第2話 その男、似嵐鏡月
東京都と神奈川県の辺境に位置する山脈地帯。
とびきり標高のある一角をすっぽりと削り取って、この隠れ里はつくられていた。
ネギ畑はその中の小さな日本家屋に併設されたもので、彼らの食料はほぼここの農作物でまかなわれている。
家のほうは屋敷というより、大きめの
長方形の
上空から見ると「コの字」型になっているわけだ。
その中には簡素ではあるが庭園――植えこみの松や花々、
この里は空からの目視では死角になるよう設計されており、地中にはソナーなどの音波、GPSなどの電磁波を誤認識させるシステムが組みこまれていた。
しだいに傾いてくる太陽の角度から、二人はそろそろ夕刻であることを意識した。
「ウツロ、日が暮れるぞ」
「うん」
「腹あ、減ったな」
「うん、俺もだ。でも、もう少しで終わるよ」
アクタは手を止めて、天を
ウツロは会話をしながら、せっせとネギを引っこ抜いている。
里へと近づいてくる気配を、彼らは少し前から感じ取っていた。
そしてそれが、自分たちの育ての親・
その男は
ウツロとアクタをこれまで養ってきたのは、自分の暗殺稼業の後継者に
さまざまな武器・暗器の使用方法から古今東西の体術、果ては
人間を殺傷するために必要な技術の多くを教育されたのである。
「ウツロ、お師匠様が来る、急ぐぞ」
「いまはまだ、『
「
「今日は『さしいれ』があるみたいだよ。ひとりぶんの
「おまえ、においまでわかるのか?」
「こっちはいま、
「いや、そういうことじゃなくてだな……」
「蛭の背中」とは、隠れ里からだいぶ山を
盛りあがった硬い
そんな場所の状況をたちどころに言い当てる
その態度にウツロ当人は不思議そうな
自分の気づかない
「どうかした?」
「なんでもねえ。ほれ、仕事仕事」
「変なの……」
ウツロとアクタがそれぞれ最後の
杉の大木が作る密な並木の、人ひとりがやっとくぐれる程度の
それは
彼こそウツロとアクタの育ての親である殺し屋・似嵐鏡月その人である。
ただでさえ
腰にはマルエージング鋼製の愛刀・
その右手には、
ウツロの予見どおり、その中には三人分の夕食が納められていた。
「お帰りなさいませ、お師匠様」
ウツロとアクタはすぐさま
「
ウネの横いっぱいに結束されたネギの列をながめ、
同時に彼はその状況から、
「ウツロ、わしのさしいれを
「ご無礼をお許しください、お師匠様」
ウツロはハッとした。
彼は心のどこかに、自分の成長をほめてもらいたいという願望があった。
だからアクタにも、晩の支度はしないよう
アクタもそれに気がついていたから、あえて反対はしなかった。
しかしウツロは、この親代わりの殺し屋を前にして、突如
こざかしい承認欲求をさらし、自分をはぐくんでくれた
お師匠様がそんなことをするはずがないと、彼は重々理解している。
しかしどこかで、自分を否定してしまうのではないかという恐怖が
それは決壊寸前のダムの水のように、
師に無礼を働いたと考えているのか、それとも自分の保身のことしか考えていないのか、それすらもわからなくなってきた。
頭が混乱する。
思考の堂々めぐり。
ウツロはひたすら
しかしそこは、いやしくも育ての親。
似嵐鏡月本人は、ウツロの複雑な
「よいよい、わしはほめているのだ。お前のその
ウツロはグッと
俺はなんて最低なんだ、心の底からそう思った。
俺はつくづく、最低だ。
恥ずかしい、この世に存在しているという事実が。
可能であるならば、いますぐに消えてしまいたい。
俺はこの世に、存在してはならないんだ。
彼はいよいよ、思考の泥沼へ。
その
落ちる先は自己否定という名の
たどり着くことのない、
「頭を上げてくれ、ウツロ。アクタもだ」
ウツロは反射的に顔を上げた。
似嵐鏡月はひざまずいて、ウツロに目線を合わせている。
やさしい顔で、ほほえんでいた。
「あ……」
ウツロはのどの奥から、
似嵐鏡月はそっと、ウツロの頭に手を当てた。
「ウツロ、おまえは
師を見つめるそのまさざしが
「う……お師匠様……」
アクタも
「ウツロ、アクタ。何があろうと、おまえたちはわしにとって、かけがえのない存在だ。たとえ天が
似嵐鏡月は身を寄せて、ウツロとアクタを両腕で
伝わってくるそのぬくもりを、二人はしばし
「よし、もう大丈夫だな。ウツロ、おまえは強い子だ。アクタ、どうかこれからも、ウツロのよき支えとなってくれ。おまえがいてこそなのだ、アクタ。車輪と同じように、どちらかが欠けても成り立たない。おまえたちは、二人でひとつだ」
「もったいない、お言葉です……お師匠様……」
アクタは隠しているつもりだが、体が
思いのたけをぶつけたくなるときとてある。
それを察してくれる師の存在は、何ものにも代えがたい。
ウツロもアクタも、心は決意に変わっていた。
アクタはウツロを、ウツロはアクタを、絶対に守り抜く。
そしてお師匠様に、この偉大なる救い主に、絶対の
「うむ、よきかな。さあ、立ってくれ二人とも。今夜はうまい飯を手に入れてきたのだ。冷めないうちにいただこう」
「はい、お師匠様」
気を使って先に立ちあがる師に、二人は
「ウツロのやつ、さっきから腹ぁ減ったって、グーグーいわしてたんですよ? お師匠様」
「なっ、それはおまえだろ、アクタ!」
「お師匠様、早くご
「アクタっ、
こんなふうに、アクタはウツロをからかってみせた。
「ははは、本当に仲がよいなあ、お前たちは」
「よくないです!」
ふくっつらをしてのにぎやかなやり取りに、似嵐鏡月は
(「第3話 ウツロ、その決意」へ続く)
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