」

心晴というのは坂口心晴(さかぐちこはる)のことだ。

僕と翔と心晴はいつも三人で過ごしていた。
三人とも酒が好きで、年中なにかと理由をこじつけては酒を飲んでいた。

春は桜を見ながら、夏は花火を見ながら、秋は月を見ながら、冬は雪を見ながら。

僕たちはどんな時も一緒にいた。
人生であれだけの時間を共にした人間は家族以外にいなかったし、一緒にいてあんなに心地良かった人間は他にいなかった。

僕が何も言わないので、翔は一人で話し続ける。
「あの公園の桜は今年も綺麗に咲いていたよ。また……」
翔は何かを言いかけて口を開いたが、すぐに頭を振って
「じゃあ。また来月来るよ」
そう言い残して帰っていった。


 翔が帰った後、しばらくボーっとしていると、二人目の訪問者がやってきた。

「こんにちは。さっきそこで翔と会ったよ」

笑顔で語りかけてくるこの子は心晴だ。
さっきも言ったが、大学時代僕は翔とこの子と三人でいつも一緒にいた。

「あ、そうだ。はいこれ。うちのばーちゃんのおはぎだよ」
心晴はニコニコしながらおはぎを差し出してきた。

心晴の祖母はおはぎ屋をやっている。
大学にいたときも、ことあるごとにおはぎを渡された。

カレーを食べている時でさえ渡されることがあったくらいだ。

「んー。ここはカラスがいっぱいいるね。私はカラス結構好きだな。賢いし」
心晴は辺りを見渡すようにして言った。

「カラスに取られちゃわないように早く食べてね?」
心晴は冗談めかして言った。

「あ、それ湊君の好きなお酒だね。翔君が持ってきたのかな?」
何も言わない僕に対して心晴はいつも通りに見えた。

「やっぱり春といえば花見で一杯だよねー。そういえば私たちお酒飲みながら花札してたこともあったよね。あの頃は敵わなかったけど、最近は私も結構強くなったんだよ? 今なら湊君にも勝てるかもね。……それじゃ私はそろそろお暇しようかな。また来るね」
心晴は軽くこちらに手を振ってから帰っていった。

僕は……この二人が来ることに対して、どう思えば良いのだろう。

二人が来ることが嫌だという気持ちはある。
正直来てほしくない。

でも、わがままなのかもしれないが、二人の記憶から僕という存在が消えてしまうことはとても怖いのだ。
二人が来るたびに僕は頭を悩ませている。




 五月十四日。
十四日である今日は、やはり翔が訪ねてきた。
僕はため息をつきそうになった。

「今日も持ってきたぞ」
先月と同じように翔はカバンから酒を取り出した。

「あとこれもな」
これまた先月と同様にリンドウの花を差し出してきた。
僕は相変わらず何も言わない。

「最近、近所の花屋によく行くんだ」
翔は僕に渡したリンドウの花を見ながら言い訳するように言った。

そして言葉を探すように辺りを見渡してから話し始めた。
「五月だな。大学の時は五月病だーとか言って、講義サボってお前の家で心晴と三人でゲームしてたっけ。懐かしいな……。お前がでたらめに強くて、心晴は信じられないくらい弱かったな。ハハ。今にして思えば俺たちって極端だよな。三人のうちの一人が極端にできて、一人が極端にできない。そしてあと一人が大体普通くらい。そんなことばっかりだった。ある意味バランスが取れていたんだな」

昔を懐かしむように頷きながら翔は物言わぬ僕に語り掛けるようにして話した。

「よく考えたら酒だってそうか。みんな酒は好きだったけど、俺が弱くてお前が普通で心晴は強かった。いつも俺がふらふらになって二人で介抱してくれたな。迷惑かけたよ。ごめんな。でも楽しかった。俺はお前たちと出会えて良かったと思ってる。……また来るよ」
翔は呟くようにそう言って帰った。


 そして、また先月と同じように心晴がやってきた。
変わらずニコニコしている心晴を僕は黙って見つめる。

「調子はどう?」
答えが返ってくることを期待した問いではなかったようで、心晴はすぐに続けた。

「私はこの時期はやっぱりなんとなくやる気がでないんだー。五月病ってやつなのかな。あ、忘れるところだった。こればーちゃんのおはぎ」

心晴はまるで義務であるかのように僕におはぎを差し出してきた。

僕は例によって何も言わないが、心晴もまた例によって気にせずいつも通りだ。

「ゴールデンウィークが終わった直後はやっぱりダウナーになっちゃうね。最近は何事にも身が入らなくて困っちゃうよ。……ごめん。愚痴になっちゃったね。んー。あ、そうだ思い出した! 昔、こどもの日だからとかいう理由で鯉のぼり見ながらお酒を飲んだりしてたねー。ふふ。今考えてもただお酒が飲めればなんでもいいっていうのが丸わかりだね。翔君が酔っ払って俺は魚だ! ギョギョギョギョ! とか言い出してスイスイ泳ぐジェスチャーを全力でやり始めたときはお腹痛くなるまで笑っちゃったよ」
心晴は口元を手で隠すようにして上品に笑った。




 今日も今日とて翔が来た。
ここにはカレンダーなんて気の利いたものはないが、翔が来たということは十四日なのだろう。

雨が降っている。
翔は傘を差してやってきた。

「ほら、また持ってきたぞ」
翔はいつもと同じ酒を持ってきた。
僕は差し出された酒を無言無表情で見つめる。

僕が無言だから翔が話すとどうしても独り言のようになってしまう。
「梅雨だな。お前は確か頭痛がするから梅雨は苦手だと言ってたっけ。でも酒飲みゃ消えるとか言って酒飲んでたな。甘いもの食べたら治るかも、と言って心晴がおはぎを渡すのもセットだった。その印象が強くて俺の中で梅雨といえば酒とおはぎのイメージだよ」
翔は苦笑いした。

「そういえば、心晴のばあさんはまだおはぎ屋をやっているみたいだぞ。元気だよな。あ、忘れていた。これ、いつもの花だ」

翔がリンドウの花を差し出してきた。
いい加減見慣れてきた花だ。

「……お前がいない日常は寂しいよ。いつも一緒にいたのにな。どうして、こんなことに……」

僕は苦痛に堪えるような表情を浮かべる翔を見ても何も言えずに、ただ馬鹿みたいに眺めるだけだった。

「また来るよ」
翔は絞り出すようにそう言って帰っていった。

もう来ないでくれ。
僕は心の中で思ったことを声に出すことができず、悲壮感漂う背中を黙って見送った。

そんな僕を慰めるように、或いは嘲笑うようにカラスが鳴いた。

僕は鳴き声が聞こえた方向に一瞬視線を向けた。
声の主は見当たらない。

僕は不貞腐れて下を向いた。
翔が置いて行った酒が視界に入る。

僕はため息をつこうとしたが、できなかった。
僕にはもはやため息をつくことすらできない。


 恒例となった流れだ。
翔が去ってしばらくすると、心晴がやってきた。

心晴は親に何かを自慢しようとしている子供のような表情をしていた。

「今日のおはぎは一味違うよ? なんと私が作ったのだ! すごいでしょ。あんまり上手にできなかったかもだけど、一生懸命作ったから食べてみてね」

ちょっと待ってくれ。
心晴は料理が不得意なのだ。

大学時代に酒のつまみを作ってきたことがあり、僕と翔は味見を頼まれたのだが、顔が引き攣るような味だった。

それ以来酒のつまみは必ず僕か翔が作ることになったのだ。

目の前の心晴はぎこちなく笑っている。

……。
こんな顔をされたら食べないわけにはいかないだろう。

「それじゃあまた来るね。……おはぎは無理しなくていいからね?」
心晴は困ったような笑顔を見せた。




 今日は服をパタパタさせながら翔がやってきた。

七月十四日。
すっかり夏だ。

翔の服装も随分と涼しそうなものに変わっている。

「これいつものだ。ふー、暑いな。湊はどうだ? お前は確か暑がりだったよな。あーそうだ。この前、年甲斐もなく短冊に願いを書いてみたんだよ。大学の時、駅前にあったやつに三人で書いてたことを思い出してな。あの時お前は必死に隠してたけど、俺にはなんとなく分かっていたよ。心晴とのことだろ?」

図星を突かれて僕は驚いた。
翔にはバレていたのか。

まぁでもいつも一緒にいたんだ。
気がついていても全然不思議じゃない。

「俺は……。いや、やっぱり何でもない」
翔は誤魔化すように少し笑うと、
「またな」
軽く手を上げて帰っていった。


 いつものように心晴も来た。
手で顔を扇ぐようにしている。

「いや~暑いねぇ。こんなに暑いとおはぎも溶けちゃうよ」
心晴は大袈裟に首を振った。

「七月かー。三人で花火大会に行った覚えがあるなー。屋台で食べ物いっぱい買って、花火見ながらお酒飲んだね。ん? 私たちいっつもお酒飲んでるな。……まぁそれはいいや。年中飲んでるもんだからちょっと太っちゃって夏に向けて二人に隠れてダイエットしてたなー。ふふ。気づかなかったでしょ? 見えないところで結構努力してたんだよ私」

……知ってるよ。
心晴は辛くても苦しくても、何でも一人で抱え込もうとするんだ。
僕たちに隠れて色々やっているのには気づいていた。

そんな心晴が見てられなくて、守ってあげたくなって僕は心晴のことを……。

どれだけ内に秘める想いがあっても、やはり僕は何も言えなかった。




 今日は八月十四日。
翔は暗い顔をしてやってきた。

「湊。一か月振りだな。これいつもの酒と花だ」

いつもより元気がないようだ。
口を固く結んで苦痛に耐えるような表情を浮かべている。

無理もない。
僕が喋ることもできなくなった、その原因となった出来事は何年か前の、それもちょうど八月十四日に起こったことなのだ。

「……」
翔は黙って俯いている。

自分のせいで僕がこうなったと思っている翔にとって、八月十四日というのは罪の意識に苛まれる日なのだろう。

翔が黙っていることで、辺りにはカラスの鳴き声がうるさいくらいに響き渡っている。

僕は完全な沈黙が苦手なので、普段はやかましく思うカラスの声も今はありがたいような気がした。

翔はポツポツと懺悔するように話し始めた。
「……あの時、俺が海に行こうなんて誘わなければ湊は……。いや、今更謝られても困るよな」
罪悪感に溺れる翔を僕は黙って見つめる。

最近は翔も僕が何も言わないことを気にしないようになっていて、独り言のように僕に語り掛けていたのだが、今日は僕が何も言わないことが翔にとって耐えられないことであるようだ。

「すまない。今日は、もう帰るよ。また来る」
翔は逃げるように帰っていった。


 心晴も翔と同じように覇気がない様子で来た。
「これ、おはぎだよ。今日はたくさん持ってきたからね。たくさん食べて」

何か言いたいが、言うかどうか迷っているというような様子だ。

心晴は口を開いては、言葉を飲み込むように閉じるのを繰り返している。

しばらくそうした後、心晴は消え入りそうな声で言った。
「……あれは、翔君が悪いわけじゃない。もちろん湊君が悪いわけでもない。でも湊君が恨んでいても仕方ないと思う。それでも……翔君はずっと後悔してる。苦しんでる。それだけは知っていてほしいな」
心晴は取り繕うような笑顔を見せた。

二人が辛そうにしている姿を見ても僕は何も言えない。




 九月十四日。
翔がやってきた。

いつものように酒を差し出してくる。

あれ、珍しいな。
いつもと違う酒だ。

「よう。これ、いつもと違うけど、今日は中秋の名月らしいからな。月見用の酒だ」

なるほど。
今日は中秋の名月だったのか。
そっか。

僕は秋が一番好きだ。
月が綺麗だし、過ごしやすい気温だし。

そんなことを思った僕の思考を読んだように翔が言った。
「湊は確か秋が一番好きだと言っていたっけな。俺もどれか選べと言われれば秋を選ぶと思う。三人で夜中に紅葉と月を眺めながら飲んだ酒は忘れられないよ。そういえばお前の夢を聞いたことがあったな。なんだっけ。花火を見ながら、雪がしんしんと降る中、夜桜と紅葉を愛で、露天風呂に浸かりながら月見で一杯とか言ってたな。あの時は笑ったけど、俺もやってみたいと思ったよ。季節が無茶苦茶だけどな」
翔は小さく笑った。

そこに心晴がやってきた。
珍しいな。
いつも入れ違いになっているのに。

「あれ、今日はここで出くわしたね。いつも翔君の帰りにすれ違ってるのに」
「そうだな」

「何の話してたの?」
「湊の夢の話だ」

「あー、あれね」
心晴はニヤリとした。
「贅沢だよねー。私もやってみたいもん」

しばらく二人が話しているのを眺めていた。
二人は僕にも話しかけたが、僕が何か言うことはなかった。




 十月十四日。
翔と心晴が二人一緒にやってきた。

前回、今度からは二人で来るとかいう話をしていたから、僕は驚かなかった。

「これ、いつもの酒だ」
翔がいつものように酒を差し出してきて、その酒を見た心晴はニコッと笑った。

「あ、それ湊君が好きだったやつだよね。私からも。おはぎだよ」
心晴もいつもするように、おはぎをくれた。

「相変わらずおはぎか」
翔が呆れたように言った。

心晴はほっぺたを膨らませてみせる。
「おはぎいいじゃん。おいしいよ? 翔君もいる?」
「はぁ。もらえるならもらおう」

「百二十円になります」
「金とるのかよ」
「ふふ。冗談だって。はいどうぞ」

僕は二人の会話を黙って眺めている。

心晴が思い出したように言った。
「あと二週間とちょっとでハロウィンだねー」
「湊は衣装自作してたことがあったな」

「あったねーそんなこと。すごいクオリティ高かったし」

「俺はゴミ袋を纏っただけみたいな酷い出来だったから一緒にいて違和感すごかったけどな」

「私は普通に買ったんだっけ」
「チョイスは意味不明だったけどな。たんぽぽのコスプレをしていたのは心晴だけだった。周囲からの視線が痛かったのを覚えている」

そんなこともあったな。
僕たちはハロウィンでも当然集まって酒を飲んでいた。

それにしても翔は少し緊張しているように見える。
視線をあっちこっちに向けていて落ち着きがない。

「それじゃ。俺はそろそろ帰る。また来るよ」
結局心晴を残して、一人で帰ることにしたようだ。

「あ、もう帰るの? じゃあまたね」
心晴は翔にひらひらと手を振って見送った。

その後、心晴は少し近況報告をしてから帰っていった。




 今日は十一月十四日。
今日も翔と心晴は一緒にやってきた。
これからは二人で来るのが当たり前になるのだろう。

「いつものだ」
「おはぎだよー。あれ、そういえば今日翔君誕生日じゃない?」
いつものを済ませた後、心晴が翔にそう言った。

「あーそういえばそうだったな」
翔は忘れてたというように頭を掻いた。

本当に今思い出したのだろう。
こいつは毎回自分の誕生日を忘れるのだ。
だから僕たちが覚えておいてやらなければいけない。

「いや~渡せるものがあってよかったよ。はい、おめでとおはぎ」
心晴は宝物を見せるように翔におはぎを渡した。

「ありがとう。誕生日までもおはぎか」
翔は苦笑いしながら受け取った。

「大学時代は三人でパーティーしてたねー。まぁひたすらお酒飲んでただけだけど」
「俺たちずっと酒飲んでるな」

「それで酔っ払った翔君がずっと、俺は今日誕生日だヒャッハー! って言ってたね」
「そ、そうだったか? 記憶違いだろ」
翔は心晴から目を逸らした。

いや記憶違いではない。
僕もちゃんと覚えてる。
なんなら動画を撮った覚えもある。

「もう随分とそういうことはやってないな」
「そうだねー。最後にしたのは……いや、やっぱなんでもない。それより寒くなってきたね」
心晴は一瞬悲痛な表情を浮かべたが、すぐにいつもの調子に戻って、誤魔化すように微笑んだ。

その後は少し昔話をしてから、今度は二人で一緒に帰っていった。

僕は二人が並んで歩いているのを見つめた。
僕にはもう二人の隣に立って歩くこともできない。
僕は無表情で二人を見送った。




 二人が来た。
外はかなり寒そうだった。

それもそのはず、もう十二月だ。
僕にはあまり関係のないことだけど。

二人の服装は冬に適したものに変わっている。
翔も心晴もかなり厚着しているようだ。

「いやーほんと寒いねー」
心晴は自分の手に息を吐きかけた。

「ああ。俺もこの下三枚着てる。これ、いつものだ」

いつものを済ませた後、
「そろそろクリスマスだね?」
心晴がマフラーに埋もれた翔の顔を見ながら言った。

「年末か。今年も早かったな」
「三人でクリスマスパーティーしたのって何年前の話だっけ?」

「懐かしく思う時がきてしまったな」
「ずっと三人で仲良くできると思ってたのにな……」
「……そうだな」

二人とも俯いてしまった。
しかし、それを見ても僕に言えることは何もない。
僕は喋ることもできないから。
自分のことが嫌いになりそうだ。

心晴が話題を変えた。
「……年末といえば、三人でカウントダウンして、年越しの瞬間ジャンプしたりしてたね」

「あー、それも懐かしいな。年越しの瞬間地球にいなかったってやつだな」

「そうそう。私は去年、年越しの瞬間地球にいなかったんだよ?」
心晴が子供のような笑顔を見せる。

「まだやってるのか。元気だな」
翔は雑に返した。
「なんかそのリアクション傷つくな……」

今日も二人は一緒に帰っていった。




 一月十四日。
翔と心晴が来た。

二人の吐く息はまだ白い。
それを見て僕は外が寒いのだということを再認識した。

「あけおめ湊君。おはぎだよ」
「あけましておめでとう湊。酒だ」
心なしか二人の距離が縮まっているような気がした。

二人はいつものように思い出話を始めた。

心晴が
「正月は……餅つきとかしてたんだっけ?」
と翔に言った。

「あー。神社かなんかでやってたのに参加したんだったか」
翔が答えると、心晴は嬉しそうに頷いた。

「そうそう。お餅おいしかったなー」
「あんまり食べてると太るけどな」
「それは言ってはいけない」

二人が楽しそうに話しているのをいつものように僕はただ眺めるだけだ。

「正月も集まって酒飲んでたな」
「翔君が酔っ払って、よく噛まずに餅を飲み込んで窒息しかけたときは焦ったよ」
心晴は楽しそうに笑う。

「ほんと二人には迷惑ばかりかけたな。すまない」
「ううん。楽しかったよ」
そう言って心晴は翔に優しく微笑みかける。

翔に笑顔を向ける心晴を、僕は見ていた。




 二月十四日。
バレンタインデーだ。
今日も二人はやってきた。

心晴が元気よく言った。
「ハッピーバレンタイン! ということでおはぎです」
ニコニコしながらおはぎを差し出してくる。

「チョコじゃないのか」
「おはぎです。はい、翔君も」
「……ありがとう」
翔は複雑な顔をしている。

普通にチョコが欲しかったのだろう。
翔は貰ったおはぎを一口食べてから言った。

「そういえば大学の時もバレンタインはおはぎを貰ったな」
「嬉しかったでしょ?」
「たはは」
「はい、嬉しかったということで。それにしても二月か。そろそろ三月だね。あっという間だ」
心晴は寂しげな顔を僕に向けてきた。

僕が喋ることもできなくなった原因は何年か前の八月十四日の出来事にある。

そして僕が完全に口を利けなくなった決定的な出来事は何年か前の三月十四日に起こったことなのだ。

僕は、昔を懐かしむように遠い目をしている二人を黙って見ていた。




 三月十四日。
今日は翔と心晴の前に何人か僕の元を訪ねてきた。

午後になり、他の人が帰ったところで翔と心晴がやってきた。

二人は神妙な面持ちで黙って僕を見つめている。
沈黙を嫌うようにカラスが鳴く。
翔が大きく息を吐いてから言った。

「もう……三年になるな」

心晴が頷く。
翔はいつものように酒とリンドウの花を持っている。
心晴は菊の花とおはぎを持っている。


「お前が死んでからもう三年も経つ。早いものだ」


僕は三年前の三月十四日に死んだ。
月命日である十四日に二人は僕の墓へと訪れる。
お供え物として酒やおはぎなんかを持ってくるのだ。

祥月命日である今日は他の人間も訪れてきたが、基本的にここはお供え物を狙うカラスくらいしかいない寂しい場所だ。

「……すまない。謝ったってどうにもならないことは分かっている。でも、謝らせてくれ。お前が死んだのは、俺のせいだっ!」
翔が顔を歪ませながら訴えるように言った。

心晴がすぐに否定する。
「違う! 翔君のせいなんかじゃない! あれは事故。誰のせいでもないよ」
心晴の言葉を聞いても翔は暗い顔をしたままだ。




 僕が死ぬことになったのは、溺れてしまったからだ。

僕が死んだ前の年の八月、つまり僕が死ぬ半年くらい前に、僕たち三人は海に遊びに行った。
僕は泳ぐのが得意で、翔は泳げなかった。

離岸流というものを知っているだろうか。
海水が岸から沖へと流れる現象のことだ。

それにより浅瀬で遊んでいた翔は沖へと流され、溺れかけた。

僕はそれに気づいたとき、すぐに近くにあった救命浮き輪を持って助けに行った。

結果、翔を助けることはできたが僕は溺れてしまったのだ。

なんとか一命を取り留めたものの、溺水中に酸素欠乏状態になり脳に損傷が生じた僕はいわゆる植物状態になった。

そして半年くらいなんとか命は続いていたが、結局回復することはなく、三月十四日に命を落とした。

翔は自分のせいで僕が死んだと思っているのだ。
だから自分を責めている。

「ごめん、ごめんな……」

翔は何度も何度も謝ってくる。
だが、いくら謝られたところで僕はもう死んでいる。

はぁ。

これがほんとの死人に口なしってやつだ。
こいつの勘違いを正してやることもできない。

翔は多分心晴に惹かれている。
でも、僕への後ろめたさから、一歩踏み出すことができないのだろう。

まったくしょうがない親友だ。
僕が一肌脱いでやることにするか。

最後のお節介だ。
幽霊らしく化けて出てやろう。




 三月十四日の夜、俺は夢を見た。
夢の中には三年前に俺を助けるために死んだ親友が出てきた。

舞台は露天風呂。
満開の桜と紅葉が目に入った。

時間は夜で、しんしんと雪が降っている。
満月だ。
そして花火も上がっている。

俺は酒瓶片手に風呂に浸かりながら呆然と空を眺めていた。

ふと、隣にもう一人いることに気付く。

「よう翔。久しぶりだな」
「湊……? 湊か!?」
「ああ」
湊も俺と同じように酒瓶を持って空を眺めていた。

「これは……夢なのか?」
「ああ。夢だ。僕は幽霊だからな。夢に干渉することができるのさ」
湊はそう言って笑った。

ここにいる湊が俺の想像が作り出した存在である可能性は否定できない。

でも、たとえそうだったとしても、湊を目の前にしたのなら俺には言わなければならないことがある。

俺は酒瓶を温泉の縁のところに置いて湊の方に向き直った。

「湊……俺は」
湊は俺の言葉を遮って
「どうせ僕が翔のこと恨んでるとか思ってるんだろ?」
と相変わらず空を眺めながらなんでもないことのように言った。

「……ああ。恨まれて当然だと思う。俺のせいで」
湊はまた俺の言葉を遮った。

俺の方に顔だけ向けると
「勘違いするな。僕は勝手にお前を助けた。頼まれてやったわけじゃない。恨む筋合いなんかない」
ぶっきらぼうにそう言ってまた視線を空に向けた。

「しかし……」
「うるさいな。恨んでねぇっつってんだろ。僕はお前に生きてほしいし幸せになってほしいんだよ。僕のせいで二人がくっつかないもんだから、申し訳なくてお前らが墓参りに来る度に嫌な思いをしてるんだ。僕のためにもさっさとくっついてくれ」
湊はからかうような口調で言った。

「な、なんのことだ」
「惚けんな。心晴のことに決まってんだろ。さっさとプロポーズしてこい」

「……俺は、お前が心晴のことを想っていたことを知っている」

湊は儚げな笑顔を見せた。
「僕はもう死んでる。死人に遠慮なんかすんな。頼む。僕のためだと思って。な?」

「……お前がそう言うのならもう遠慮はしない。俺が、この先心晴を守る」
「それでいいんだよ」
湊は手に持った酒瓶の中身を胃の中に流し込んだ。

「湊」
俺が呼びかけると湊は
「なんだよ」
ため息をつきながらこっちを見た。

「ありがとう」
俺は湊に拳を差し出した。

「気にすんな。親友だろ?」
湊は微笑んで俺の拳に自分の拳をこつんと当てた。

「ああ。そうだな……」
俺は目を覚ました。




 次の日、俺は心晴を呼び出した。
ここは昔、三人でよく来ていた公園だ。

桜がちらほら咲いている。
それを眺めながら待っていると、心晴が公園の入口にいるのが見えた。

心晴は俺の姿を認めると、笑顔で駆け寄ってきた。
「どうしたの? 珍しいね。翔君が私を呼び出すなんて。……いつの間にか珍しいことになっちゃったんだね。昔は当たり前だったのに」
「そうだな」
俺は一度深呼吸してから話し始めた。

「昨日、夢に湊が出てきた」
「へぇ! なんて言ってた?」
「遠慮するなとさ」
「? どういうこと?」

心晴は首を傾げた。
俺はもう覚悟を決めた。
湊に代わって俺が心晴を幸せにする。

「心晴、結婚しよう」

しおり