第三十二話 居場所
なんだか嫌味をいわれたようだったが、エリッツはそんなことよりも術士という存在に興味があった。
国家機密で軍人のはずがこんなところで護衛をしているというのはどういうことなんだろうか。顔や名前すら伏せられるくらいの存在だときいた。いや、そんなことよりも術士の能力というのをもっとみたい。さっきは何が起こったのかまったくわからなかった。
「朝ごはん食べた?」
アルヴィンはエリッツの中に浮かんだあらゆる疑問を見事に裏切ることをいう。しかし現実に引き戻されたことでエリッツははっとした。
「そういえばアイザック氏とリークは?」
「もう出かけたよ。下賜品だったっけ? その布の見本を城のなんとかっていう部署に確認してもらうみたいなこといってた、かな」
術士ということだから能力は希少で重用されるのだろうが業務に対してはさほど熱心ではないらしい。アルヴィンは興味なさそうに木の根を蹴っている。
「きみはいかなくていいの?」
護衛が主人についていかなくてどうするのだと、エリッツは自分のことを棚に上げる。
「リークがいれば十分だよ。職人たちもいるしごてごて護衛をつれて歩くなんてスマートじゃないでしょ」
そういうものだろうか。
「だから今日は一日暇なんだよ。なにして遊ぶ?」
アイザック氏は終日外出するということか。寝坊を誤魔化せたという安堵感もあるが、今日一日アルヴィンの相手をするのは面倒くさい。とはいえ、書庫にはフィアーナがいそうだし、屋敷内はダグラスの部下たちが働いているので、暇そうにうろつくわけにもいかない。
居場所がない。
エリッツはとりあえず果樹園をでることにして歩き出した。
「ちょっと待ってよ」
後ろからアルヴィンが追いかけてくる。
よく考えれば自分以上に居場所がないのがこのアルヴィンだろう。はじめて訪れた屋敷で主人たちは留守なのだ。
「思ったよりもいい動きだったね。すぐにつかまえられると思ったんだけど。逆につかまっちゃった。護衛って名ばかりだと思ってたけどいけるよ」
アルヴィンはしきりに話しかけてくる。
「ねぇ、アルヴィン、仕事のことを教えてほしいんだけど、おれの部屋にこない?」
「えっ、いいの?」
案の定というべきか、アルヴィンは目をキラキラとさせて「いいの? いいの?」と何度も確認をとる。よろこんでもらえるのはうれしいが、何をするにも過剰な子供である。
さらにアルヴィンはしきりに「朝ごはんは大丈夫か」とエリッツの腹具合まで心配してくれる。おそらく空腹なのはアルヴィンの方だろう。エリッツはそう考え調理場に立ち寄った。
あの人の良さそうな調理担当の男に頼むと部屋まで運ばせるという。エリッツはパンを数切れ持っていく程度のつもりだったので戸惑ったが、よく考えるとアルヴィンはたくさん食べそうである。少し太りすぎているくらいだ。先ほど羽交い締めにしたときも全身がむにむにと柔らかかった。そう考えると重い体でよくあれだけ走ったものである。さぞ疲れただろうに。
何か甘いものとジュースもつけてもらえるように頼んでアルヴィンと連れだって部屋に戻る。その間もアルヴィンはずっとしゃべりかけてきた。ゼインのようにいいたいことをいいつづけるタイプではない。こちらの返事や相槌を期待しているのでゼインの話を聞くよりもくたびれる。
結局、部屋はワイダットが呼んだメイドによりすべてきれいに片づけられたのだった。詳細は省くが思い出すと恥ずかしいのでベッドに背を向けられる位置のソファにすわる。
ずかずかと入りこんでくると思っていたアルヴィンは戸口のところに立ったまま部屋を見わたしていた。さっきまでひたすらしゃべっていたくせにぴたりと黙りこくっている。
「どうしたの。入ってよ」
「いや、広い部屋だなと思って」
ようやく彼らしい図々しさを見せて入ってくるとそのままエリッツの正面に腰かける。
「うん。広いよね」
エリッツは他人事のようにそういった。実際、こんな広い部屋でなくてもよかったが、兄が指示した部屋である。居候があれこれいうのも変だし、書庫が近いという点においては居心地よくつかわせてもらっていた。
「それで、アイザックさんはどんな人なの」
さっそくエリッツがきくと、アルヴィンは不思議そうな顔をする。
「仕事の話を聞きたいっていったじゃない」
アルヴィンはうーんとうなりながら腕を組む。
「え、そんなに変なこときいた?」
エリッツが戸惑っていると、アルヴィンはさらにエリッツの方をさぐるような目でみてくる。こういうとき、黒い目というのは圧倒的な力を感じる。
「ちょっと単刀直入に聞くんだけど、次期国王の座をめぐっての争いの中でグーデンバルド家は中立って本当なの」
そのはず、である。ぼんやりしているようで確信をつく話をしてくる。そのこともエリッツが帰るに帰れなくなった要因のひとつだ。
兄は確かに子供っぽい発想で失敗をすることがあるがそこまで軽率ではない……はずだ。アイザック氏との間に何かあるのか。もしくは額面通り「友人を助けた」だけなのか。
エリッツが口をひらこうとしたそのとき、アルヴィンは手のひらでそれをとめた。
直後、部屋の扉がノックされる。
「どうぞ」とエリッツがうながすと、いつもエリッツの世話をしてくれている二人の若いメイドがワゴンをおして部屋にはいってきた。
いつもニコニコと笑顔を絶やさない二人だが、今日は妙にむっつりとしている。ソファの前のローテーブルに予想通り大量の食べ物と飲み物が並べられる。あの調理担当があれもこれもとワゴンに積む姿が目に浮かぶようだ。
二人のメイドは給仕を終えると愛想のひとつもなくさっさと部屋を出ていってしまった。
「なんか怒ってなかった?」
大量の食べ物を前にして食べる前からにおいで胸やけしそうになる。
「あたりまえじゃない」
アルヴィンの方は前のめりで食べ物を見ている。おあずけをくらった空腹の子犬のような顔だ。やはりお腹がすいていたのだろう。手のひらで食べ物をすすめると、この上ない笑顔を見せてくれる。
「あたりまえなの?」
「そういうことに無頓着なのは、よさそうに見えて案外よくない」
エリッツは何をいわれているのかわからない。首をかしげている間にアルヴィンは焼き菓子や果物を次々と口にいれていく。思わずみとれてしまうようないい食べっぷりだ。食べ終わるまで会話は進みそうにないとあきらめかけたとき、「ふまり」と、アルヴィンが口にした。口いっぱいにものが入っていて聞きとれない。
「つまり、立場が下のヤツに給仕をさせられるのがおもしろくないんだよ」
きちんと食べ物を飲みこんだらしいアルヴィンがさしてこだわりがなさそうにいう。
「立場が下のヤツ――」
「僕のことだよ。田舎から出てきたならず者なんかに給仕させられて腹がたったんだよ。慣れたメイドはそんなことで表情を変えたりしないけど、あの二人はまだ子供だよ」
アルヴィンがそれをいうのか。
「そういうものかな」
「アイザック氏とエリッツたちは一緒に食事をとるけど、僕たち護衛や使用人は別室で自分で器に盛って食事をとるんだ。知っておいた方がいいよ」
エリッツにはどうもぴんとこない。
「ようするにおれはあの二人に悪いことをしちゃったんだね。まだ怒っているかな」
瞬間、アルヴィンははじけるように笑いだす。
「よさそうに見えて案外よくないけど、まぁ悪くもないんじゃない」
ますますわからない。