第百十五話 真昼間の追跡(8)
なんとなく不安に思いながらも、パーシーは自席に戻って置き去りにされた書類をめくってみることにする。昨日の事件の顛末はやはり気になるし、確認しないことにはパーシーの報告書も書けない。
やはりというか、そんな気はしたが、事件発覚の糸口になったのは例の建具屋の親父さんだった。
かなり前から役所に隣の質屋が夜中にうるさいから何とかしてほしいという依頼を届け出ていたようだ。役所は人を遣って質屋に確認に行くだけでずっと騒音は改善されなかったらしい。直接文句を言っても質屋は「うちではない」「知らない」と突っぱねるだけでどうにもならない。
何もしてくれない役所に腹を立てた建具屋は税金を払わないという強硬手段に打って出た。ところがそれも何の役にも立たない。それどころか質屋は毎夜うるさいままだし、役人はしつこく税の取り立てに来るしでストレスの種が増えただけだった。
そこから紆余曲折あり(報告書でも端折られていたため謎である)、彼女が建具屋の証言をもとに確認したところ、どうやら質屋の地下から毎夜物音がしている。その物音はなんと南門の外にまでつながっていた。つまり質屋の地下から南門の外に地下通路があるという疑いがあったのだ。南門の外というと、門を入れなかった有象無象の怪しげな連中がスラムのようなものを形成しているレジスの中でも一級の危険地帯である。
そんなところから質屋に何を運びこんでいたのか。
驚いたことにそれは違法な武器であった。
これも報告書はさらりと書いているだけだが、以前領主が謀反をはたらいたあげくに殺害されるという結構大きな事件があり、その領地コルトニエス鉱山で生産されていた非合法な武器が流出しているらしい。ほとんどは軍が押収したはずだが、目の届かない場所に隠してあったらしき小型の銃の存在や、その領地内で生産技術を持った連中が秘密裏に製造を続けている疑いもあがっていた。
ただそれを本当に質屋が販売していたという証拠が何もない。
質屋は質屋として普通に営業をしているため、武器の取引現場を押さえるしか方法はなかった。
パーシーが見たのはまさにその武器の取引の一部だったのである。蛇の刺青の男は売人であり、ボードゲームをしていた二人は顧客だ。二人が刺青の男から受け取ったカードは質札で、それを店に持って行けばこっそりと武器を受けとれるシステムになっていた。はた目からは質屋の客なのか密売の客なのかまったくわからない。
パーシーが知らず知らずのうちに手伝わされていたのは、刺青の男と取引をした連中の監視というわけだ。
「ちょっとわからないんだけど、どうしてゼイン本人が見張らなかったの。座敷犬さんなんて泣きそうになってたし」
彼女は約束を果たしてくれたらしく、ほどなくしてパーシーはまたゼインに会うことができた。イゴルデではなくもう少し落ち着いて話ができるような店である。
どうやら食べ物にはこだわりがあるらしく、出てきた食べ物にあれこれとうんちくを語るのでさっそくパーシーはおもしろく聞いていたが、やはり気になるのはあの事件のことである。
「座敷犬のことは気にするな。気にし過ぎるな。あれにはちゃんとした過保護な飼い主がいて、あんたごときがかまい過ぎると出世に響く可能性がゼロではない。俺自身もアレをかまいすぎたために肝が冷えた経験が何度もある」
何の話かよくわからないが、座敷犬青年の心配は無用ということのようだ。あの後、結局イゴルデには戻れなかったため気になっていたのだ。
「また話をそらしたね」
パーシーの指摘にゼインは大袈裟にため息をつく。
「ちょっと考えればわかるだろ。俺は面が割れてたんだよ。俺がいることがバレたらあいつら動くのをやめたはずだ。だから見張りに座敷犬を呼んだんだが、昼寝の時間になってしまった」
昼寝の時間?
「起こしてあげればよかったのでは?」
ゼインはまたさらに大きくため息をつくと「座敷犬の昼寝の邪魔をすると飼い主に叱られる」と、わずらわしそうに首を振った。
「それにあんたがいるならあんたの方が都合がよかったんだよ。あれは基本お役人さんの仕事だろ」
「いや、見回るのが仕事でああいったことは軍に通報して何とかしてもらうんだけど」
「軍人、来たじゃん」
確かに。ものすごくいいタイミングで軍人が来た。すべて予定調和だったというわけだ。――で、あればさらに不思議なことがいろいろある。
「ゼインは軍の人なの?」
「なんで?」
「だって、ほら、たった一人で人間二人を縄で縛るなんて、強いってことでしょ」
するとゼインはにやりと笑って、白い紙を一枚パーシーに見せた。
「また、それ?」
「まぁ、見ろよ」
前回同じく、目の前で紙をぱっと振るとそれは紙幣に変わる。それからそれを小さく折って手のひらに握りこむ。しばらくその手で紙幣を揉むように動かしていたが、手のひらを下に向けてパッと開くと紙幣と同額の硬貨がバラバラとテーブルに落ちた。
「おおー」
パーシーは思わず拍手する。前回の失敗を克服している。
「まだだ」
ゼインは落ちた硬貨の一枚を拾い上げるとパーシーに渡し、それを下向きに握らせる。それから一本の紐の端をパーシーの手の上に置くと、もう一方の紐の端に別の硬貨を置き、手のひらで隠した。
「はい、そのまま手を開いて」
コツンとテーブルに落ちた硬貨をゼインがつまみあげると、それは先ほどパーシーが握ったものとは違う硬貨である。そっとゼインが自身の手のひらの下の硬貨を見せた。
「わ、入れ替わってる! なんで? なんで?」
まるで紐を通して移動したように見える。
「さて、ここからだ」
今度は紐の一端をパーシーに握らせ、もう一方をゼインが握る。その状態でお互い逆の手のひらに一枚ずつ違う硬貨を握る。まさか、まさか、これも移動するのか。
「じゃ、目をつぶって三秒数える」
パーシーは素直に目をつぶった。
「え?」
違和感に目をあけると、パーシーの両手は紐でしっかりとくくられている。
「これは……」
「二人の人間を縛り上げるのに腕っぷしだけが必要なわけじゃない」
「いや、でも、面が割れていて警戒されていたんじゃ……」
「そこはこれだ」
ゼインは両手で自身の口をぐにっと引っ張る。
確かにこの人に矢継ぎ早にしゃべられたら勝てる人間は少ないだろうし、話のノリでさっきの手品に見入ってしまったとしても不思議はない。
「はあー」
パーシーが感嘆の声をあげると、ゼインはにやりと笑いながら「ご満足いただけました?」と言って、席を立つ。
「待って。まだ聞きたいことがいっぱいあるんだけど」
追いかけようと席を立ったところで、バランスを崩して盛大に転ぶ。周りの客が何ごとかとパーシーを見てひそひそと話している。両手が縛られたままだ。
またはぐらかされて逃げられてしまった。