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第一話「ぼったくり商人と魔石」

 ここは、魔導大国・リザーナ帝国。
 古代より魔術師たちによって支配されており、魔術とともに発展を遂げてきた。
 南部に位置する港湾都市『イリザ』は水上交通の要地として知られ、国内外から多種多様な品物が流れ着いてくる。
 このイリザを支配するのが上級貴族のグレース家である。
 グレース家は領民から安定した税収を確保しているほか、当主のサム・グレースが過去に王室親衛隊長を務めていたこともあり、王族からの信頼が厚い。
 そんな中、サムの嫡男として生まれたのがジャックである。
 ジャックは現在15歳で、本来であれば次期当主の座を得る立場にある。
 だが、もはやその日が来ることはないだろう。
 グレース家は魔術師の名門として名高いのだが、ジャックの魔力は庶民と同じ程度しかないのだ。
 これはグレース家の威信を揺るがす事態であり、おかげで一族の者から『疫病神』と呼ばれている。
 また、ジャックの母親は彼が幼い頃に亡くなっており、3歳年下で腹違いの弟であるデミオンが次期当主となっている。



 そんなジャックは散歩がてら、イリザの商業地域に来ていた。
 そこには露店がずらりと立ち並び、多くの人で賑わっている。
 ジャックは様々な商品を次から次へと覗きながら足を進める。
 すると突然、

「おう、そこの兄ちゃん」

 と、誰かに話しかけられた。
 その方を見てみると、怪しげな魔導具店のおっさんが手招きしていた。
 白髪交じりの頭で、右目には眼帯をつけている。

「兄ちゃん、ひょっとして領主さんのところの子かい?」
「ええ、そうですが……」
「やっぱりそうか。ずいぶんといい身なりをしてるなぁと思ってよ。……しかし護衛も付けないで呑気に散歩とはなぁ。不用心なこった」

 おっさんはそう言うと、ジャックの全身を舐め回すように見る。

(なんだよ、ジロジロとうっとうしいな……。あぁなるほど、さては財布の在処でも探してるんだな)

 ジャックはジト目になっておっさんを睨みつける。

「あいにく持ち合わせはありませんよ」
「あーいやいや! 別に金を持ってそうか見ていたわけじゃなくてだな……」
「じゃあ何だっていうんですか?」
「じ、実はな、俺には特別な力があってよ。そいつを使って兄ちゃんの魔力を測ってあげていたんだ」

 これを聞いて、ジャックは肩をすくめて溜め息をついた。
 2年くらい前から巷で汚い商売が横行していると耳にする。
 どこの馬の骨かも分からない人間が『自分には魔力が見える!』などと謳って、いかにも怪しげな物品を売りつけてくるそうだ。
 このおっさんも関係者なのだろうか。
 ジャックの警戒心は強まっていく。

「はいはい、僕がもっと素直だったら信じていたかもしれませんね」
「ちょ、ちょっと待て! 嘘なんかついてねぇっての! ほら、こいつを見てみろ」

 おっさんはそう言うと、右目につけている眼帯を外した。
 ジャックは仕方なくその右目を覗き込んだ瞬間、ハッとした。
 驚いたことに、おっさんの右目は赤く光り輝いていたのだ。

「……もしかして魔眼ですか?」
「な? 嘘じゃなかっただろ。こいつのおかげで魔力を測るなんてのは朝飯前ってわけさ」
「いやでもさっきまで眼帯をつけていたじゃないですか。それでも見えるものなんですか?」

 いくら魔眼を見せられたとはいえ、ジャックは不信感を拭いきれずにいた。
 たまたま眼が赤く光り輝いているだけで、偽物の可能性だってある。
 だが、おっさんは不敵な笑みを浮かべていた。

「ああ、ばっちり見えてるさ。眼帯ごときじゃ、俺の視界は奪えんよ。試しに兄ちゃんの魔力について聞かせてやろうか?」
「じゃあ、そうしてもらいましょうか。まぁどうせ当てられないと思いますけど」

 ジャックは、おっさんに疑いの目を向ける。
 もはや結果は分かり切っている。
 まずは適当に褒め散らかして胡麻をすってくる。
 そして、いい気にさせたところで物品を売りつけて無理やり買わせるといったところだろう。

(ったく、馬鹿馬鹿しいったらありゃしない……)

 ジャックはおっさんに呆れた視線を向けた。
 だが意外にも、おっさんは深刻そうな顔をして重々しく口を開いた。

「兄ちゃんの魔力は正直言って……雑魚だ」
「ざ、雑魚?」

 思わぬ罵詈雑言を浴びせられ、ジャックは戸惑いを隠せずにいた。
 おっさんは躊躇することなく話を進める。

「ああ。その魔力だと初級魔術しか発動できないってところだろ。まぁ普通に生活する分なら問題ないし、死にやしないんだけどな。フハハハハ!」

 と、おっさんは高らかに笑った。
 なんとジャックの魔力を正確に見抜いていたのだ。
 つまり、魔眼は本物ということになる。
 これにはジャックも驚かざるを得なかった。

「まさか本当に当ててくるとは……」
「どうだ、凄いだろ?」

 おっさんは腕を組み、自信満々の様子だった。
 ジャックのおっさんに対する不信感は少しずつ薄れていく。

「じゃあ、少しは信用してくれたところでこいつを……」

 ふと気づくと、おっさんはエメラルドグリーンに輝く手のひらサイズの球体を差し出していた。
 ジャックは興味深そうにそれを見つめる。

「これって……まさか魔石ですか!?」
「ああそうだ。ディメオとかいう珍しい魔石で、魔力を劇的に高めてくれるそうだ。兄ちゃんには必要だろうと思ってな」
「もしかして貰えるんですか!?」

 ジャックは目を輝かせながら身を乗り出した。
 魔石は魔力を高めるうえで必須のアイテムなのだ。
 しかし市場に数が出回っておらず、手に入れるのが難しいことでも知られている。
 魔力がないジャックにとって、魔石は喉から手が出るほど欲しい代物なのだ。

「譲ってやってもいいが、それなりに値は張るぞ」
「おいくらですか?」
「今ならそうだな……金貨100枚でどうだ?」
「金貨100枚!?」

 ジャックはその値段を聞いて、あんぐりと口を開けた。
 驚くのも無理はない。
 魔石の相場は安いもので金貨3枚、高いものでも金貨20枚程度なのである。
 残念なことに、このおっさんも巷で汚い商売をしている一味だったようだ。
 世の中は無慈悲なものだ。
 どうして弱い者に付け込んで金をむしり取ろうとする輩が現れるのだろうか。

「えっと……さすがにこの値段はぼったくりとしか思えないのですが……」
「貴族のくせにケチくさいこと言うなよ。まぁ仕方ない。特別に金貨75枚でどうだ。これ以上は値切れないぞ」
「すみませんが、払えたとしてもせいぜい金貨50枚までです。それが無理なら結構です」
「おいおい、せっかくの機会を逃がすつもりか? 兄ちゃんだって強くなりたいだろうに」
「それは……」

 すると、ジャックは過去の記憶を次々と思い起こした。

『ここにお前の居場所はない』
『とんだ失敗作が生まれてきたものだ』
『ほら見て、疫病神よ』
『この疫病神め! とっとと消えちまえ!』

 頭の中で囁かれる彼を蔑む者の声。
 誰からも存在を認められず、誰からも愛されない……。
 ずっと孤独と向き合ってきた辛さが蘇り、ジャックは沈んだ表情をして俯いていた。
 彼の意識は暗闇のどん底へと突き落とされていく。

「……おい、どうしたんだ?」

 その声で我に返ると、おっさんが顔をしかめていた。

「いえ、別に……」

 ジャックはどこか寂しげに答えた。

(ここにいても嫌な記憶が蘇ってくるだけだ。適当なところで区切りをつけて、さっさと立ち去ろう)

 ジャックはその場から立ち去るためにどうするべきか考えていた。
 とその時、ジャックの背後から誰かが話しかけてきた。

「おや? もしや兄上ではございませぬか?」

 その声に振り返ると、そこにはジャックの弟であるデミオンが立っていた。
 グレース家の跡継ぎということもあり、複数人もの護衛を引き連れている。

「デミオン……」

 デミオンを見るや否や、ジャックは眉をひそめた。

「やはり兄上でございましたか。いやぁ、まさかこんな所でお目にかかるとは」
「ちょっと買い出しに来ただけだ」
「ほう、グレースの血を継ぐ方が自ら買い出しですか……。家臣に行かせればいいものをわざわざご自身で行かれるだなんて、優しいお方だ。次期当主として多忙を極めるとはいえ、私も見習わなければなりませぬな」

 デミオンは口元に冷ややかな笑みを浮かべていた。
 護衛たちも顔を見合わせながらクスクスと笑っている。
 ジャックの顔はさらに険しくなった。
 すると、おっさんがジャックに耳打ちして尋ねる。

「なぁ、あいつ兄ちゃんの知り合いか?」
「ええ。僕の腹違いの弟で、いずれは領主を継ぐことになっています」
「おいおい、弟が兄貴を差し置いて継ぐだなんて……そんなことあり得るのか?」
「…………」

 おっさんの問いかけに、ジャックは何も返すことができなかった。
 嫡男が一族の次期当主となるのは、庶民からしてみても当たり前のことだ。
 だがジャックは魔力がないが故に、その当たり前が通用しなかった。
 彼にとっては屈辱的な話である。
 とその時、デミオンがおっさんの手にする魔石を指さした。

「それにしても、何を買い求めておられるのかと思えば魔石だったのですね。今更魔力なんぞ高めてどうなさるおつもりですか?」

 デミオンの目つきは鋭かった。

「……何が言いたい?」
「いえ、少しばかり気になったまでです。ただそんなものを買ったところで無駄金になるだけですよ。なんたって、次期当主が私であることに変わりないのですから」
「そのくらい分かってる。それに、次期当主の座を狙うつもりなんかさらさらない」
「ですよね。兄上がそこまでの愚か者でなくて安心しましたよ」

 デミオンは嘲笑いながらそう言った。
 ジャックは拳を強く握りしめる。

「さて、ご挨拶も済んだことですし、そろそろ失礼させていただきます」

 デミオンはジャックに向かって頭を下げると、肩で風を切りながら歩き始めた。
 護衛たちはジャックを一瞥して鼻で笑うと、デミオンに続いてぞろぞろと立ち去って行った。

「ったく、嫌味な奴らだなぁ」

 おっさんは顔をしかめて呟いた。
 すると、ジャックは歯を食いしばりながら、デミオンとは反対の方向へと無言で歩き始めた。
 おっさんは苦い顔をして、遠ざかっていくジャックの後ろ姿を見つめる。
 そして、手にしていた魔石を強く握りしめて何かを思いふけた。

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