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「だからって、あんなやり方……!」
「だったら、なんだ? 真奈美が犠牲になっても良かったって言うのか?」
そう言い、巫女さんは少し離れたところで倒れている真奈美を指す。傷一つ無い五体満足の状態で気絶している彼女の姿を見て、涼佑は言葉に詰まった。巫女さんの話では、真奈美を連れ去った『鹿島さん』は途中で巫女さんに追いつかれると判断した途端、彼女の首に手を掛けたらしいが、寸でのところで巫女さんが刀を振るって歪な手足を落とし、胴を貫いたところで涼佑の姿を一瞬、見たのだという。「おそらく、刀を通してお前の魂に僅かに触れたんだろう」と淡々と告げる彼女に、涼佑は言葉が見付からなかった。
上手く行っていたと、思っていたのだ。自分が頑張れば、哀れな霊を成仏させられると思っていたのだ。しかし、今回のことでそれがどんなに難しいことか、涼佑は漸く理解したのだった。生者の命を救うにはなるべく早く怪異を斬らなければならない。けれど、それでは死者に対する救いにはならない。死者を救うには時間が要る。先程の現象はどちらかを取れと選択を迫られ、結局彼は自分で選べなかったのだ。
「オレ……は…………」
「――お前の気持ちが分からない訳じゃない。けど、現実は理想通りに行かないんだよ、涼佑」
『現実は理想通りに行かない』どこか諦観を含んだその言葉が、涼佑の胸に重石のように深く据えられた。彼の耳にはまだ『鹿島さん』の「忘れないで」という呟きが余韻のように残っている。
それから未だ納得はいっていないが、いくらか冷静になった涼佑は、取り敢えず真奈美を背負い、そのまま彼女の家に帰ることにした。傍らに巫女さんはいるのに、重い沈黙が流れる。怪異はもう倒したというのに、涼佑の心は晴れなかった。
そんな彼に巫女さんは「涼佑」と優しく声を掛ける。見ると、彼女は自分の手に載っている玉のような物を差し出して見せた。
「それ――」
「『鹿島さん』とやらの核だ。霊も妖怪も都市伝説も私に斬られると、最後はみんなこうなる。白く光ってるだろ? これは『鹿島さん』の魂が消滅して純粋な霊力だけを抽出された状態だ。もし、お前が今後も生者・死者問わず救いたいと思っているのなら、よく見て、覚えておけ」
「……なんで」
「戒め、と言ったらいいのか。まぁ、なんだ。お前が納得できるものに当てはめて考えろ。本当に誰かを救いたいと思うなら、考えることを放棄するな。お前が納得するなら、私を恨んでもいい。憎んでもいい。だが、自分の気持ちに嘘を吐くなよ」
「………………ずるいよ。オレが、今更巫女さんのこと恨める訳無いだろ」
静かに涙を流しながら弱々しくもそう主張する涼佑に、巫女さんは少々驚いたのか瞠目し、ふっと微かに笑んで、彼の肩を抱いた。直接触れられなくとも、それは確かな安心感を伴う。
「そうだな、済まなかった。今のは私が悪かった、許してくれ。だがな、涼佑。自分の気持ちに嘘を吐くなとは言ったが、感情・行動に伴う責任も忘れるな。今回、私が追いつくのが遅かったらどうなってたと思う」
「――真奈美が、死んでた。かも」
肯定するように巫女さんは頷く。涼佑にとってその答えは極めて残酷だが、絶対に有り得ない未来とは言い難いものだ。もうそれ以上、何も言わない巫女さんは言外に「お前の納得できる答えを見付けろ」と言っているようで、涼佑は自分の弱さを痛感した。
「もういいか?」
「うん」
じっと目に焼き付けるように『鹿島さん』だった玉を見つめていた涼佑は、決して忘れないように心に刻み付ける。これから先、こうして救えない魂はあるかもしれない。もしかしたら、数え切れない程出会うかもしれない。けれど、彼はそれらから逃げることだけはしたくない、と思った。彼の答えを聞いた巫女さんはひょい、といとも容易くその玉を口に含み、飲み込む。彼女の胸の辺りが一瞬だけほんのりと輝くのを見て、涼佑は複雑な気持ちになりながらも、自分に言い聞かせるように頷いた。
真奈美の家を目指して歩いていると、前方から直樹達の声がした。少しだけ目線を上げると、予想通り彼らが走って来るところだった。未だ少し混乱している様子の彼らは口々に「大丈夫!?」や「怪我はっ!?」や「『鹿島さん』は? もういない?」と涼佑達への心配や『鹿島さん』への警戒から声を掛けてくる。それに一つ一つ努めて冷静に返す涼佑の様子に、皆だんだんと落ち着いてきた。
どこか意気消沈している涼佑を気遣い、絢が直樹に「真奈美のこと、お願い」と頼むと、直樹は少し緊張した面持ちで返し、涼佑と交代した。心なしか頬を染め、嬉しそうに見える。煩くなるだろう彼を絢が急かして少し距離を取り、涼佑に寄り添うように友香里が隣を歩く。
「本当に大丈夫? 涼佑くん」
「……いや、ちょっと、分かんない」
直樹達と離れて友香里に優しく声を掛けられると、漸く涼佑は素直に自分の気持ちを吐露した。もう以前のように外面など気にしている余裕は無い。それほど、今回の結末は彼にとってショックだった。整理しきれないものを誰かと共有したかったという気持ちから、ぽつぽつと涼佑は歩きながら先程起こったことを友香里に話して聞かせた。
友香里は一度も口を挟まずに相槌を打ち、時折頷いて聞いてくれた。『鹿島さん』を成仏させることができなかったと落ち込む涼佑に、友香里は少し思案した後、「これは私の考えだけどね」と前置きしてから自分なりの意見を述べる。
「涼佑くんはできることをしただけだと思うよ。私達にできないことを涼佑くん一人でやってるってことは、それだけ凄く負担掛かってるってことだろうし。全部完璧にするのは、きっと私達の想像を超えることなんだと思う。そんな状況の中で、涼佑くんは精一杯やったと思う」
「…………でも、さ。そうかもしれないけどさ」
「うん」
重く肩を落として涼佑は立ち止まる。友香里も数歩進んだところで彼を振り返った。西日が眩しく、もうすぐ日が暮れると分かる。
「オレは、誇れないよ」
「――今すぐ納得しなくてもいいんじゃないかな」
友香里の言葉に思わず、彼は俯いていた顔を上げて彼女を見る。また泣きそうになっていた顔を見られたくない涼佑は、すぐにふいと逸らしてしまったが、友香里は隣に来て尚も励ました。
「今は無理でも、そのうち涼佑くんの中で腑に落ちる時が来るんじゃないかな。ほら、ある日突然、自分の部屋を大掃除したくなる時みたいにさ」
「大掃除、って……」
「あれ? 無い? 特にテスト前とか、無性に使命感感じたりしない?」
「…………ちょっとだけ分かるけど」
「ね? それにさ、涼佑くんがそうやって真剣に考えてくれてる間は『鹿島さん』のこともずっと覚えていられるってことじゃない?」
友香里の一言で再度、涼佑は『鹿島さん』の最後の言葉を思い返す。「忘れないで」と必死に訴えていた『鹿島さん』。彼女がしたことは許されなくとも、その存在を無かったことにするのは違うなと涼佑は思い、友香里が言ったことを噛み締める。少しだけ腑に落ちて「そっか」と返し、二人は前を歩く直樹達に合流しようと駆け出した。
真奈美を無事に家へ送り届け、自宅へ帰り着いてこれから寝ようという時間。涼佑は『鹿島さん』についてネットで調べていたが、やはり引っかかるのは過去の記事ばかりだ。少し考えてから彼は自分のSNSアカウントで呟いてみる。
鹿島さんという都市伝説のことを調べています。何か分かる方いますか?
何気なく投稿したその呟きに一部の人々が反応し、拡散やいいねが押される。多くが「自分で調べろ」というぶっきらぼうなものが多かったが、中には「懐かしい。あの頃、流行ってた」や「何だっけ? 沖縄発祥の話だっけ?」の声がちらほら上がる。
これで暫くは自分への戒めとなり、『鹿島さん』のことを忘れないでいられる、という満足感に満ちた涼佑はスマホを机上に置いて寝ることにした。
数ある何気ない投稿の中で、不意にある一文が上った。
そういえば、昔『カシマレイコ』っていうのもいたよね。