第六十四話 深紅の衣装
「セレッサ、毒杯を運ぶって、北の王の前にいくということ?」
「ええ、そうよ。毒杯を北の王に渡すの。この冗談みたいなヒラヒラの服で。目の前で人が毒をあおるのよ。最悪じゃない?」
いいながらセレッサはまた目じりに涙をためる。
確かに最悪だ。話によると北の王は毒が効かないというが、シェイルは毒に強いというだけで死なないわけではないといっていた。最悪の事態が起こる可能性もあるわけだ。
「それ、おれが代ろうか」
衝動的にエリッツはそんなことを口にしてしまっていた。北の王の前にいくということが、エリッツの中で思っていた以上に魅力的な誘惑になっていたことに今さら気づく。
「何いってるの、そんなこと、できるわけ……」
さすがにセレッサも困惑している。
「そのヴェールをかぶってしまえば顔は見えないでしょ」
少し心が動いたようにセレッサはまじまじと赤い服とエリッツを見比べる。
「でも、この服を着られるの?」
服のサイズはセレッサには大きすぎるように思うが、エリッツは逆に小さすぎる。
「貸して」
エリッツは服を広げてみる。すべてきちんと縫いこまれているわけではなく、体に巻きつけて革紐や金具でとめる仕様になっている。着るのは面倒な服だがこれならある程度体のサイズには合わせることができる。エリッツが着られるかどうかはきわどいところだ。
「ちょっと着てみてもいい?」
エリッツは一度部屋の外に出て中庭の動きを確認してから急いで着ていた服を脱ぐ。
「ほんといきなりね」
セレッサはあきれたようにそういうと近くの椅子に腰かける。
「代わってくれるのはありがたいんだけど、見つかったら大変よ」
不安そうというよりもこの悪戯が成功したら面白そうだという顔をしている。好奇心の強さはアルマにそっくりだがそれをいうとセレッサは気分を害する気がした。
「傷だらけね。やっぱり軍部のひとなんじゃないの」
あわてていて女性の前で着替えてしまったがセレッサはまったく気にしている様子はない。
「やっぱり少し丈が短いな」
革の長靴(ちょうか)が見えてしまえば不自然だがさすがに用意されている女性用の靴は入らない。
「もっと下でとめればいいのよ」
「留め具が後ろだから、ちょっとやってよ」
セレッサは椅子から立ちあがるといそいそとエリッツの背後に回る。心なしか楽しそうである。
「できた。いいんじゃない。ぎりぎりだけど」
「大丈夫かな。不審じゃない?」
セレッサはエリッツの周りを一周してチェックするが、その顔が徐々にくもっていく。
「やっぱりこんなんじゃバレちゃうかな」
肌を露出しない肩掛けのふわりとした上衣とボリュームのある裾で体型が誤魔化せるとふんだが甘かったかもしれない。
「バレないと思うけど、美人ね。なんか腹が立つわ」
そう吐き捨てるようにつぶやくと、乱暴に赤いヴェールをエリッツの頭に投げてのせる。そんなふうに言われてもさほどうれしくはない。
エリッツはヴェールできちんと顔が隠れるように整えた。
「ふうん。まぁ、ちょっと背が高いのが変といえば変だけど。いけるんじゃないの」
背が高いこともセレッサの気に入らないようで不貞腐れたようにエリッツを見上げる。
「毒杯を運ぶのはいつ?」
まさかこのまま中庭に戻るわけにはいかない。
「会食のときよ。この後、国王陛下からのお言葉があって、主な招待客たちの紹介とあいさつ。それが終わったら乾杯があって、その後。みんなでお酒を飲みながら人が毒をあおるという曲芸をながめるみたい。結構な趣向じゃない」
セレッサは顔をゆがめる。確かになかなか趣味が悪い。しかしラヴォート殿下も北の王を貶めるためにそんな演出をするわけではないだろう。帝国からの使者が口を出しているに違いない。エリッツは先ほど見た三人組を思い出していた。
とにかく、何か理由をつけて席を抜け着替えに来なくてはならない。今の感じだと着替えに少し時間がかかる。
「セレッサ、後でまた着替えを手伝ってくれる?」
「どうせあたしは着替えてここで待機することになってたからいいんけど、本当にやるの?」
好奇心と重大な任務を逃れられる期待からか妙に目を輝かせているセレッサを無視して、エリッツは時間を検討する。アイザックたちに怪しまれないように可能な限り短時間ですませたいところだが、招待客たちの紹介の時間ばかりは見当がつかない。首をひねっているエリッツにセレッサもそのタイミングの難しさに思い至ったようだ。
「あたしも詳しい時間はわからないけど招待客のうち五人は名前を呼ばれるわ。二人終わった時点でここにくれば間に合わないってことはないはずよ。あたしは予定通りここに待機しているから」
そんな打ち合わせとも呼べないような打ち合わせを終えエリッツは大急ぎで着替えて中庭に走った。だいぶ時間が経ったはずだがまだはじまっていない。のんびりしたものである。まだ招待客が全員集まっていないのかもしれない。
エリッツが席に戻ると、リークは何かいいたそうににらんでくるし、オグデリスは先ほど以上にいやらしい目つきでこちらを見てくる。
「エリッツさん、今までどこで何を?」
「へ? ええ?」
アイザックすら奇妙な表情でエリッツを見ているのでセレッサとのたくらみをもう見破られたのかと焦って変な声が出てしまう。助けを求めるような気持ちでクリフを見たがただニヤニヤしているだけだ。
「直してあげようね。こっちへおいで」
オグデリスが手招きをするので瞬時に鳥肌が立つ。
「旦那様の手をわずらわすことはありません」
リークが進み出てエリッツの服を不必要な力を入れてぐいぐいとひっぱる。ついでに「どこで服を全部脱必要があるんだよ、この色ボケ」と小声で罵ることも忘れない。
「うう」
自身の失敗をようやくさとってエリッツは小さくうめく。
シャツはボタンを全部かけ違えているし、上衣も乱れて胸元が大きくはだけていた。急いでいるにしても鏡を見てこなかったのは失敗だった。
「かわいい女の子でもいたのかな。若いというのはいいことだね」
かわいい女の子は確かにいたが、オグデリスに無駄にいかがわしい想像をさせる隙を与えたことが悔しい。
リークの手つきはよどみない。それなりの家柄の子供だったというのは本当なんだなと妙なところで納得をする。こういう服を着なれていないとできないことだ。左利きのエリッツよりずっと手早くきれいに服を直してくれる。最後に包帯を隠していたスカーフも整えてくれた。
「昨日いった通りだ。死にたくなかったらおとなしくしてろよ」
去り際エリッツの耳元でおそろしいことを嘯いていくのでゾッとしたが。
そうこうしているうちに、周囲のざわめきがさっと静まってゆく。
隣の招待客の男性が同席者に「陛下が」とささやいていたのが聞こえエリッツはあわてて席につく。
サムティカの町に閉じこめられるように過ごしていたエリッツは国王陛下を見るのは初めてだが、ひと目でそれとわかった。護衛やつき従う人々の様子からそれは当然かもしれないが、まとう雰囲気が別格である。それに国王陛下の雰囲気はラヴォート殿下に似ていた。見る者の目をひきつける存在感や風格は父親譲りだったのだろう。それに深い藍色の目が同じだ。
恰幅がよく堂々としているが、付き人に何かを指示する動作や歩く姿に上品さと丸みがある。一国を背負う王らしく器の大きい人物に見えた。
隣にいるのは妃のひとりであるエラリス様ではないだろうか。こちらはどことなくアイザックに似ているのでそう思った。とてもきれいな人だが、今にも折れてしまいそうな可憐さが危うい。五十に手が届こうかという年齢のはずだが少女のような印象をあたえる女性だ。
しかし第一王子であるルーヴィックとおぼしき人物は見当たらない。思い返せばラヴォート殿下の噂はいろんな場所で聞いたが、ルーヴィック殿下に関してはほとんど情報がない。エラリスの様子をみていると体が弱いのではないだろうかと想像してしまう。
「さて、今年も薔薇が咲いた」
てらいのない国王陛下の第一声にエリッツは多少なりと驚いた。