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第五十話 村を出る

「ウィンレイク指揮官、そろそろ着きますよ」
 墓守は寝入っている指揮官の肩を揺する。指揮官はハッと身を起こした。
「なぜここに墓守がいるんですか」
 荷馬車がガタンと大きく揺れて墓守は「おっと」と荷台のへりをつかむ。
 冬枯れの農村である。作物がすっかり刈り取られた畑にはただ風が吹きぬけるばかりで何の色彩もない。
「情報料をもらってないんですよ。しかし、ずいぶんうなされていましたけど、怖い夢でも見ていました? おばけの夢ですか」
 指揮官の顔は汗でびっしょりとぬれていた。
「暑いんですよ」
 指揮官は袖で顔の汗をぬぐう。顔色が悪い。
「いや、寒いでしょう」
 日中とはいえ冬の気配が濃くなっている。乾いた風がときおり頰を切りつけるように強く吹いてくる。墓守は野良着の前をぐっとかき合わせた。
 まさか指揮官が商人の荷馬車をつかって移動をするとは盲点をつかれた思いだ。墓守は情報の対価を受けとるため指揮官を追っていた。レジスの街かコルトニエスまで探しにいかねばならないのかとうんざりしたがなんのことはない、いつも店番をしていた店に出入りしている商人の荷馬車に同乗しているのを偶然見つけた。しかも無防備に寝ている。これが人を殺さんばかりの目つきをしていた軍人かと訝ったが、とりあえず手間がかからず助かった。
 商人とは馴染みである。事情を話すとこころよく乗せてくれたが、この商人も乗っているのがレジス軍の指揮官とは知らならなかった。金払いのいい旅人を乗せたくらいに思っていたようだ。
「ちょっと寄っていく店があるから回り道をするぞ」
 商人がふりかえる。
「ああ、わかった」
 起こしてしまったがまだ着かないようだ。
 墓守たちは隣の村に向かっていた。どうやらリンゼイ家が治めていたという別の村の様子を見にいくらしい。
 墓守が調べたところ別の村でも状況は同じだった。村長たちは怪しく村人たちはなにも知らない。新しくわかることは少ないだろう。
 証拠を見つけたわけではないがアイザック・デルゴヴァ卿がなんらかの手段で村長たちを買収しリンゼイ家を陥れたのではないかという疑いはぬぐえない。
 親指大の虫が嫌な羽音をたてて荷台のへりにとまった。指揮官は躊躇なくそれを叩きつぶす。ぶつりという気色悪い音がした。
「ちょっと、わざわざ虫とか殺さないでくださいよ。しかもそんなおっきい……汁みたいのがつくじゃないですか。うっわ、きもちわる」
 墓守はずるずると尻で移動し荷台のはしに寄る。
「毒虫ですよ」
 指揮官はつまらなそうにつぶれた虫の残骸を指先ではね飛ばす。墓守はなおも気色悪そうに指揮官を見ていた。
「刺されたいんですか」
 指揮官はまだ顔色がよくない。
 墓守の目には好奇心にまかせて好きに調べまわっているように見えていたが存外多忙なのかもしれない。
「それで情報は買ってくれるという約束でしたよね」
 あまりいいタイミングではないが墓守は本題を切り出した。
「ああ」
 指揮官は無表情のままふところを探る。
「お金はいいんです」
 墓守はつばを飲みこんだ。指揮官の外套には無数の武器がしこまれており、なにが引き金になって暴れ出すかわからない。その凶暴さ奇人ぶりはこれまで見たとおりだ。
「そうですか」
 指揮官はあっさり手をとめると気だるそうに荷馬車の外に目をむけた。どうも具合が悪そうだ。
「役人になりたいんですよ」
 墓守の声は車輪の音にかき消されそうになる。ひとつ、商人が馬に鞭をふるった。
 指揮官の返答はない。
「あの……」
 墓守はここで引きさがってはならないとにじり寄る。
「王立学校へ紹介状を書きます」
 指揮官は荷馬車の外をみたまま面倒くさそうに羽虫を追い払うしぐさをする。
「学校……」
 王立学校を卒業すれば確かに国で働けるだろうが、墓守の求めるものとは少し違う。場合によるが半年から数年は勉学、訓練のため拘束されてそれなりの学費も必要だ。そのため王立学校から職を得るのは富裕層ばかりである。王立学校出というステータスはようするに縁故採用の口実に使われるものである。
 つまりはダメということか。墓守はふてくされたようにため息をついた。
「金を払って仕事を教えてもらうような悠長なことができる身分じゃないんでね」
 指揮官は墓守をふりかえると「手を」といった。なんだかわからないが墓守は手をさすだす。指揮官はその手をとってしげしげとながめる。
「あー、いっときますが、術師の素質なんてゼロですからね。そんなもんがあったら食うのに困ってません。墓穴なんて掘ってませんから。うわ、今、虫の汁つけましたよね、ってかついたっぽいんですけど」
 指揮官は無言で墓守の腹を殴った。ぐぅと墓守は妙な声をもらす。かなり手加減はしたようだがそれでも予測できない攻撃はこたえる。
「なんなんですか!」
「なぜ術士のことを知ってるんです。気軽に話題にすれば面倒なことにしかなりませんよ。そういうことを学ぶんです。半年王立学校で勉強して今コルトニエスにいる私の部下の下につくというはどうですか。ちょうど空いているところがあります」
 常識外れの指揮官かと思いきや意外と真面目なことをいう。だが墓守は落胆を隠せない。
「その日暮らしの俺に半年もお勉強をして暮らす余裕はありませんってば。あとその空いてるポストってのは役人じゃないですよね。すごい危険職の気配しかしませんけど。えっ、そもそもなんで空いたんですか。怖いんですけど」
 指揮官はあっさりと「では、なかったことにしましょう」といい、また何もない景色をながめはじめる。
 そうなると墓守は急に大きなチャンスを逃したような気がしてしまう。
「えー、待ってください。ちょっと考えさせてください。それ死んだりする仕事ですか」
 指揮官は荷台のへりにもたれかかったまま「死ぬこともあるかもしれませんね」と、すでに興味を失ったような声でいう。
 墓守が役人になりたかったのは安全な場所で安定した給料をもらい自分の能力をそこそこいかして仕事をしたかったからだ。文字を読んだり、書いたり、考えたり、そういうことをいかせない墓守の仕事にうんざりしていた。
 それから街で働ければ演劇を見にいったり、偉大な建築物にふれたり、絵を描いたり、小説を書いたり、そんなこともできると思っていた。
 しかしすべて命あってのことである。しかも初任地はコルトニエスだという。この村よりは断然大きな町だが田舎は田舎だ。墓守が望んでいる生活があるのかだいぶあやしい。
「んんん」
 墓守は頭をかきむしる。
「うるさいんで降りてもらえませんか」
 指揮官は具合が悪そうなうえに機嫌まで悪い。
「店番、それでいいのか」
 ずっと黙っていた商人が前を向いたまま口をひらいた。墓守のことをいつもどおり店番と呼ぶ。そういえば店以外で会ったのは初めてだ。
「あんたならなんとでもなるだろう。レジスの街に着いたらうちの店で働けばいい。学費がいくらか知らないが」
 ああ、そうかと墓守は急に光がさしこんできたように感じた。なんとでもなる。なんとでもなる気がしてきた。少なくとも墓を掘るよりは希望に近くなるはずだ。もしコルトニエスでの仕事に挫折してもそのときは「王立学校出」というステータス付きだ。街でいくらでも仕事があるだろう。
「おおー!」
 墓守は立ちあがって雄叫びをあげた。
「うるさい」
「座れ」
 指揮官と商人が同時に声をあげた。墓守は素直にその場に腰をおろす。指揮官がそれをみとめて、荷物から白い紙をとりだすと何かを書きつけはじめた。のぞきこむとこれがまた見事な達筆で墓守は感嘆のため息をつく。絵もうまいし、字もうまい。この人のもとで仕事ができたらと墓守はちらりと考える。面倒くさそうな人物だが墓守は美しいものを見ることが好きである。
「名前は」
 墓守はきょとんとした。
「名前!」
 指揮官が手を打ちならす。
「あ、俺ですか」
「私は誰を推薦すればいいんですか」
 墓守はへへへと笑った。
「ゼイン・アルバディス。役人登用試験のときに籍を確認したんでこれ本名で間違いないです。あ、スペル、ここに書きましょうか」
 村人の中には自分の名前が本名なのか通称なのかわかっていない者も多い。
 指揮官は墓守ゼインの書きつけた字を見つつそれを書きこみ、最後に美しいラインのサインをいれて書類を完成させた。
「どうぞ。早く降りてください」
 墓守に紙を押しつけると仕事は終わったとばかりに荷台のへりにもたれかかってそっぽをむいた。
 墓守はうやうやしく紙をいただくときちんと内容を確かめる。入学の推薦と在学期間、その後の身分、任地まで意外ときちんと記載されている。なんと学費の支払いの延期に関して嘆願書までついていた。気のふれた単独プレーヤーなのかと思いきや仕事のできる人物なのかもしれない。
「じゃあ、いってきます」
 墓守は軽やかに荷台を飛びおりた。

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