バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

第百三十四話 火の守り(10)

 頭が真っ白になっていた。口をついて出た言葉はとめどなく続き、自分がこんなに話せることに自分自身が驚いていた。しかし何を言っているのか自分でも理解できない。まるで自分の体と心が別々になってしまったようだ。自分のものではなくなった両目からどんどん涙があふれでてくる。
「どうしてみんなレジスの軍人にならなくてはならないの? 会ったことのない父親がいないだけでどうしてみんな私をかわいそうだと言うの? どうしてアルサフィア王の火を守らなくてはならないの? その人は本当にアルサフィア王の御子なの? どうして顔を隠しているの?」
 どうして、どうして。
 今まで無意識にどうせ自分には理解できないと飲みこんできてしまったものが一気にあふれ出しとめることができなくなった。これは集め過ぎた精霊を放つのに似ている。その牙がルルク自身をも深々と傷をつけていった。
 どうしてたくさんのことに疑問に抱きながら動こうとしなかったのか。いや、疑問を持っていることすら今の今まで気づかなかった。自分でもわからないのだからどうすればよかったのかもわからない。何に向けていいのかもわからない憎しみや苛立ちのようなものが後から後からわき出してくる。アルヴィンやリッケルのように何かを感じたそばから動けたらどんなによかっただろうか。
「ルルク!」
 ラスグーダの大きな声でルルクは涙を流したまま静止した。
「お前はなんという……」
 戸惑いとも怒りともとれない震えた声でラスグーダがこちらへやってこようとするが、それをまた御子が制した。そしてそのまま躊躇うことなく白い陶器の仮面を外してテーブルに置く。そのわずかな音すら室内に響き渡った。長老たちがはっと息をのむ。
「そのお顔は……王妃様……」
「王の面影も……本当に間違いなく御子様でいらっしゃる。なんと……なんとありがたい」
 長老たちは各々感極まったような声をあげ目頭を押さえている。ルルクには長老たちの気持ちがわからない。アルサフィア王も王妃も見たことがない。だからこの御子が本物なのかもわからない。わからないことにまた苛立つ。わからないところでいろいろなことが起こっている。いつもルルクだけが置き去りだ。
「顔を隠すのは諸事情あってのことですが、このまま信用してもらおうというのは無理のある話ですね。亡き王の威光によりこの村の人々はわたしを慕ってくれます。しかしわたし自身は何者でもありません」
 御子は席を立ちルルクに歩み寄ってくる。――と、思ったらそのままルルクの横を通り過ぎ、偽物のアルサフィア王の火へと近づいた。
 やはり御子には見えているのだ。あの火が本当は消えてしまったことにも気づいている。みんなどれだけ残念に思うだろう。だがもうどうでもよかった。みんなが怒ってルルクのことを追い出せばいい。そうすれば本当に何も考えなくてもすむ。わからないことだらけでも気にする必要はない。
「――ですが、父からは人々の先頭に立ち盾となって前に進むように言いつかっています。それが本来のフィル・ロイットの存在意義だと」
 御子は静かに火の入ったランプを取り出す。そしてためらうことなくその火を吹き消した。
「御子様、何を!」
 長老たちはあわてふためいて席を立つと各々言葉にならない悲嘆の声をあげた。
「はるか昔からわたしたちは様々な土地を渡り歩いて生きてきました。季節のうつろいを感じながら多くの変化をしなやかに受けとめる。それがロイという民族の根幹です。もう一度言いますが、わたしは父から先頭に立ち盾となって前に進むように言われているのです。わたしは王命に従い前へ向かいます。どのような事態も盾として受けとめてみせましょう。長老方はいかがされますか」
 しんと重い沈黙が流れた。
 ルルクは呆然と火の消えたランプを見つめた。御子の話は至極シンプルだ。前か後ろか。御子にとって過去を照らすアルサフィア王の火は不要なのだ。
 今までルルクは周りに膨大な道が迷路のように張りめぐらされ、登り坂も下り坂も階段も入り組み、一歩でも踏み出せば迷子になるような気がしていた。しかもルルクには道の標識すら理解できない。
 だが前か後ろかなら単純だ。ルルクの周りを要塞のように取り囲んでいた道がすっと一本にまとまる。
「私は御子様と共に前に向かいます」
 ラスグーダが深々と首をたれる。間をあけず他の長老たちも次々とラスグーダにならった。御子がゆっくりとルルクに向きなおる。
「ルルクはどうしますか? わたしでわかることは教えることができます。いつでも聞きにいらっしゃい。でも世界は誰もわからないことがほとんどです。納得するまで考えて立ち止まりながら進めばいいでしょう」
 ルルクは黙って御子のもとに歩みより、そのまま左手をさし出した。特に何も感情を動かされることはない。ただ立ち止まりながらでもいいというのはルルクにとって楽な話である。何もアルヴィンやリッケルたちのように常に走り回りながらではないといけないということもなかったのか。自分が何を考えているのかやはりわからないが、妙に頭がすっきりとしている。
「ダフィット、薬を」
 ルルクの傷を見た御子はわずかに眉を寄せる。長老たちからも押し殺したようなため息が聞こえた。精霊の牙により二度も切り裂かれた傷は確かにひどい有様だ。血が手袋につかないようにと適当に巻き付けた布はすでに汚れ、茶色く傷口に張りついていた。
「シェイラリオ様、手当は私が」
「いえ、大丈夫です」
 ルルクがぼんやりとしている間に手早く左手に軟膏が塗られ白いさらし布が巻かれる。御子というのは傷の手当てもできるのか。もしかして自分でも怪我を負うことが多かったのか。
「ルルク、一体なぜそんな……」
 長老の一人がルルクの左手をじっと見ていた。いや、辺りを見渡すと他の人々も深刻そうな顔でこちらを見ている。ルルクの怪我に気づいていたのは御子だけだった。他の人々にとってはいきなり大怪我を負った左手を見せられ面食らったことだろう。
「誰かに何かをされたわけではないのね?」
 お姫様が心配そうな表情でルルクに問いかける。この人にそんな顔をさせてしまったことに胸が痛んだが、うまく説明することができない。お姫様は精霊のことを知っているのだろうか。レジスのほとんどの人々が精霊を扱うことができないと聞いたことがある。
「約束ですから、わたしが説明しましょう。まずはフォルターのことを」
 そういって御子はもとの席に座る。ルルクは後を追って隣に腰かけた。固まったように御子を見つめていた長老たちも順に席につく。
「フォルターのことを人々は『王の盾』または『王の火薬庫』と呼んでいたそうです」
 御子はルルクに笑みかける。それでもルルクには何の話なのかピンとこない。
「戦場で精霊は奪い合いになります。しかしフォルターはその精霊を手元に引き寄せる力が桁違いに大きかったのです。はじめはその価値に誰も気がつきませんでした。なぜなら多くの精霊を引き寄せたところでそれを放つことができなければ意味がないからです。精霊を放てない理由はルルクならよくわかりますよね」
 ルルクはさらしが巻かれた左手をじっと見る。
「しかしアルサフィア王はそんなフォルターを呼び出して『役に立たない兵はいらない。私の放つ精霊に怪我を負わされるようであれば軍を出ていけ』と言ったそうです」
 自分がそう言われたような気がして、ルルクはぎゅっと手を握りこむ。
「王は確信があったんだと思いますよ。フォルターが軍に残ることに。実際にフォルターは無傷でした。アルサフィア王が引き寄せた精霊すらもすべて自分の手元に引っ張りこんでしまったので王は『これはかなわない』と、笑ったそうです」
「御子様、そのとき私もその場におりました。本当にずいぶんと楽しそうにお笑いになって……」
 長老の一人が声を詰まらせる。
「噂以上の逸材だとたいそうお喜びのご様子でした」
 別の長老も重ねて言う。ルルクの父が有名だったというのは本当の話のようだ。
「――それからでしたね。フォルターが王のおそばに控えるようになったのは」
 また別の長老は当時を懐かしむように一人でうなずいている。父フォルターが任されたのはアルサフィア王を敵兵の精霊から守ることと、戦場の精霊を大量に自軍に引っ張りこむことだったのか。確かにそれであれば動く必要はない。
 ルルクはまた左手を見つめる。精霊を集めようとすれば多く集まって当たり前だと思っていた。制御しきれないのはルルクの技術が足らないからだと。しかしそれだけではなかったのだ。
「別にフォルターのようになる必要はありません。レジスはロイが従軍することを勧めていますが、これは強要しているわけではないんです」
「もちろんよ。ロイの人々は優秀なので『お願い』はしているけど無理強いではないの」
 お姫様がルルクの目をじっと見ている。その慈愛に満ちた目にひきつけられる。軍人にはなりたくないが、もしも父がアルサフィア王を守ったように、ルルクがこのお姫様を守る役目を負ったらどうだろうか。それは何だかとてもいい思い付きのような気がした。
「アレックス様、そろそろ……」
 お姫様の横にいた女性が耳打ちをするとお姫様は「そうね」とほほ笑んだ。

しおり