第二十一話 拒絶
エリッツは娼館の地下での食事の時間を複雑な思いで過ごしていた。
仕事で殿下に会うと言いながら城の方へは向かわないので、てっきり捨てられるものと思いこんでいた。しかし実際にラヴォート殿下が街中の、しかも娼館などにあらわれたので驚いてしまう。本当にシェイルの仕事を手伝わせてもらえるんだろうか。
いや、やはり信じられない。
ゼインのように気もきかないし家事もできないし字も汚いし左利きだし一人で買い物をすることすら不安だ。冬までいてもいいといわれたのも「役に立つなら」という条件つきに違いない。
しかしどうやら今ただちに捨てられることはないようだ。無駄だとは思うが挽回できるチャンスはものにしたい。昨日もらった紙は紐で束ねてきちんと帳面のようにしてきた。もちろんペンも持ってきた。
きっと昨日いっていた北の王の件をどうするかという話になるだろう。
エリッツには難しい話はわからない。わからないが、戦争ともなれば今までと同じように生活することはできなくなる。先の戦があったときエリッツはまだ子供だったため記憶がないが、大人たちはきっと大変だったに違いない。
国王陛下が戦争を忌避するのはなんとなくわかる。北方の帝国は気候が不安定で農作物の収穫に適していない。温暖で独自の貿易ルートも持っているレジスを手に入れることは帝国にとっては大きなプラスになるが、レジスが帝国に打ち勝ったところでメリットがあるとは考えにくい。むしろ反乱分子を抱え込むことになり国は荒れるのではないだろうか。ひたすら防衛のみの戦であっても帝国相手では消耗も激しいだろう。
それは治世のことなどよくわからないエリッツの想像だが、大幅に的を外しているということもないはずだ。
「殿下、今わたしの皿からパンを取りましたね」
「細かいことにこだわるな」
「ひとこといってから取ってくださればそれでいいんです」
「うるさい黙れ」
シェイルとラヴォート殿下は仲がいい。王子と側近というよりは友達のようである。密室だからかずいぶんと打ちとけた空気が流れていた。
またシェイルが折檻されるところを見たいような見たくないような複雑な思いがよぎる。
「殿下、よろしければおれのパンも……」
エリッツはよかれと思って皿を差し出すが、ラヴォート殿下は冷え切った藍色の目でエリッツをにらむ。
「お前は全部残さず吐いても食い続けろ」
無茶苦茶をいう。そこまで食欲はないが、しかたなく押し戻された揚げパンを口に含んで咀嚼した。
そういえば、シェイルがとってきたうさぎはいつ食べるんだろうか。このまま街に捨てられてしまったら食べられないのかもしれない。
暗い気分で作業のようにパンを食んでいると、視界の端に控えているダフィットのことが気になった。
ラヴォート殿下の護衛だというが、エリッツたちがここに着いてからずっとシェイルのことを見ている。今もそうだ。ラヴォート殿下ではなくシェイルを見守っているように見える。
シェイルと同郷なのだろうか。
鍛え上げらえた体はエリッツの二人分くらいの容積がありそうだ。歳はシェイルや殿下よりも一回りほど上に見える。顔も首回りも無骨な印象だがひとりでラヴォート殿下につきそっているだけあって軍人のわりには物腰がやわらかく何をするにも丁寧だ。そして給仕する手つきがやけに慣れたものだった。ただの軍人ではなさそうだ。それとも王子につく護衛というのは給仕の訓練までされているのだろうか。
そうか。ひとりでいろいろなことができれば、そばにおいて大事にしてもらえる。
エリッツはダフィットに羨望の眼差しをむけるが、ダフィットの方はまったく気にとめる様子はない。ラヴォート殿下もエリッツの存在をよく無視するがそれ以上にいないものとして扱われているような気がする。
「それで北の王の件ですが……」
「嫌だ」
シェイルが本題を切り出したのは、食事を終えてダフィットに紅茶と焼き菓子を出してもらった直後のことだった。
ラヴォート殿下は「難しい」でも「危険だ」でもなく「嫌だ」と即答した。嫌だというのは個人的な感情ではないだろうか。
「殿下、報告書はご覧になりましたか」
「もちろんだ。今朝、陛下にも拝眉し確認をした。おおむね狗どものいうとおりだったが、先日こちらから招待する前に、帝国の方から北の王に会いたいとの申し出があったそうだ」
「では……」
「嫌だ」
妙な沈黙が流れた。