第三十五話 門前
「なんで走るの」
エリッツとアルヴィンはなぜか街中を走っていた。
「なんとなく」
体が重そうなわりに走るのが好きなのだろうか。アルヴィンは軽快にとばしている。
話は朝食後にさかのぼる。
「暇だからレジスの街を案内してよ」
アルヴィンはすっかりくつろいでソファでごろごろしながらそういった。
「おれもこの街はひとりで歩いたことほとんどないよ。それにたぶんこの屋敷を出ると叱られる」
「なんだ。じゃ、一緒に探索にいこうよ。夕食までに戻れば問題ないよ」
自分がいなくなると世話をまかされているワイダットに迷惑がかかる。しかし屋敷に居場所はないしレジスの街を歩くというのも魅力的な提案だった。どうしようかと悩みながらもアルヴィンと連れだって庭を横切る。門には見張りがいるからと塀のレンガの欠けたところを足がかりにのぼりながらもエリッツは「どうしよう」といっていた。アルヴィンはあきれ顔だ。
ちょうど塀の上にのぼりついたときだった。
「若様、お戻りはいつになります?」
ごく普通にワイダットが塀の下にいた。また冗談めかした慇懃なしゃべり方でエリッツを見あげている。目が笑っていた。
「夕食までには」
あまりに普通なのでエリッツの方もごく普通に返事をしてしまう。
「念のため、外套を」
そういえば、エリッツはここにはいないことになっているのだった。なにがどうなっているかわからないが、シェイルに迷惑がかかるようなことにはなりたくないし、兄の顔もつぶしたくない。
腕をのばしてワイダットが放った外套をつかむ。しっかりとフードをかぶって顔を隠したころようやくアルヴィンが塀の上にたどりついた。
「お先に」
アルヴィンが塀の上から外へと飛び降りる。けっこう高さがあるのに平気なようだ。運動神経がいいのか悪いのかよくわからない。
「お気をつけて」
いいながらワイダットはもう後ろをむいている。一応信頼されているのだろうか。エリッツも塀を飛び降りる。
「あの人何者なんだ。なんかすごいな」
いいながらすでにアルヴィンは走り出していた。エリッツもわけがわからないながらも会話を続けるために走らざるをえない。
「ワイダットのこと? うん、すごいんだ」
ワイダットのことをほめられるのはなんだかうれしかったが、何がどうすごいのかうまく説明できない。とにかくいろいろと常人離れしている。
そんな事情によりレジスの一等地を二人はひたすら駆けていた。先日歩いた大通りと違って人気は少ない。大きな屋敷が広い間隔がとられてならんでいるため小人にでもなったようだ。道幅も広くとられている。
こんなところをひた走っているというのは不審ではないか。どこかの屋敷の門番か護衛に呼びとめられたら解放されるまで時間がかかりそうだ。
「城が近づいてくる」
アルヴィンがスピードをあげる。
「城へいくの?」
いっても入れないだろう。それよりも先日シェイルと歩いた南門からの大通りの方がアルヴィンに気に入ってもらえそうな気がする。ここからは遠くなるが走ればいって戻ってくることはできるのではないか。食べ物がたくさんあるし、異国のものなども多く置いてあって飽きないだろう。いや、一日中走り続ける前提なのはつらすぎるかもしれない。
「なんかいい匂いがする」
エリッツの逡巡を無視してあっさりとアルヴィンは足をとめた。
「あ、叱られるよ」
アルヴィンがのぞきこんでいるのはかなり立派な屋敷の庭だ。パーティの準備のようなことをしている。使用人たちがやわらかそうな草の上にテーブルをどんどん運び出し、それを待っていたかのようにできたての料理が次から次へと運ばれてくる。
庭には季節の花々が咲きほこり、樹木は小さな森のように茂らせてある。広大な庭に水路がめぐらされていてせせらぎの音が聞こえていた。
城に近いということはかなりの名家ということになりはしないか。門番がアルヴィンをにらみつけている。
「ほら、アルヴィン、いくよ。城を見にいこう」
しかしアルヴィンは動かない。またお腹がすいているのか。
「あの人、誰だろう」
こともあろうにアルヴィンは庭で料理の準備をする使用人たちをながめている老人を指さした。見事な白髪に白髭、老いてなおがっしりとした体格でその貫禄もさることながらまわりに数人の付き人らしき人が従っていることからして家の主のようにみえる。
「ちょっと。失礼だろ」
さすがに門番が動く。
エリッツは慌ててアルヴィンの手を袖ごとつかんで走りだす。こういうときだけいうのはなんだけれど、アルヴィンなら子供だと思って見逃してくれるだろう。
「たぶんあれ偉い人だよ」
アルヴィンはのんきにそんなことをいっている。
「みればわかるよ」
そんな二人の視界が急に広がった。
「うわっ」
エリッツは思わず後ずさり、アルヴィンの服を強引にひっぱって低木のかげに身をひそめる。
屋敷が一軒建ちそうなくらいの広大なスペースが城の門前に広がっていておびただしい数の警備兵が警備にあたっている。こんなところに駆けこんだらいくら子供だと思われたたとしてもただではすむまい。
「うわー。すっごいな」
アルヴィンは立ちあがってしきりに背のびとジャンプを繰り返している。
「静かに」
エリッツも気持ちはわかった。門も塀もとにかく高いのだ。背丈の五、六倍はありそうだ。遠くから城だと思って目指していた建築物は門とその中にそびえる警備用とおぼしき塔だった。門の中もかなりの広さらしく街が丸ごと入っているような景色である。門周辺の兵舎のような建物以外は遠くてよくみえず全貌がまったくわからない。そういえばシェイルが王立の学校が城の敷地内にあるといっていなかっただろうか。
「お、エリッツ・オルティスか。何やってるんだ」
唐突に声をかけられてエリッツはとびあがった。
「びっくりした。アルマさんじゃないですか」
「久しぶりだな。お師匠さんは?」
「ちょっといろいろとありまして」
あいかわらずアルマはニコニコと軽い笑顔である。ついでに口も軽いらしいのでちょうどいい。いろいろと知りたいことがある。
「しかしよくおれに気づきましたね」
エリッツは外套のフードで顔を隠している。
「いや、だって」
アルマはエリッツの背中の方を指さした。
「うん、僕もそれは気になっていたんだ」
アルヴィンもうんうんとうなずく。
「え、なに?」
エリッツは背中をみようと首をまわす。ちょうど右の肩甲骨あたりになにかある。外套の布地を引きよせてよくみるとそこにはうさぎが笑っているアップリケが不器用にぬいつけてあった。まさかワイダットがやったんだろうか。マリルにもらったアップリケは外してどこに置いたんだったっけ。記憶があいまいである。
「それで何をしてるんだ。なんかおもしろいことでもやるのか」
あいかわらずアルマは新しい遊びを期待する犬のような目でエリッツをみつめる。
「城を見にきました」
なんだか田舎の子供みたいになってしまいつい頬が熱くなる。
「城? ここからじゃ門と塀しか見えないだろう。正門はだめだ。そこまでおもしろくないぞ」
アルマは馬鹿にするどころかもっといいものがあるのにという顔をする。
「みえる場所があるの? どこ? どこからみえるの?」
アルヴィンは子犬のようにアルマにまとわりつく。そういえばまだお互いを紹介すらしていないが、そんなことは気にもしないで「どこ? いこうよ」「まあ、待て待て」といい合いながらじゃれあっている。
「エリッツ、昼食をいっしょにどうだ。そのために抜け出してきたんだよ」
「はい、よろこんで」
エリッツは返事をしてから即時に「あ」と声をもらした。
「どうした」
「すみません、今日はお金をもってきていないんです」
「アルマさんにご馳走になればいいんじゃないの」
アルヴィンが図々しい提案をする。
「ああ、そうだ。もとよりそのつもりだった。いいことをいうな、きみは」
「アルヴィンだよ」
「アルヴィンか」
いいながら頭をがしがしとなでている。エリッツがわざわざ紹介をする必要はないようだった。