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第三十九話 「不戦の契り」

 夜の闇に包まれた深い森の中、しゃらく一行と八百八狸(やおやだぬき)、そして千尾狐(せんびぎつね)との間に只ならぬ空気が漂う。八百八狸達は驚愕し、しゃらくに殴られた千尾狐達は、頬を抑えながらも狂気染みた笑みを浮かべている。
 「誰が腰抜けだァ! もっぺん言ってみろ!」
 もう一発手を出しそうなしゃらくを、只ならぬ空気を察したウンケイが羽交締(はがいじ)めにして止める。
 「おいやめとけ! これは何かまずい」
 すると太一郎狸が狐に近づき、(おもむろ)に地に膝を着いて両手を揃える。
 「すまない。彼はただの客人。何も知らなかっただけなのじゃ。どうか勘弁を・・・」
 太一郎狸が頭を下げる。その太一郎狸の姿に、狸達としゃらく達が目を見開く。
 「馬鹿を言うな老いぼれ! こいつはお前らの仲間だろ? 八百八狸と千尾狐のどちらか、もしくはどちらかの仲間が手を出した時点で休戦は終了。それが千尾狐と八百八狸の不戦(たたかわず)(ちぎ)りだ。お前が一番分かってるだろうが。フハハハ」
 狐達は、頭を下げる太一郎狸の前にしゃがんで嘲笑う。
 「だが(けしかけ)けたのお主らじゃろう。何故(なにゆえ)我々に接触した? 目的は何じゃ?」
 「さあな・・・これが目的かもな」
 狐が太一郎狸の耳元で囁く。太一郎狸は目を見開く。
 「それじゃあ、日を改めて挨拶させて貰うぜ。首を洗って待っとけ狸共」
 そう言って狐達が立ち去る。
 「待てぇ!」
 ポン太が追いかけようとするのを他の狸達が止める。狐達は夜の森の闇の中へ消えていく。
 「・・・なんかごめんな」
 しゃらくが太一郎狸の元へ近づき謝る。
 「いや、お主らが謝る事など何も無い。仕方の無い事だ」
 そう言うと、太一郎狸はニコリと笑う。そして、不安そうな顔をしている狸達の方を振り返る。
 「さあ帰ろう。我らの里へ」
 再び太一郎狸がニコリと微笑む。しゃらくは、その様子に眉を(ひそ)める。
 
   *

 明朝、八百八狸達の本拠地である“しょうじょう(じょう)”が騒がしい。城内の大広間には八百八狸達が集まっており、太一郎狸を囲んでいる。
 「太一郎様! 千尾狐との不戦の契りが破られたってのは本当なんですか!?」
 「一体誰が破ったんです!?」
 狸達が一斉に太一郎狸に詰め寄っている。
 「全てはわしの責任じゃ。すまない」
 太一郎狸が頭を下げるが、狸達は納得しておらず、賢明な太一郎狸がそんな事をする筈が無いと思っている様である。
 「あの人間達の仕業じゃ無いんですか!? 太一郎様と一緒に行ったじゃないですか!」
 「いや、彼らは何もしていない。全てわしの責任なのじゃ」
 一方しゃらく一行は、大広間の階下にある座敷で、ポン太と共に座っている。しゃらくは、そわそわと落ち着きなく頻りに動いている。
 「うるせぇなさっきから。大人しくしてろ」
 ウンケイがしゃらくの様子を気にする。
 「大人しくなんかしてられるかってんだ! あのジジイ狸のやつ、自分が悪いって話してやがる。狐をぶん殴ったのはおれだ。悪ィとは思わねェが、悪ィのはおれだろ? 何であいつが謝ってる? こんな所におれ達を匿って、何であいつが頭下げてんだよ!?」
 しゃらくが天井を指差し、顔を真っ赤にしてウンケイに詰め寄る。どうやらしゃらくは、牙王(がおう)の力を使い上階の話を聞いていた様である。
 「ならお前が出ていって何をする!? 恐らく戦いは止められねぇ。よく知りもしねぇ俺達の為に血を流せって話でもする気か?」
 「・・・おれ達で狐を倒す!!」
 「馬鹿野郎! 相手の数はその名の通り千だ。いや、ジジイ狸の話じゃもっといるらしい。俺達だけでそれを相手にするってのか?」
 「・・・っ!!」
 しゃらくが口を結ぶ
 「やっちまったもんは、もうしょうがねぇ。俺達がするべき事は、狸と共に戦って勝つ。それだけだ」
 ウンケイの言葉に、しゃらくはぐうの音も出ず不貞腐れ、そっぽを向いて座る。
 「ぜってェ勝つ」
 「当たり前だ」
 しゃらくとウンケイが、お互いに顔を合わせず呟く。ブンブクとポン太は、そんな二人の様子を見つめている。

   *
  
 夜になり、月明かりが城を照らしている。櫓では見張役の狸が辺りの闇を(うかが)っている。
 「お(かしら)には馬を送ったが、恐らく届く頃には、千尾狐達が来ているじゃろう」
 城内の大広間で太一郎狸を囲み、大勢の狸達としゃらく一行が膝を突き合わせて座っている。
 「もはや戦いは避けられん。しかし我々には強力な助っ人がいてくれる」
 太一郎狸初め狸達が、ニコッと笑ってしゃらく達を見る。
 「お頭達がいない中ではあるが、我々だけで千尾狐を迎え撃つ。覚悟はええか?」
 「おぉ〜!!!」
 狸達が拳を突き上げる。しゃらくも負けじと声を上げる。
 「まずは向こうが宣戦布告に来るじゃろう。皆は手を出さず、この城に留まっていてくれ」
 すると、突如鐘の音が響き渡る。鐘の音は櫓からのもので、森に動きがあった様である。
 「・・・来たか」
 城下町と森との境で、太一郎狸と数匹の狸、そしてしゃらくとウンケイが、その暗い森の先を見つめている。後ろでは、城の中や家屋の中から狸達が、心配そうに顔を出して様子を窺っている。すると暗い森の中から、大勢に何者かが歩いて来る気配がする。足音や衣擦れ、様々な音が暗闇から響き渡って来る。
 「・・・」
 しゃらくが唾を飲み込む。太一郎狸達とウンケイはただ黙って闇を見つめる。
 「・・・いやはや。久しいな太一郎。フフフ」
 すると暗闇の中から、狐の集団が姿を現す。先頭には真っ白の毛を生やした老狐が、杖をついてニヤリと笑っている。さらに、老狐は尾が二股に別れており、太く長い尾がそれぞれに揺れている。その後ろで睨みを効かせている狐達はかなり大きく、中にはウンケイと変わらぬ大きさの者までいる。
 「百年程経ちますかな。“白尚坊(はくしょうぼう)”様もお元気そうで何よりですじゃ」
 太一郎狸は変わらぬ穏やかな笑顔を見せる。
 「“ギョウブ”はおらぬのか?」
 「ええ。今は留守にしております」
 すると、白尚坊(はくしょうぼう)と呼ばれる老狐が目を顰める。
 「そうか。久しぶりに彼奴(きゃつ)の顔も見たかったが、まあ良い」
 白尚坊(はくしょうぼう)が徐にしゃらく達に目を向ける。
 「彼奴等(きゃつら)がそうか?」
 「ええ」
 太一郎狸が答えると、白尚坊がしゃらく達をギロリと睨む。その眼光鋭く、あまりの迫力にしゃらくとウンケイが息を飲む。
 「相変わらず人間などと(つる)みおって。思えば、前の時も人間が原因だったな。覚えておるか? 太一郎」
 白尚坊が再び太一郎狸に目を向ける。
 「ええ。そうでしたな」
 「皮肉な話だ。人間を巡り争ってきたとは」
 「しかし今回、手を出したのは私等(わたしら)だが、仕掛けたのはそちらじゃ。理由は何です?」
 太一郎狸が白尚坊に尋ねる。すると白尚坊がニヤリと笑う。
 「それはお前等が一番分かっておるだろう」
 そう言うと白尚坊がくるりと(きびす)を返し、来た道を向く。
 「ギョウブが戻るまで待つ気は無いぞ」
 白尚坊が、背を向けたまま顔だけを振り返り、狸達をギロリと睨む。
 「ええ。望む所です」
 太一郎狸が睨み返す。白尚坊はニヤリと笑い、来た道を戻っていく。他の狐達も続いて、暗い森の中へと消えていく。
 完

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