全部抱き締めて。
俺は今、
夜に紛れてひた走っている。
独りで。
いや、説明会はまだ続いてたんだけど。
人知れず村を後にした。
いや、言っておくがこれは、帰還を前提とした行動だからな?
そうだ、このままみんなと離ればなれになるつもりなんて毛頭ない。
というか、そうならないために動いてるところだ。
『では何故こうもコソコソと…』
と無垢朗太は不満そうだが、それは、
「あのままいれば『村の外在住の身内も救ってくれ』とか…あったかもしれないしな…申し訳ないけどそれは…な」
『…なるほどの。村の救世主であるお前には頼って当然…そう思われても仕方なかろうな』
悪いが彼らがそれを願うなら、引き受けるにしろ後回しとするしかない。
何故なら俺が産まれ育ったあの街が別の名で呼ばれる未来を未然に防ぐ方が、その何千倍もの人命を救えるからだ。
…その異名とは、『魔人都市』。
このまま放置すれば、あの街はそう呼ばれるほどの魔窟と化す。そうなればこの鬼怒恵村にも危険が及ぶ。
前世の知識でそうなるまでのプロセスを知っている俺はこれから、その原因を潰すつもりでいる。
しかしこの『二周目知識チート』は…使えば使うほど未来が予測不能なものに書き換えられてしまう…というリスクも孕んでいる。
でもそれはもう、気にしない事にした。
そもそも未来なんて予測不能なのが当たり前だ。どの時も『やるかやらないか』を選ぶだけ。選択の結果に成功もあれば挫折もあるのは当然で、人々はそれを当たり前として生きてるし、前世の俺もその一人だった。
つまり何が言いたいかと言うと、なまじ前世の記憶があって今世との差異が分かってしまう俺は、起こって然るべき予測不能を大袈裟にとらえ過ぎていたのかもしれない。…という、
「……………言い訳か、これは。でも……うん、もうそう思う事にしよう」
何故なら、
「今はもう、一人じゃないしな…」
そう。今世は無垢朗太という相棒がいる。
『…恥ずかしいぞ///』
「その反応は誰も得しないからやめとけ」
『ぬぅっ、我の純情に価値はないのか』
それに、才蔵や才子、義介さんも生きている。
キヌさんも協力的だし…まぁヌエのアホも頭数に入れてやんない事もない。
鬼怒恵村の住人だって…前世の経験からまぁ、気難しい人もいるのは知ってるけど、イイ人ばかりだ──それに。
「大家さん…に、密ちゃん。」
「…すごい もう、バレちゃった」
…この二人もいる…つか、なんでいるんだよ?
「バレちゃったはこっちのセリフでしょ?誰にも気付かれないようこっそり抜けて来たのに。…よく分かりましたね?」
「また
と、言い合いながら。
俺達は互いにじと目を送り合った。
(でも、確かに…大家さんとはずっと別行動だったな)
放置し過ぎた感は確かにあった。
それに、なんと言っても彼女は頑固だ。
それをよく知る俺にはジト目の向こう側が分かってしまう。
このまま置いてきぼりにしてもきっと、意地になって追ってくるのだろう。
…それにしたって、
「なんで密ちゃんまで──て、あれ?気配は感じるのに…。何処にいるんです?」
「……私の中」
「……へ、」
「つまり、均次くんと無垢朗太さん?と、同じになった」
だから、え?
『なん…っという無茶をっ』
えっと、、、え?
『密呼の…馬鹿者め…ッ』
「いや…え?それって…(おい無垢朗太、理解が追い付かねえっ…どういうことだ?)」
『どうもこうもない。この娘が言った通り──』
「私の魂と彼女の魂は、同化した」
「………いや、いやいや……あの、大家さん?」
何…言ってんだ…急に…
「──大丈夫っ、彼女からそうしたいって、ほら」
そう言うやいなや、大家さんのお腹からにゅっと。
密っちゃんが顔を出して…ニコ…って…。
俺は今までこの笑顔には笑顔で返してきたが──
『密呼…本当に…』
「そ…んな……マジか」
「……均次くん?…なんでそんな顔するの?」
指摘されるまでもない。分かっている。自分が今、どんな顔をしているか。
「だって、こんな…」
俺は今、彼女達に見せてならない顔をしている。驚愕、後悔、憤り、何をどう思っていいのか分からない顔を。だってこれはさすがに──
「……また、置いてく……つもりなの?」
「いあ、そうじゃなくて…」
ああ、大家さんまでつられてひどい顔に…これはダメだ。だからほら、早く。取り繕え、俺。
(……………、く、)
…ダメか。
「それで、また、傷だらけで、帰ってくるの?」
早く返事をしなければ。そう思う。だが今回ばかりは言葉がでない。だってどう言えばの前に、どう思えばいいんだ?…こんな事、今さらになって気付くなんて──
「それとも──均次くん、また…」
──あ…。
「…死体…に なって、帰って…く…る…?」
初めて、見た。
「あ──え?」
彼女自身、理解不能であるようだ。あの大家さんが──
「え、え、頬っぺ…ぬくい?え──涙──泣いて──私が?…なんで…」
──大家さんが、泣いていた。
しかも彼女は…今さらになって気付いたようだった。自分にも『泣く』という…人としてあって当たり前の機能が備わっている事に。
「あぅ…ぇ、え? う、コントロ ル効か な──ふぅっ、う、ぅぅぅぅぅーー~~、」
それはいとも容易く決壊して…
「ぅぅうっ、うぁぁぁぁあ…あ、あ」
……一体、いつからだ。
「う、ぁぁぁ──」
…何故、気付けなかった。
「ぁぁああああん、ふぁぁあああぁぁん」
こんなに、鼻を真っ赤にして、こんなに、くしゃくしゃに顔を歪めて、痙攣一歩手前に肩をひくつかせて。俺は、見た事がなかった。
「ぃぁ、いやぁ、もぉ、も、、」
地面に落ちれば音がしそうな…こんな、大粒の涙を…こうなるまで──
「も…ぃなくなっちゃ、いゃあぁ……ッ!」
一体、いつから貯めて……いや、
「い。、ぁ、ぁぁぁ、あぁぁあ~~」
いつから、、
大家さん、いつから、
「あああああ~ふぁぁああああああ~」
──壊れて、いたんですか。
「ふぁああああああん、あぁぁぁぁぁあああああん、いゃあぁあ、置いてかなぃでぇええ、いなく、ならなぃでぇぇぇえ~~」
大家さんがこうして泣いているのは、俺が死にかけ…いや、実際に死んだのを見た事で心が限界を迎えたから。
彼女はそう思ってるのだろうが、少し違う。
「大家さん…」
彼女の魂はおそらく…
ずっと前から…
きっと、俺と出会う前から…
(…だって、)
魂とは、その存在を現世に個としての概念としてとどめる装置のようなものであり、これなくしで生ある者は何者も現世で存在し続ける事は出来ないらしく、アンデット系やゴースト系のモンスターですら、そうらしい。
(だから、普通なら)
他の魂と融合なんて、出来っこない。それが魂というものだ。
出来ない理由は、混ざりあってしまえば一個の存在としてあやふやになってしまうからだ。
(実際に俺も危うい状態にある…)
無垢朗太とのコミュニケーションを会話形式に限定しているのはそのためだ。そうでもしないと混ざりあい過ぎて俺という存在を保てないから。
存在を保てないという事は、現世にとどまれないという事でつまり、そうなれば──
(──この世から、消えちまう)
だから、俺のように壊れた魂を修復するためとか、そんな『負の前提』がなければ魂の融合などやってはいけない事、というか、本来なら不可能な事。
(…そうだ、、、
つまり。
大家さんの魂は以前から、もしかすれば…ずっと前から。
限界に近く 壊れていた…。
そういう事になる。
(その上で、俺の死を見せちまった…)
自惚れかもしれないが、それが原因で大家さんの魂は限界を迎えて──きっと密ちゃんは、そんな大家さんを放っとけなかった。魂的な同化を図る事で彼女を救った。
(俺は…どうだ?何をしていた?優しくしてるつもりだったか?…この、馬鹿め)
その逆だ。世界がこうなる前から魂が壊れてたんだ。そうなるまで、心にどんな傷を負ってきたのか…そんな事にもずっと、気付いてあげられず、その挙げ句──
(──そうだ…俺はまた、馬鹿をした)
人間関係は難しいとはよく聞く話だけど。それを痛感せざるを得なかった。人と相対するにつけ、絶対に間違ってならない事がある、いい年になってそれを知った瞬間だった。
(俺は…死んだ。彼女を置いて。そしてその死は大家さんを、滅ぼしかけた?…そういうことか)
「なんて…事だよ…」
…ただ一つ、救いなのは、
大家さんが今泣けているのは俺の死も関係してるのだろうけど、厳密には違う、という事だ。
彼女は今、魂が修復された事で彼女本来の感情を取り戻しつつあるという事。その修復に心がまだ追い付かず、コントロールが全く効かなくなっている状態なのだ…と、無垢朗太が教えてくれた。
(つまりは、良い兆候ではある…そういう事か?)
『うむ…その当人であるこの娘には辛かろうがな…』
こうして色々と察すれば察するほど、知れば知るほど、俺には泣きじゃくる大家さんがどうにも、切なく見えて、抱き締めたくなって、でも出来なくて…
(何故出来ない?簡単な事だろ?)
いや、そりゃぁ、抱き締めたいけれど。壊れかけのままどれ程放置されたか分からない彼女の魂を思うと、抱き締める事で次にどんな影響が起こるか分からない──
(…てのは、言い訳だ)
こんなギリギリの彼女に今まで気付けなかった自分に、抱き締める資格などない、そう思ってしまうから──
(…というのは流石に臭い。ただの格好つけ。俺は、きっと──)
ビビってる、だけなんだ。
大家さんを失う事を。
だから一緒に行動しなかった。
今に至って抱き締められないのもそう。
巻き込まれたい彼女の意思を拒絶して…
つまり、離れる事を嫌がっておきながら結局、遠ざけてしまっていた。
こうして思いがけない形で彼女を窮地に追い込んでる事に気付いてそれでも、なお──俺ってやつは…
何が、大家さんの闇を知った上でだ。実際はどうだ。大事過ぎてそうなったか知らないが、受け止める事を怖がってただけじゃないか。才子の言うとおりだ。覚悟がなかった。結局の自分可愛さだったんだ──でも、じゃあ、どうすればよかった?
(いや、それはもう、今さらだろ)
時は戻らないなら、これから、することは…
(……そんなの、決まってる)
「わかりました。大家さん」
「…ふぅぅ~、うぅ……何が?」
「一緒に、いきましょう」
これには『一緒に生きましょう』って意味も暗に込めてる。
「もう……勝手に、死な ない…?」
その質問への答えも同じだ。
「だから、一緒にいきましょう。」
『一緒に逝きましょう』さすがにこれはまずいか。でもこんな世界ではこれも覚悟に含めなきゃならない事だし、それに──
こうも互いに、溢れてしまえば…
「……っ …そう…、えへ、」
「ははっ、」
ってなんだろこれ。急に元気になった彼女は無邪気に笑って…俺も釣られて笑っちゃったけど。
(…分かって、くれたのかな…)
どれ程の一代決心で、俺が大家さんを巻き込むつもりなのか。つまり、今の言葉は俺にとって、
もはやプロポーズにも等しいものだった事を。
(そこんとこ、どうなんだろ)
それを確かめないのはやはり、俺がビビりだから、なんだけど。
ビビりなりに。
「ハグします」
「ぁぅ…っ」
俺は今度こそ、彼女を抱き締めた。
大家さんの足はぷらぷら浮いて。その頬はふるふる震えてやわこくて、あったかくって。そして、
合わさった俺達の胸…その内側同士で。手を伸ばし合う無垢朗太と密呼ちゃんを感じて。
その二つの掌が、俺と大家さんという存在ごしに合わさって。
…俺達の心はまた、暖められた。