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第百八話 真昼間の追跡(1)

 パーシーは同僚の広げている昼食をじっと見つめた。
 手作り風のパンにたっぷりの新鮮な野菜と分厚い肉がはみ出している。肉はきちんと下味をつけて焼いているような色合いでそのままでもパンが何個も食べれそうだ。それなのに濃い色の、おそらくベリーのジャムがたっぷりとついている。それだけではない。別のパンは分厚い卵焼きが挟まっていた。これがただの卵焼きではない。見た感じでは荒くほぐした白身の魚らしきものと細かく刻んだ何らかの青菜が混ざっている。色合いも美しくかなり手が込んでいる。明らかにその辺の屋台で買ってきたようなものではない。
 今日も豪華だ。
 別にパーシーはいやしい気持ちで見ているわけではない。多少はうらやましいが、気になっているのは別のことだ。
 パーシーのいる役所では多くの人が出入りするため気に留めている人は皆無だろうが、その同僚の女性のことが最近気になる。別に恋愛がらみではない。何だかおかしい気がするのだ。しかし何が気にかかるのか、自分でもしっかりと把握できない。いうなれば小さな違和感とでもいうのだろうか。
 あまりにじっと見つめすぎたせいだろう、彼女はちらりとパーシーに目線を向けた。
「あ、すみません、いや、おいしそうだなぁと思って」
 あわてて頭をかいて誤魔化す。
「そう? ありがとう」
 彼女はにこりとほほ笑んでから昼食を再開した。何もおかしいところはないが、それがおかしい。パーシーはまた考え込んだ。彼女の名前すらきちんと憶えていないが、そこもおかしい。
 ――そうだ。ひっかかりがなさすぎる。
 だいたい役所にいる人間は何かしらひっかかりがある。あまり言及するのは褒められたことではないが性格や容姿の特徴、生活習慣、変な趣味など。長く勤めていれば例え本人が言わなくとも噂が流れてきたりするものなのだ。
 それなのに彼女ときたら、先ほどの対応もそつがないものの、話を展開させようとはしなかった。したがって性格もよくわからない。
 容姿はおそろしいほど凡庸だ。丸顔と大きなとび色の目で童顔といえなくもないが、そもそも年齢もわからない。短く切りそろえられた栗色の髪も流行を追っているようでもなく、かといって野暮ったいわけでもない。支給されている制服も妙に気取って着崩すわけでもなく、生真面目にすべてのボタンを留めているわけでもない。規定内でちょうどいいくらいに乱れがある。完璧なまでに目立たない。平均という線のど真ん中に立っているようだ。
 パーシーが気になったのは彼女の昼食が豪華だという一点のみである。そもそもそれに気づく前は彼女が何を昼食として食べていたのかも記憶にないし、もっというと昼食をこの休憩室でとっていたのか、外に食べに行っていたのか、買い食いをしていたのかも定かではない。ふと、おいしそうな昼食を食べているなと思った時にその人物が前からいるこの役所の人間だと認識したに過ぎなかった。
「ご自分でお弁当をつくられるのですか」
 すでにパーシーのことなど忘れ去ってしまったかのように黙々と昼食を片付けていく彼女に思い切って話しかけた。
「家の人が作ってくれたの」
 小首をかしげる様子は小動物のようだが、なぜそんなことに興味を持つのか理解できないという反応に見える。これ以上の会話は難しいと思わせるには満点の対応だ。
 しかし「家の人」というところがまた謎めいている。両親なのか、兄弟、姉妹なのか、夫なのか、もっと別の人物が家にいるのか。
 そういえば彼女のことが気になってから見回りのシフトなどもさりげなく確認しているが、それもかなりおかしかったのだ。見回りは朝、昼、夜と分かれており、所長が平等になるようにシフト表を作成している。そのはずなのに、彼女が入るシフトは極端に少ないうえに何を基準にしているのかわからないくらいに不規則だ。長い休みがあったかと思うと、夜勤から朝、昼とぶっ通しという日もある。しかも事務作業に入る予定が皆無である。見回り専任で雇用されているのだろうか。せっかく役人登用試験に受かってもこれでは出世ののぞみがない。
 さすがにおかしいだろうと思って別の同僚に聞いたところ、家の事情があって多く業務に入れないと聞いたと、あいまいな情報をくれた。伝聞の伝聞である。
 しかもよく見ると治安の悪い南門周辺の夜勤に多く配備されている。見回りの夜勤は男でもキツい。刃傷沙汰になりそうであれば、市街警備軍に通報することになっているがあの辺りは夜に通るというだけで危険だ。しかも問題が多いため必然忙しくなりシフトでも「ハズレ」扱いとなっている。
 そうこうしているうちに、彼女は昼食を終え、広げていた布をたたんでいる。ぱたんと折りたたんだ布にかわいらしいうさぎのアップリケがついていた。
「うさぎが好きなんですか?」
 すかさずパーシーが声をかけると、彼女は少し驚いたようにパーシーを見る。まだいたのかと言わんばかりだ。
「そうだね。嫌いじゃないよ。かわいいでしょう。それにおいしい……」
 おいしい?
 ひっかかりだ。パーシーは内心ガッツポーズをとりながらも懸命に声のトーンを平静に保つ。
「うさぎを食べるんですか」
「育ったのが郊外なの。小動物も大事な食糧だったわね」
 彼女は特別なことでもないようにそういうと、会話を終わらせる合図のように立ちあがった。
「これから見回りですか」
「そうよ」
 言いながらもう背を向けている。長く役所にいる人だが親しくしている人間が皆無なのも頷ける。取り付く島もない。
 誰も彼女のことを知らないのだ。そう思った瞬間、パーシーはある悪魔的な思い付きに一気にとり憑かれた。この後は非番で、予定も入っていない。お気に入りの食堂へ行ってカードゲームでもして暇をつぶそうかと思っていたくらいだ。まだ手を付けていない屋台で買った蒸し米の包みを鞄に押しこむと不自然に見えないようにゆっくりと席を立つ。
「おい、パーシー、帰るのか? 一緒にイゴルデでもどうだ? 俺らもこの後非番なんだよ」
 パーシーは彼女のように目立たずに帰れない。派手なわけではないが、大勢の人に囲まれて育ったため、ついどのような場に身を置いても同じような環境を作ってしまう。
「あ、えーっと、今日はその、予定があって――」
 せっかくの誘いを断るのも苦手だ。
「ふーん。まぁ、いいや。俺らイゴルデにいるから、用事が終わったら来いよ」
「なんだ、パーシーのやつ、デートか?」
「んなわけないだろ」
 背後から好き放題言われているのが気になるが、今はそれどころではない。
 彼女を見失ってしまう。
 急いで役所の建付けの悪い扉をあけ放つと、もう彼女の背中は見当たらなかった。昼間は人通りの多い通りである。あきらめきれずに歩きながら探してみるが、この状況では到底見つかりそうにない。
 パーシーはがっくりと肩を落とした。そもそもなぜ彼女の後をつけようと思ったのか。つけてどうするつもりだったのか。パーシー自身もよくわからない。誰も彼女のことを気にしていない状況が不思議だったし、彼女自身も他人や出世に全然興味がないようだった。どうしてなのか、気になっただけなのだ。
 パーシーはレジス南方の小さな村ラフタルの出身で、村の中では一番の秀才ともてはやされていた。大人たちはレジスの城で大臣になるのではないかと大袈裟すぎる期待を寄せた。パーシーも少しその気になっていたが、実際に役人登用の試験を受けてみて現実の厳しさを知るはめになる。
 村一番の秀才はこの国全体では凡人に過ぎなかったのだ。一発で試験に通ったこと自体はなかなかのことらしいが、それでも成績は後ろから数えた方が早い。配属先も大臣とは程遠い市街見回りの小役人である。村から出てきて三年が経とうとしていたが出世の気配はまったくない。自然と故郷の村からは足が遠のいていた。彼女のように超然と過ごすことができたらどれほど気が楽だろうか。元来が楽天的なパーシーにだって気に病むことくらいはあるのだ。
 ふと、昼の見回りのときに税金の滞納者の様子をうかがいに行く業務があることを思い出した。税の取り立ては別の部署で行っているが、あまりに滞納が続くようであれば、見回り時にも様子を見るよう指示されていた。――とはいえ、別に取り立ての業務は見回りに直接関係がないのでパーシーもやったりやらなかったりといい加減なものだ。彼女が真面目にその業務をこなすと仮定すると、彼女は南門近くの建具屋にいるかもしれない。あそこの店主は役人嫌いで有名だ。聞くところによると取り立てに行った役人が何人も泣かされているらしい。役人の制服で店の近くにいるだけで危険だが、確認してみる価値はありそうだ。

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