第百九話 真昼間の追跡(2)
はたして彼女はそこにいた。
しかし様子が変だ。その建具屋の店主は高齢でかなりの堅物、納得がいかないことがあると税金を納めないのだという。パーシーが見回りのときは文字通り「様子を見る」だけで店主に話を聞いたりすることは無かった。督促は業務外だからだ。そのため詳細はわからないが、もはやどうにもならないくらいにこじれていると聞いていたのだが――。
物陰から見守っているパーシーは首をかしげた。
「楽しそうだな」
建具屋の店主と思われる老人と彼女がにこやかに話をしていた。建具屋が大仰な身振りで何かをしゃべっているが、どうも愉快な話をしているらしく彼女は絶えず笑顔を見せている。役所内であんな笑顔は見たことがない。
やがて二人は子供のように手を振って別れた。まるで友達同士に見える。
彼女は歩きながら胸元から帳面を出し何かをメモした。雑談しているように見えたが、ちゃんと滞納者とコミュニケーションを取り、支払いの約束でも取りつけたのだろうか。
建具屋に話を聞いてみたいが、万が一パーシーが状況をこじらせてしまってはえらいことだ。コミュニケーション能力に自信がないわけではないが、最初から嫌われているのがわかっている人物に向かっていくのは面倒くさいというのもある。
建具屋の件はあきらめて引き続き彼女の後をつけることにする。
しかし徐々にパーシーは飽いてきてしまった。当たり前だがパーシーが見回りをするのとほぼ同じことをしているだけだ。倒れかけた老木の周りを囲った立ち入り禁止の柵に異常がないか確認してから、子供たちが遊んでいる緑地を一周する。道は不審者がいないか、不審なものは落ちていないか、確認しながらゆっくりと歩く。指定された店に異常がないかを声掛けをする。見回ったところはきちんと報告書の下書きにメモしていく。
どれもこれも退屈な日常の業務であった。自分は貴重な非番の時間をなぜ人の仕事を確認するような真似をして過ごしているのだろうか。
しかも今日に限ってトラブルが少ない。南門付近は何かと忙しいのが常だった。チンピラの小競り合いから、門から入ってきた旅人の行き倒れ、不審者の徘徊、スリの被害者が泣きついてくることもよくある。トラブルを解決するだけでは終わらない。調書を取って報告に回し、場合によっては何日も後追いする必要がある。
どこまでフォローしていくかにはある程度の規定があるものの、やはり個人の性格が出る。パーシーはそんなことはしないが、露骨に見て見ぬふりをしてサボる不良役人もいると聞いたことがあった。
せめて何かトラブルが起これば、せっかく尾行をしているパーシーの好奇心をわずかでも満たしてくれるだろうに。
「ああ、危ない」
なぜか彼女はよく人とぶつかりそうになる。周りを注視するのが仕事であるはずだが、案外自分自身の危険には目が向かないものなのかもしれない。今のところ派手にぶつかるような事態は起きていないが危なっかしい。
あんまり人との間をすれすれに通り抜けるものだから、パーシーは最近見た演劇のことを思い出した。
主人公はある国の間諜で仕事中に垣間見た敵国のお姫様に一目惚れをしてしまうというストーリーだ。ただ甘ったるいだけの物語ではなくアクションシーンや国同士の駆け引きもスリリングでパーシーはすぐに引き込まれた。
冒頭はその間諜の青年が街を歩きながら浮浪者や新聞配達員、果ては小さな子供から通り過ぎざまに次々と指令を受けとっていくシーンから始まる。連中はみんな仲間の間諜が扮装した姿なのだ。そんなに立て続けに指示されたんじゃたまらないとパーシーは思ったがそこは演劇的な演出だ。ダンスのステップを踏むように次々と紙片を受けとってゆく姿はスマートでかっこよかった。その後の朗々と歌いあげるように言ったセリフにもしびれた。
「ちくしょう。みんな俺に頼りやがる」
演劇にさして興味があったわけではないが友人に誘われて見に行き気に入って、また次の休みの日に一緒に行く約束をパーシーの方からとりつけた。
もしかして彼女も通り過ぎざまに何か指令を受けとっているのかもしれない。
暇に任せてパーシーは想像をめぐらせる。そういえばシフト表の件も彼女が間諜の関係者であればおかしくもなんともない。もちろん所長もすべて了承済みなのだ。長く休んでいる間に彼女も他国への任務に赴き、どこぞの国の王子様と恋に――。
いや、彼女はそういう雰囲気の女性ではない。気持ちよく想像を膨らませていたパーシーは違和感をおぼえて首をかしげる。彼女のことをよく知らないわけだが、そういうロマンティックなストーリーが似合う感じではない。
きっと演劇とは性別が逆だから妙な感じがするのだ。
パーシーがあれこれと想像の修正を試みている間に彼女は通行人に話かけられていた。
思わず身を乗り出す。会話は聞こえないがどうやら道をたずねられているだけらしい。役人が見回っていれば何度もあることでトラブルというほどのこともない。パーシーはいささかがっかりしてしまった。何を期待しているのかといわれても困るが、もう少し彼女の人となりがわかるような出来事は起こらないだろうか。
「すみませーん。グラスト劇場に行きたいんですけど、ここ真っ直ぐで合ってますか」
すっかり前方に気を取られていたパーシーは隣に人が立ったことに気づかなかった。
非番なのに制服のまま飛び出してきてしまったことを後悔するが仕方ない。彼女のことが気になるが無視するわけにいかずパーシーは「どこに行かれるんですか?」と、相手の手元を見る。チケットか地図を持っているように見えたが、それはただの白い紙切れだった。
パーシーは不思議に思って相手の顔を見上げる。やせて背の高い男だ。歳は同じくらいだろうか。癖のある赤毛で濃いとび色の目はなんだかえらく気だるそうである。これから劇場に行く人間の明るさがない。
「あの……?」
パーシーが首をかしげると男は表情も変えずに白い紙切れを目の高さにあげて、すっとひと振りした。するとパーシーの目の前でそれは紙幣に変わる。
「わっ! ええ?」
パーシーの反応に満足したのか、男は少し口角を上げると、次はその紙幣を折りたたんで手に握り込む。パーシーは興味津々でそれを見守った。
しかし男はいつまで経っても手を開いてくれない。
「あー、ダメだ。出てこない」
「何がです?」
「袖に仕込んだネタが出てこない」
「どうなる予定だったんですか?」
男がとんとんとその場でジャンプすると、紙幣とおそらく同額なのだろう、何枚かの硬貨が高い音を立てて次々と地面に落ちていく。
「もうちょっと上手いことやらないとダメだな」
ぶつぶつ言いながらやせた背を折りたたむようにして硬貨を拾い集めている。
「劇場に行かれるのでは?」
すっかり忘れていたが道を聞かれていたはずだ。
「そうでした」
男は顔をあげてパーシーをまっすぐに見る。
「――ところで、お役人さんはここで何をしてるんです? さっきから物陰に隠れてばっかりで仕事してるっぽくないんですけど」
まったく周りが見えていなかったが、たしかにこれではパーシー自身が不審者だ。
「いやー、えーっと、あはは」
笑うしかない。
「尾行かなんかですか。尾行といえば最近なかなか面白い演劇を見たな。主人公が間諜で――」
「それ! 僕も見ました!」
パーシーは勢いこんで男に顔を近づける。
「見た? あの主役の役者は声がいいな。正直脚本はエンターテイメントに寄り過ぎて俺の好みじゃなかったんだが、あそこまでふり切られると逆に面白い。配役もドンピシャだ。ああ、だが、そうだな。あのお姫様役の新人はまだまだだ。伸びしろは認めるが舞台に上がるのは早すぎた。時期尚早だ。しかし、まぁ、なんと言っても主役がいいよ。はじめのセリフが特によかった。あれでつかまれた観客は多いだろう、えーっと――」
パーシーは男の前に手をかざし「言わせてください」と、言葉をさえぎった。