十五話 ビスケット
夢なのか現実なのかよくわからない意識のはざまで幼子は大人たちの会話を聞くともなく聞いていた。知らない言葉ばかりで意味はわからない。あまりよくないことをいっているという気配だけは感じとれる。
「なぜ子供だけ生きてるんだ」
「いや、まだ小さいし、何もわかってないはずだ。コルトニエスの町にでも捨ててくれば」
「だが亡骸をあの方に見せないことには。それが条件だったはず」
場がしんと静まりかえる。
捨てるというのは自分のことだろうか。「なきがら」とはなんだろう。
幼子は寒さに体をぐっと丸めた。大人たちの声はみな聞いたことがある人たちの声だ。父や母と仲が良かった気がする。だが、今話しかけてはいけないと頭のどこかが警告を発している。
父と母はどうなったのだろう。
幼子はゆっくりと記憶の糸をたぐりはじめる。朝、起きてまだ太陽の光がゆきとどく前にいつものように父と畑にいった。大きく育った芋を見てうれしかった。父も笑っていた。
悪いやつがきたときのために修行をした。棒で何度も地面を打つ特訓だ。ときおり父が棒の持ち方を直してくれる。
それから――。
ゆらりゆらりと頭の中の記憶がぶれはじめる。
突然、記憶の底から紅茶のカップの割れる音が響いた。カップが割れて破片が散らばる。深い琥珀色の液体が広がった。そして、父と母が――。
「毒がまだ残っていただろう。痛い思いをさせるのはかわいそうだ」
「しかし本当にここまでする必要があるんだろうか」
「今さら何をいってるんだ。もう後戻りはできない」
「早くしないと村人たちが仕事から戻ってくる。さすがにおかしいと思われるだろう」
「期限は今日中だ。日が暮れる前にアイザック様に報告に行くぞ」
アイザック様。
幼子は聞こえた言葉を頭の中で反芻する。聞いたことのない言葉。アイザック様。
頬が冷たいのは自分が床に寝転んでいるからだとふいに気づく。
とても寒い。
早く母が作った晩ごはんが食べたかった。温かいスープに焼きたてのパン。それだけでいい。何か甘いものがあればもっといいけれど。遠くからビスケットを焼く匂いがしたような気がした。
ようやくうっすらと目をあけることができた幼子が最後に見たのはゆっくりとせまってくる大人たちの黒い影だった。
お父さん。
お母さん。