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第百十三話 真昼間の追跡(6)

 ざわりとギャラリーが波立つ。
「そういや、急に巻き返したのはあいつがあそこで観戦し始めてからだな」
「誰だあれは?」
 座敷犬は観念したように「すみません」と声を絞り出す。
「あの人が強かったので露骨な打ち方になってしまいました。実はこういうの苦手なんです」
 それでも詰ませないように時間を稼ぐというのは相当技術がいるのでないだろうか。
「そっちも代われ!」
 仕方なくパーシーと座敷犬は席を変わる。
「ゼインさんが何を企んでいるのか詳しくわかりませんが、蛇の刺青の人もあとの二人も足止めして欲しいそうです。一応見張っててくれませんか」
 小声でそう言われる。フードからやわらかそうなプラチナブロンドがのぞいた。小さく「今日はお休みなのに」と愚痴をもらしている。
「どうして顔を隠しているんだ?」
 次の対戦相手となった男も軍人のようにガタイがいい。刺青の男よりも体は大きいが軍人というよりは傭兵というかアウトローといった雰囲気だ。
 座敷犬はあっさりとフードをはねのけた。
 ふわりと色素の薄い髪があらわになる。パーシーは息をのんだ。この店には似つかわしくないと言ったらイゴルデに失礼かもしれない。育ちの良さそうな、しかも破格の美形である。プラチナブロンドなど普通は悪目立ちするものだがこの青年は妙に様になっていた。
 背後にいるギャラリーには顔が見えないはずだが、なぜかひそやかなささやき声が漏れ聞こえる。
「あのプラチナブロンドのガキはもしかして……」
「見たことはないが話は聞いたことある。あれが噂の弟子か?」
 座敷犬青年は小さくため息をつきながら「だから嫌なんですよ」とつぶやく。この店ではそこそこ有名人だったらしい。パーシーは知らなかったが、ボードゲームをやる連中の中では知られた人物なのかもしれない。
 確かにこれほどの美貌は一度見たら忘れないだろう。しかもゲームが強いとなると噂にもなる。
「あんたか。そりゃあ、強いわけだ」
 相手側は三人とも納得したような顔をしている。
「あの、もう一度仕切り直しませんか」
 座敷犬がおずおずと切り出す。確かに刺青の男とのゲームは最終盤に差し掛かっていた。時間を稼ぐのにも限界がある。
 すると相手側は何やらひそひそと相談をはじめた。刺青の男にも何かを耳打ちしている。
 座敷犬青年は不安気にパーシーを見上げた。美形というのはとっつきにくい印象があるものだが、この人は何かが違う。庇護欲を誘うというか、かまいたくなるというか――。
「……なるほど、座敷犬か」
 パーシーのつぶやきに「座敷犬って何なんですか、さっきから」と、かなしそうな顔をする。
「よし、仕切り直しといこう」
 相談が終わったらしく、対戦相手の男は盤上の駒をあっさりと崩してしまう。何をたくらんでいるのだろうかと、パーシーは三人の顔を順に見たが、もちろん顔色に表れるわけがない。
 もう一人の男が声を張り上げて「さあ、賭けた、賭けた! このお兄さんも強いけど、こっちも強いよ。リベストル大会で準決勝に勝ち残った経験もある」と煽っている。パーシーは何のことやらわからないが、周りのギャラリーがひときわ大きくざわめいたので、かなり権威あるゲーム大会らしい。
 隣の座敷犬青年もあまりよくわからないらしく、周りの反応に戸惑っている。見た目通りどこかいいとこの育ちで下々のゲーム大会のことなど知らないのだろう。なぜか「落ち着け」と、頭をなでてやりたくなる奇妙な感覚におそわれたがさすがにそこは耐えた。
 だがいざ勝負がはじまってしまうと、座敷犬青年は先ほどの不安げな顔はどこへやら、迷いなく駒を進めはじめる。
 パーシーには盤上の戦いの詳細はわからないが周りの様子からかなりいい勝負のようだ。なんとかひそやかなギャラリーの声を拾っていくと、やや座敷犬青年が押されているらしい。聞こえてくる声によると相手方は座敷犬青年の「力量を探るような打ち方」をしていて、逆に座敷犬青年は「マイペースで素直な応戦」をしていると漏れ聞こえた。
 しかし気になるのが刺青の男だ。屈辱的な扱いを受けたにも関わらず、熱心に観戦している。もともと打つよりも観戦する方が好きなのかもしれないが、すぐにでも店を出ようとしていたのにおかしくはないだろうか。先ほど二人から何かを耳打ちされていたのも気がかりだ。
 だがパーシーはすぐにそんな心配さえ忘れてしまう。どちらかが一手打つたびにギャラリーから感嘆の声やら唸り声が漏れ聞こえて来る。かなりレベルの高い戦いになっているようだ。
 たまらず比較的善良そうな人をつかまえて「どうなんですか」と、聞くと「序盤は定石通りって感じでパッとしなかったけど中盤からはだいぶいいよ」と教えてくれる。パーシーが座敷犬とタッグを組んでいるような扱いになっているようなので「いい」のは座敷犬青年の方だろう。
「変わった子だね。罠にはまっているように見えたのにいつの間にかスッと抜けている。見ていて面白いよ。あんたもちゃんとダウレを覚えなよ」
 たしかにこんなにダウレをやる人が多いなら友達も増えそうだ。カードゲームもみんなでできて面白いが人数が集まらない時はボードゲームの方が都合もいい。ジェフとザグリーも一緒にやらないだろうか。
 そんなことを考えていると周りからどよめきが立ち上がるように広がってゆく。
「どうしたんですか?」
 さっきの男にパーシーが聞くと「妙手だな」と、言ったっきり盤上を睨んでいる。
 パーシーも盤上を見つめるが何がなんだかわからない。今、次の手を考え込んでいるのは座敷犬青年の方だ。「妙手」で攻めたのは相手方だろう。
 何気なく見渡すと対戦相手の男以外はみな盤を食い入るように見ている。
 いや、そうじゃない。
 パーシーは刺青の男ともうひとりの相手側の男が目配せし合っているのを認めた。ダウレの試合状況がよくわかっていないパーシーだから気づけたことだ。みんなこの勝負に夢中である。
 だがまたギャラリーがざわりと波立つ。見ると座敷犬青年が駒を進めたようだったが、素人のパーシーが見ても意図がわからない。
「どうなんですか? あの手は?」
 たまらず聞くと「いやー」っと隣にいた男も困惑顔だ。その男だけではない。周りのほぼ全員が困惑している。見ると相手の男の表情に隠しきれない動揺が見られた。
「なんか変なんですか?」
「変かどうかもわからない。悪手なのかそれとも何か意図があるのか」
 そう言ったきり隣の男は「アレがここを守って……それからコレを動かすのか? いや違うな」と一人マニアックな考え事に没頭し始めた。
 その男だけではない、周り全員そんな具合なのでパーシーもわからないなりに盤上をじっと見つめた。乏しい知識から次の駒の動きを予想してみるが、やはり何も見えてはこない。座敷犬青年の手は相手側の妙手を受けて、ただ単に仕返しをしただけではないだろうか。
 だが相手側の男は盤上を睨んだまま徐々にその表情をこわばらせる。頭をかきむしり何度も首を振った。
 それからに不意にやりと笑った。
 何となくパーシーは嫌な予感がして、サッと店内を見渡す。
 いない。
 先ほどまでおとなしく観戦をしていた対戦相手の相方がどこにもいない。刺青の男は相変わらず真剣な顔で盤を睨んでいたので油断していた。
「あの、ちょっと、座敷犬さんっ」
 ゲーム中に話しかけるのははばかられたが、緊急事態だ。相手側と同じように真剣な顔で盤を睨んでいるものと思ったが、パーシーに向けられた顔は何だかふわっとしている。
「何かあったんですか」
 ついその整った顔立ちにみとれてしまう。よく見ると頰のあたりに薄い傷跡がついていた。先ほどゼインが「軍人」と言っていたが、それに近い仕事なのだろうか。
 パーシーが黙っていたためか、座敷犬青年は小さく首をかしげている。
「あ! そうそう、ちょっと……大変なことに」
 パーシーは座敷犬青年の耳元で先ほど確認した事態を告げると、「えー。また怒られちゃうな」と、子供のようにしょんぼりとした。
 そういえばゼインの方にも伝えるべきだろうと、席に目をやるとどういうわけかこちらもいない。
「えー、なんで?」
 思わずパーシーが声を漏らすと、座敷犬青年はまた不安げな顔でパーシーを見あげる。
「いや、あのね」
 パーシーがまた耳元で状況を伝えると「まただ」と、うなだれる。
「またってどういうこと?」
「おれだけいつも何も知らないんです。知らないうちにみんなが……」
 そう言ったきりまたしょんぼりと肩を落とす。なんだか泣き出しそうだ。
「あー、大丈夫! 問題ないよ。僕、あの人探してくるし。ちょっと待ってて」
 パーシーは勢いだけで店を飛び出した。座敷犬青年は異様なまでにパーシーの庇護欲を刺激してくる。もちろんゼインの居所に心当たりがあるわけではない。
 だが店を飛び出したところですぐ意外な人物に出くわした。

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