第三十話「返り咲くために」
宮廷へと続く大通り。
早朝ということもあり、道行く人はまばらだ。
一方で、衛兵の数は多い。
宮廷都市を警備している彼らに時間など関係ないようだ。
ジャックはその中をただひたすらに歩き続ける。
とその時、どこかから女の叫び声が聞こえてきた。
「イヤ! 離して!」
路地からだろうか。
ジャックは様子を見に行こうとした。
だが、今は一刻も早く宮廷に向かわなければならない。
ここはグッと堪えるべきだろう。
「やめて! お願い!」
女の叫び声は増す一方である。
ジャックはその場に踏みとどまった。
「だ、誰か助けて!」
気づけば、ジャックはその声の方へと向かっていた。
どうしても見過ごすことができなかったのだ。
現場に着くと、二人の衛兵が若い女を押し倒していた。
「そんな嫌そうな顔をするなよ。ほら、たっぷりと可愛がってやるからよ」
衛兵はそう言うと、女の服を乱暴に破った。
女は泣き叫んでいる。
すると、女の股から何かの液体が流れてきた。
「うわっ、こいつ漏らしてやがるぜ」
女は恐怖のあまり、漏らしてしまったのだ。
これに衛兵たちはニヤニヤし、興奮している様子だった。
ジャックはその様子をボーっと眺めていた。
「あ? なに見てんだてめえ?」
衛兵たちがジャックの視線に気づいた。
厄介なことに巻き込まれてしまった。
今はこんな所で時間を浪費している場合ではない。
だが、こうなってしまった以上、何事もなかったかのように帰るのは無理な話だ。
女は藁にもすがるような目でジャックを見つめていた。
そして、
「た、たす、けて……」
と、弱弱しく助けを求めた。
「チッ、見られちまったらしょうがねぇ。この女とガキを始末して、とっととずらかるぞ」
衛兵たちは剣を引き抜いた。
その様子を見たジャックは、肩をすくめて溜め息をついた。
「あなた方のような輩でも衛兵になれるとは。衛兵というのも、よほど人手不足のようですね」
「……なんだと?」
「まぁ僕も試したい魔術があったところですし、相手してあげても構いませんよ。ですが、さっさと終わらせましょう。女をもてあそぶ衛兵気取りの暇人と違って、僕は忙しいので」
「このクソガキ……」
途端に、衛兵たちの目つきが鋭くなった。
「ぶっ殺してやる!」
衛兵たちは剣を振り上げ、ジャックに向かって突進してきた。
ジャックは咄嗟に杖を構えた。
そして、
「エンファー」
と、静かに呟いた。
すると次の瞬間!
一人の衛兵の首が吹き飛び、宙を舞った。
血が噴き出し、地面や周囲の建物の壁に飛び散った。
「ひ、ひぃ……!」
もう一人の衛兵は腰を抜かし、這いずりながらジャックから距離を取った。
「こ、この化け物め! 衛兵を殺しておいて、ただで済むと思ってるのか!?」
衛兵は声を震わせていた。
「この期に及んでまだそんな口が利けるとは。てっきり命乞いでもしてくるものだと思いましたよ」
ジャックはそう言うと、衛兵にゆっくりと歩み寄っていった。
「く、来るな! 来るな!」
衛兵は必死に叫んだ。
だが、ジャックが止まることはなかった。
やがて、彼の杖が衛兵の喉元に突き付けられた。
「た、助けてくれ……! 命だけは……!」
衛兵の顔はくしゃくしゃに歪んでいた。
その様子を見たジャックは鼻で笑い、あからさまに見下す視線を向けた。
「そうですよ、やはり殺される時はそうでないと」
「よ、よせぇ……!」
「エンファー」
衛兵の首は吹き飛び、宙を舞った。
気づけば、辺り一面は血の海となっていた。
血の臭いがむわっと香ってきた。
女はその光景を呆然と眺めていた。
ショックのあまり、動けないのだろう。
ジャックは女を一瞥すると、何も言うことなく、その場を後にした。
しばらくすると、ジャックは宮廷の門に辿り着いた。
門番はジャックを見るや否や、身構える。
「何者だ! お名前とご用件を申されよ!」
「我が名はジャック・グレース。父であるサム・グレースにお目通り願いたい」
「父親に会いに来ただと……? 貴様、ここをどこと心得る!?」
「あなた方に用はありません。僕が行こうとする道を邪魔するのであれば、痛い目に遭いますよ」
「ガキのくせに舐めた口利きやがって……」
門番はそう言うと、突如として笛を吹いた。
甲高い音が響き渡る。
すると、門の奥から続々と衛兵たちが出てきた。
「さぁ、帰った帰った。ここはガキの来る所じゃねぇんだ」
門番はシッシッと手を振った。
だが、これにジャックが動じることはなかった。
それどころか、ニヤリと不気味な笑みを浮かべた。
「な、なに笑ってやがる……?」
門番の問いかけに、ジャックは何も答えない。
「なに笑ってんだ、おらぁ!!」
門番は怒鳴り声を響かせながら、ジャックの顔面を目掛けて拳を突き出した。
とその時、バシッと門番の腕を誰かが掴んだ。
「そいつは私の客人だ。余計な手出しをするな」
そこにいたのは、レオンだった。
まさかの第一王子の登場に、周囲がどよめき始める。
「レ、レオン様のお客人でございましたか……! これは大変なご無礼を……!」
門番は焦った様子で、すぐさま頭を下げた。
レオンはジャックの方を向いた。
「やはり来てくれたか。お前を頼ったのは正しかったようだ」
「父上は今どこに?」
「宮廷の一室に控えている。ついてきてくれ」
レオンはそう言うと、門の奥へと歩き始めた。
ジャックはその後に続く。
ふと門番を見てみると、目が合った。
彼は歯を食いしばりながら、ジャックを睨んでいた。
恥をかかされたのが悔しかったのだろう。
だが、ジャックは気にも留めずに足を進めた。
宮廷の中を歩く二人。
天井が異様に高く、大きな窓はステンドグラスに覆われている。
廊下にはメイドたちがずらりと立ち並び、レオンに向かってお辞儀をしている。
上級貴族の嫡男であるジャックでさえも、圧巻させられる光景だ。
そんな中、レオンがジャックに話しかけた。
「そういえば、なぜ弟を殺すような真似をしたのだ?」
「え?」
「それが原因で追われているのだろ? 兄弟喧嘩でもしたのか?」
「いえ、僕が殺したというよりかはディメオが独りでに魔術を発動して……」
「ほう、独りでに。そんな不思議なことがあるんだな」
レオンは難しい顔をした。
考えてみれば、ディメオが独りでに魔術を発動する謎については、未だに解明されていない。
だが、発動される魔術がエンファーということは、クレアと何か関係があるのだろうか。
本当に不思議な魔石だ。
「ところで、僕のことは捕らえなくてもいいのですか?」
「はなから捕らえる気などさらさらない」
「そうなんですか?」
「ああ。別にお前が『ジャック・グレース』でも『ジャック・ハリソン』でも構わないんだ。ただ、私には成し遂げられないことを、こいつになら託せるかもしれない。お前を一目見た時にそう感じた。とにかく、私がお前を捕らえるようなことは決してないから安心しろ」
その言葉に、ジャックは安堵した。
どうやらレオンのことは信用しても問題なさそうだ。
それにしても、セドリックとは似ても似つかない。
(この人があんな下衆と兄弟だなんて。僕みたいに腹違いだったりするのかな)
ジャックはレオンの顔をジーッと見つめた。
この熱い視線に、レオンは何も言わなかったが、ひどく戸惑った。
とその時、後方から緊迫した声が響いてきた。
「止まれ、止まらんかぁ!!」
その声に振り返ると、衛兵たちが走ってきた。
一体何事だろうか。
「なんだ、お前たちは!?」
「レオン様、その男からお離れください!」
「どういう了見だ!?」
「実は先程、街中の路地で二人の衛兵が遺体で見つかりました。目撃情報を辿った結果、その男が容疑者として浮上しているのです」
「なに?」
レオンは驚きを隠せずにいた。
そして、ジャックの方を向いた。
「今の話、どうなんだ?」
「紛れもなく僕のことですね……」
これを聞いて、レオンは溜め息をついた。
これからサムと対峙するというのに、厄介なことになった。
衛兵たちを殺してでも、この場から立ち去るべきか。
ジャックは思い悩んだ。
すると、レオンが杖を構えた。
「レ、レオン様!?」
途端に、衛兵たちがどよめき始める。
「ここは私に任せて、お前は行け!」
「で、ですが……」
「いいから行け! 奴を殺せるのは、お前しかいないんだ!」
「レオン様……」
「後は頼んだぞ、ジャック・グレース!」
ジャックはやむを得ずレオンを置いて、その場から走り去った。
「ま、待て! 逃がすか!」
衛兵たちはジャックの後を追おうとした。
だが、レオンが立ちはだかった。
「お前たちの相手はこの私だ」
「チッ! こうなったら仕方ない。レオン様でも容赦いたしませんぞ!」
「ああ。死ぬ気でかかってこい」
こうして、レオンの計らいもあり、ジャックは難を逃れることができた。