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他愛ない話

あんなことがあった、次の日。
私は、あの河川敷に足を向けた。
今度は小さな脱走劇なんてしないで、きちんと外出許可を得て外へ出てきた。
もちろん、理由は言っていない。
気分転換に外に出たいから誰も着いてこないでほしい、そう言うと大抵はSPを着けずに外に出してくれる。
これは我が家の方針だが、きっとこれも父親の気遣いの内なのだ。
 昼のご飯も食べ終えたその後、ちょうど気が抜けて眠くなるくらいの時間。
いつも通りなら、今日はヴァイオリンの稽古がある。
これは、素養として始めたものの、今では半分くらい趣味でも続けているものだ。
稽古の中でも楽しい内容で、それをキャンセルするのは惜しい気もしたが、青年との時間の方が今の私には遥かに尊かったのだ。
 
 昨日青年と出会った場所まで来ると、来ましたよの合図に挨拶を一つ。
「こんにちは」
青年はというと、居なかったらどうしようか、という私の疑心を良い意味で裏切ってくれた。
橋の下を覗き込むと、昨日とほぼ全く同じ位置で地べたに座っていたのだ。
「よお。本気で来るとはな」
青年は、まるで呆れたかのように言いながらも、昨日とは違い怒ってはいなかった。
「ええ、私はいつでも本気ですもの。今日は、私がここへ立ち入っても怒らないんですね」
私は、まだ少しだけ緊張を残したまま、青年の方へと歩みを進める。
影になっていて冷えている芝生を踏みしめながら、早速質問を投げると青年は何食わぬ顔で言う。
「昨日話した時から気が変わっていないだけだよ」
一応、私を少しは信頼くれているんだろうと解釈していいだろう。
それは素直に嬉しくて、体から力が抜けるようだった。
 私は、青年の隣、綺麗とはとても言えないコンクリートの壁に凭れながら座り話を振った。
「今日はいい天気ですね。本当心地の良い気候で」
青年は、少し紙の古くなった少年誌に退屈そうな目を向けたまま、何も返してはくれなかった。
 それからも幾らか話題を振ったが、青年は、興味のない話題にはとことん無視を決め込んだ。
目の色も表情も、一切変えることはない。
今日が晴れであれ雨であれ、青年にしてみればどうでもいいんだろう。
しかし、それも想定内だ。
 私は早速、少ない荷物、小さいポシェットの中から、決してありふれているとは言えない高級店の紙袋を取り出す。
それを、青年の視界の端にでも入るように突き出した。
「こちら、ほんの気持ちですが、差し入れです。私達は関係がハッキリしませんが、時間を共有しあえる仲ですので」
物で釣るような手に青年がそう簡単に乗るのか、どちらかと言われれば無視でもされそうな想像をしていたが、青年の目は紙袋をとらえたようだ。
意外だが、興味を持ってくれたらしい。
「中身は?」
青年が持参した雑誌から、私が持ってきた差し入れに目線を変えさせることに成功した。
私の発言に反応一つにさえ示さないのは少し残念だが、質問までさせたのだから結果は上々だろう。
私は得意げになって、紙袋の中身を取り出す。
「うふふ、語らうには必要かと考えまして!」
正直、準備した時から楽しみにしていた。
何をって、青年の反応を、だ。
 私はこれまで、関係がまっさらな相手と話をする経験をしてこなかった。
故に、普通の人たちが語らいの場で何を飲み食べするのかは、読み物で得た知識しかない。
だこらこそこうして、立場など関係なくラフに語り合う場、というものに少なからず憧れがあったのだ。
令嬢と呼ばれる私だが、香り高い紅茶と上品な甘さの茶請けがないと対話が叶わないのか? というと、そんなわけはないのである。
たまには、不健康そうで味の濃い、ジャンクな味を何も考えず楽しみたいものだ。
 そう、ポテトチップス(うすしお味)とコーラ。
漫画で読む限り、伝説級の組み合わせである。
「どうぞ!」
私は、自信満々にポテトチップスとコーラを取り出し、揚々と掲げ見せた。
もちろん、青年がポテトチップス、更にはうすしお味が好きかどうかは分からない。
だが、きっと食べたことはあるだろうし、ポテトチップスは嫌いな人間の方が少ないだろう、多分。
そこで、今回用意した『ちょっとお高いポテトチップス』である。
きっと驚いて、満足してくれるはずだ。
何故か、昨晩からずっと、そんな根拠のない自信がとめどなく湧いて溢れているのである。
だから、青年の反応を楽しみにしていた、のだが。

 ……青年の顔、声、ちょっとした雰囲気でさえ、ピクリとも変わらない。
どころか、ああ成る程ね、くらいの、病院食顔負けの薄味な反応である。
いや、病院食は食べたことがないから、知らないけれど。
 
 ――おかしい、想像と違いすぎる。
 
よもや失敗したか、と焦りゆく私は青年の発言をひたすら待った。
そんな私の耳に入った青年の声は、非常に残念なものだった。
「お前、ここで会うのにポテチとコーラって……友達の家に来るんじゃあるまいしな……」
まさしく失笑、今まで見た中でもとびきり心の底から呆れられているようである。
穴があったら入りたいとはこのことだ、要らぬ期待をしていた自分が馬鹿馬鹿しくて仕方ない。
 さようなら、ワクワクしながら今日の荷物を考えていた昨日の私。
「しかもこのパッケージ見たことねえ。何これ」
青年が小さなポテトチップス袋を手に取り、ぬるめのコーラを見ながら静かに呟くのを聞くと、泣きそうなくらい恥ずかしくなった。
普通のスーパーでも売っているが、財布と相談すると中々手が出せないであろうポテトチップス。
それは別に高級感には繋がらず、ただ馴染みの無いお菓子に成り下がるだけなのだとは、青年の反応を見た今気付いたことである。
好奇心ではなく訝しみを持ってまじまじとポテトチップスを見る青年の言動が、より私を傷付けた。
最高のお供になると思っていたのに。
「そんなにですか……すみません……」
自分でも驚くほど声が落ち込んでいて、思わず少し俯いてしまった。
落ち込んでいるのを悟られたくはなく、なるべく青年を見て笑うようにしたが、声までは誤魔化せなかった。
「……ま、ご苦労。クソガキとしてはいい働きじゃねーの」
青年は、ポテトチップスの観察を終えると、昨日の帰り際にしたように、まっすぐに手を優しく伸ばした。
私の頭をめがけて。
「あっ……」
それを見て、今しがた感じていた苦い感情などは消え去ってしまった。
昨日のことを思い出して思わず身構える。
蚊の鳴くような声が漏れると、この展開に動揺しているようで、少し情けなくなる。
青年はきっと、何の気なしに気まぐれにやっているであろうことに、私は酷く緊張してしまうのだ。
避けたり手を払ったりなんて出来もしないし、出来ても間に合わない。
そうしてそのまま私の頭に乗せられた手は、とても、とても優しいのだ。
ポン、ポン。と。
一、 二回。
たったそれだけ。
少し優しく撫でられただけで、なんとなく何かが満たされた心地がする。
青年は、私が思うよりずっと躾上手だ。
彼に褒められると、大人しく、身を委ねてしまうから。

 これは、照れくさいとは少し、違う気がする。
 でも、何かは分からない。
 私には、分からない。

あくまでも気まぐれでしか無い青年の行動はすぐに終わり、どうやらポテトチップスとコーラのメーカーを気にし始めたらしかった。
私は、青年がポテトチップスの袋を開け出すのを横目に、気を落ち着けた。
そして、返答次第では気が落ち込むので聞こうか迷ったが、気になる質問をぶつけてみる。
「あの、こういう差し入れは、あー、好みの話的にですよ? お嫌いですか、好みとしては?」
「あ?」
青年は、右手でポテトチップスを一枚摘んで、私の方は見ずに一口齧ったうえで『そうだなあ』と少し悩んでみせた。
「ま、嫌いじゃねぇ。でも次からは持ってくんなよ」
青年の発言に、私は思わず固まった。
 
__あらあらあら、まあまあまあ。
 
明らかに、要らなかった時の反応ではないだろうか。
一瞬だけ捻くれそうになったが、本気で心がボッキリ行く前に、青年の方から鬱陶しそうな顔でフォローが入った。
「別に落ち込ませるような意味で言ってねえよ馬鹿、やめろその気持ち悪い目を」
言いながら、二人で摘むとすぐになくなってしまいそうな量しか入っていないポテトチップスを一枚、私の口に突っ込んできた。
驚いて慌てて咥えると、じんわりと塩気が舌に溶けていく。
久し振りに食べた塩味の濃いお菓子は、存外美味しく感じた。
ならばどういう意味なのか、とすぐに聞きたかったが、口に物が入っている状態では喋れず、とにもかくにもポテトチップスを咀嚼する。
その内に、青年は好き勝手続けてくれた。
「ここ、周りにゴミ捨てれる場所ねえし、一回物落としたら中々綺麗にならないんだよ。ましてポテチなんざ欠片がボロボロ落ちるし、ここで食うようなもんじゃねえんだよ。つか、ここ自体もの食える場所じゃない」
じゃがいもの独特の甘みを口に感じながら、胸にストンと落ちる青年の真面目な言葉を聞いていた。
意外にも青年は環境に優しい思考をしている。
或いは、ただ真面目だったのだ。私が昨日見抜けなかっただけで。
私がこの場所の事を考えず、自分の憧れと青年の好みだけを考えて差し入れを持ってきた事を思うと、人間的に出来がいい方なんて一目瞭然だ。
初めて真っ当に尊敬できるところを見つけたんじゃないだろうか。
「ま、クソガキにしてはいい心がけだがな、俺様に貢ぎ物とは」
上から目線を通り越して現実離れした面白い言動は置いておき、大真面目にこの場所の事を最優先に考えた青年の心意気は、とても大好きだと思った。
私は、美味しいポテトチップスを飲み込み終えてすぐに青年に感じたままを伝える。
「思ったより真面目な方なんですね、感心しました」
すると、青年はさながら豆鉄砲を食らった鳩のような顔をして私を見た。
「……はあ……? お前、ムカつくな」
「え、褒めてますよ?」
この流れでまさか青年を苛立たせるとは思わず、純な驚きの感情で胸が満ちた。
だって今の言葉は、流石の青年でも照れるか胸を張るかの反応でいいのではないだろうか。
「いや分かってるけど。上から目線でムカつく、昨日みたいに分かりやすく怒ればいいのに」
青年は、ポテトチップスを自らの口に放り込みながら、訝しげな顔で言うばかりだ。
怒りのツボが特殊すぎやしないだろうか、昨日だってよく分からないツボで怒っていた気がする。口調とか。
「そう言われましても……あの、私の一体何が癇に障るのか教えていただけませんか? 昨日からよく分かりません」
流石に嫌われ続けるのも苦しいので、少しでも青年の感性を理解したかった。
これはこれで青年にとっては嫌なのか、ただ喋る気分じゃないのか、青年は顔を顰める。
「鬱陶しいな、分からないなら気にすんな。存在自体がムカつくから」
ポテトチップスを一枚二枚と減らしていきながら、当然のように悪態をついてきた。
私相手にこんなことができるのは、世界中探しても彼だけだろうと思う。
それが私のプライドを傷付けることもあるが、やはり対等なやりとりが楽しくもあると、改めて感じた。
「そうですか。なら良いですわ、言いたくないなら」
「だあームカつく、その言い方が。もうつまんないこと言うなら黙れ」
眉間に皺を作り上げて、コーラの蓋を開けながら、虫を追い払うような仕草を私に向ける青年。
「はいはい、失礼いたしました」
私もまた、青年に対しては、はいを二回繰り返すなど雑な対応になるのでお互い様だ。
青年の気分が悪そうなので、少しだけ黙って青年の気持ちを考えてみることにした。
彼は、私に『分かりやすく怒ればいいのに』と言った。どうしてそんな風に言ったのか、自分なりに噛み砕くとしたら。
見ていて感情が分かりやすいというのは、安心感に繋がる。
もしかしたら青年は、見ていて分かりやすい方が安心するから、という意味でも怒っていたのかもしれない。
変に含みのある言い方をされると、本心が見えづらい分不安感に繋がるのだから。
まあ、真実は分からないけれど。
 ともあれ、なんだかんだ青年が差し入れを受け取って食べてくれた安堵していた私は、改めて今日も心地よい空気の漂う川の方を見た。
無人であるからこそ美しさを保っているであろう、春の似合う青と緑の光景を。
 ……ここであったという殺人未遂事件について、昨日こっそりと調べてみた。
青年の言葉と態度はきっと嘘ではないのに、ひとつもそれらしい事件は見つからなかった。
ニュースにもなっていないし、文献もない。
風化していないということは最近起きた事件のはずなのだが、巧妙に隠されているのかもしれないし、青年が嘘をついているということもあるだろう。
当然疑うべきは青年だが、私は青年を、否、自分の第六感を信じることにしていた。
青年はきっと嘘をついていない。私の勘がそれを訴えている。
それ以外にも、近隣住民がここに来ているとは思えないのも、青年を信じる理由の一つだ。
ゴミもなければ、踏みつけられた草の跡や、落し物もない。
人が訪れていないであろう事実は、青年が言った『気味悪がって皆近付かない』が本当のことである証拠だ。
気味悪がって、ということは、事件が起きる前までは人が多かったのだろうか。
そうであってほしいと、部外者ながらに思う。
だって、こんなに綺麗な河原なのだ。ずっと人が居ないのは勿体ない。
 私はこの疑念を、青年に問うことにした。
これくらいなら喋っても怒らないだろう。
青年の方に視線を移して、口を開く。
「あの、昨日貴方は、ここにはあまり人が寄り付かないと仰っていましたよね」
青年も私の方を見て、ポテチを貪りながらも頷いてくれた。
「そうだけど」
「私、それはきっと真実だろうと思っているのですよ。それで、ふと思ったんですが、ここは事件の前は人がちゃんと来ていたんですか?」
私がそう聞くと、青年は、何の感情か少し目を細めた。
それから、コーラのボトルを傾けながて、悩ましげに続ける。
「……あー、そうね」
そのまま一口飲んでから、青年は言葉を紡いだ。
「確かに人は多かった。主に親子。うるさかったなあ、学校帰りのクソガキとか。ここ通るのあんま好きじゃなかったぜ、いかにも子供の教育にいい場所って感じで」
私は、青年の言葉に、親子がこの河川敷を訪れている光景を想像した。
芝生の上で日向ぼっこをしている傍ら、冷たい川に足をつけて川遊びをしている子供たちを、微笑ましげに見つめる両親。
それは、とても幸せそうで尊いものだと思える。
しかし、同じような景色を浮かべているであろう青年の言葉は、落ち着いていながらも酷く忌々しげだ。
青年のかなり捻くれた感性が垣間見えるようだった。
「でも、確かに……そういう人達がよく集まる場所だったなら、事件があって人が寄り付かなくなるのも頷けますね」
青年が普通じゃない事を痛感すると共に、この場所が如何なる場所かということもより深く理解した。
もしもこの川に、かつて痛ましい血が流れたのだとしたら。
殺人未遂が起きるに至るほど、人が通り掛からず危険な時間帯があるとしたら。
親としては、子を遊ばせたくなくなるだろう。
「そういう事だ。しかも未遂だから。殺し損ねた被害者を、加害者がまた殺しにきたら、困るだろ」
青年は鼻先で笑い飛ばすようにして言った。
私は、その発言に違和感を感じて少し考えた。
 
 ――被害者を殺し損ねた加害者が、また此処に来る?
 
「そんな事、あるんでしょうか?」
私は考えながら、そのまま思考を口にする。
「わざわざそんな危険な目にあった場所に、被害者は戻ってこないでしょう。なら加害者だって、再び犯行を犯すために戻っては来ないはずです。多少考えれば分かりそうですが……」
思考を口にしながら、私が感じた違和感の正体はそれではないとも感じている。
まだ胸に残るとっかかりがなんなのか悩みながら、青年の反応を伺った。
青年は少し動きを止めた後、静かに呟いた。
「……それもそうだな」
それは、余計に私の胸に深く深くとっかかりを突き刺した。
違和感を大きくしただけだった。
 
――青年が何か、私に隠した気がする。
 
かと言って、これ以上の詮索はいけない。
私に、青年に捧げられる物がない以上は、聞いてはいけない。
話す内に私が察するか、無いとは思うが青年が自分から話してくれるのを待たねばならないい。
なんとなくそんな気がして、追及は控えた。
自分の好奇心を抑えるべく、話題を別の方向に転換させることにする。
「じゃあ今は、私と貴方くらいなんですね、ここに居るの」
青年は、もう違和感のあった受け答えはすっかりなくなって、いやにスッキリした迷いない口調で答えた。
「そうでもねえよ、テメエと二人きりはごめんだ」
「え?」
そう、迷いなくそうでもないと言ったのだ。
青年から聞いた話を思うに、彼と私以外は此処を訪れないものと思っていた。
ただ、青年がこうも分かりやすく否定するなら話は別だ。
居るのだろうか、ここに私たち以外の存在が。
……まさかとは、思っていたが。
「まさか貴方、友達が居ないあまり、イマジナリーフレンド……想像上の架空の友人を……?」
当たって欲しくない可能性故、冗談半分に青年に言ってみる。
すると青年は、瞬く間に目をつりあげ、烈火の如く怒り出す。
「テメエふざけんなよぶち殺すぞ! 俺とお前以外にわざわざここに来る奴がいるんだよ!!」
ああ、良かった。
もしも、青年が妄想のオトモダチでも作っていて、それをするあまり浮いてしまってこんな場所に来ていたのならとヒヤヒヤした。
『殺すぞ』と言いながら、今すぐに殺してきそう勢いでツッコミを受けたということは、大丈夫そうだ。
悪かったので、そんな恐ろしい剣幕で怒らないでほしい。
貴方格好いいけど怖い顔してるんです。
「しかし、ここに来る事を許可するなんて、その方も余程しつこかったんですね」
青年の気を逸らすため話題を繋げる。
すると青年は、ここぞとばかりに私の頬を軽くつねりあげた。
「い、いいい、い、いヒャい、いだいです……っ!」
「自分がしつこくてうざったい自覚はあったんだなア……? 褒めてやるよ……」
今の流れでかなり墓穴を掘ったらしく、私の身に危険が及ばない程度に危害を加えてくる。
何故こんなにピンポイントで痛みを与えてくるのが上手いのかと、思わず涙目になった。
青年はしばらく私の頬を弄んだあと、やりきった感を出して鼻をフンっと鳴らし、会話の続きを述べていった。
「お前以外に一人、ここに来て俺に話しかけてくる物好きな奴が居る」
私はヒリヒリと痛む熱を帯びた頬を抑えながら、涙を堪えて、珍しく楽しそうにしている青年の話を聞くことにした。
「そいつはたまにしか来ねえけど、まあお前より話の分かる奴だ。ヘラヘラ笑ってうざったい、すげえ変な奴。お前と同じで、ここで起きた事のことも気にしてねえ」

詳しく聞いてみると、私より半年ほど長い付き合いで、彼にしては自慢げに話していることから仲はそこそこ良いらしい。
なんでも、ここから歩いて十五分くらいのところにある辺りの学生マンションに住む、医大生だとか。
怪我をしたまま眠っていた青年に、医大生の彼が声をかけたのがきっかけで、そこから私みたいに話すだけの仲になったと聞かせてくれた。
「なるほど。ありがとうございます、良い友人をお持ちのようで」
「友人じゃねぇ、親友だ」
意外にも普通の話を聞けて嬉しかった私は、素直に感想を口にしたが、友人という表現は不適切であったらしい。
誇らしげな顔で訂正された。
至って普通の、友人自慢。
青年も、自身の友達を胸を張って紹介する心があって、馴れ初め語りではこうもよく居る成人男性に見えるのだ。
なんとなく、彼の『普通』の姿を見て、残念に思った自分が居る気がする。
あくまで、特異で素性の読めない訳ありそうな青年に興味を持っていたんだろうか。
まるでどこにでもいる大学生みたいな姿を見て、なんだかたまらない気持ちになってしまった。
私は、そんな自分が不快で仕方なかった。
何故こんなに気持ちになるのか分からず、勝手に期待して勝手に残念がっていることが申し訳なくて、青年から目を逸らした。
「そうなんですか、それは失礼しました」
「ハッ、気を付けろよ。……お前らはホント変なんだよ、よくもまあ、こんな迷惑に居座ってくれるもんだ」
青年は、コーラを飲みながら小さな声でそう言った。
お前ら、というのは、私とその大学生のことだろう。
即ち、青年が故あって人を寄せ付けずにいたこの場所に、どうにかこうにか立ち入った余所者のこと。
青年が私達に言った迷惑という単語には、幸せそうな息が混じりながら、どこか悲しそうだった気がした。

 それからは、良く話が弾んだように思う。
私が帰るまでのとても少ない時間だけだが、そんな短い時間にしては良い成果だ。
私がただ振っていく話題に、青年が気まぐれに返事をするだけの、他愛もない時間。
そんな中で、青年の年齢が知れたのはラッキーだった。
「そういえば、貴方は一体お幾つなのでしょう?」
「あ? 十九」
「え⁉︎ て、てっきりとっくに成人しているものだ
と……!」
「はあ? 見る目ない奴だな。クソガキ、お前は?」
「私は十六で……」
「十六⁉︎ 十三、四じゃ……ああっ、そういやプロミネントって高校か!!」
「お、幼いってことですか⁉︎」
お前中坊くせぇから高校生に見えなかった、だなんて散々な言われように、その日は一日落ち込んだ。
いつもは飲まない牛乳をとにかく積極的に飲んだせいで、使用人には大変驚かれたのだった。

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