96
「どうしたの? 場所を変える?」
「いや、陛下にも聞いてもらいたいし、もちろんお二人にもね」
ブルーノがシュラインとサミュエルを見て困った顔で言った。
アルバートの執務机の前に椅子を移動し、三人が座る。
シェリーはアルバートの横に置いてある椅子に腰かけた。
シュラインが人払いをして、ブルーノを促した。
できるだけ申告にならないように気をつけながら、ブルーノが話し出す。
「今回の件を決めたのは、父上の健康状態に問題があったからです。正直に言うと余命1年と言われています。父上は最後まで隠し通すつもりです。知れてしまうと下らない事を考える奴らが湧きだしてきますからね」
シェリーがヒュッと息を吞んだ。
アルバートがシェリーの手を握る。
「今更どうこうできる段階はすでに過ぎています。今はオピュウムで痛みを感じないようにしているという状態ですよ。それと、ミスティ侯爵ですが彼は爵位を返上するつもりです。
屋敷はオピュウムの研究機関に献上すると言われました。ご本人は余生を静かな場所で送りたいという希望を持っています」
シェリーの手を握るアルバートの指先がピクッと動いた。
「僕としてはヌベール辺境領とバローナ国が隣接している地帯が栽培に適していると考えています。バローナが属国となるなら、ヌベールは辺境ではなくなりますからね。しかし、黒狼に植物の世話は無理だ」
シュラインが口を開く。
「ああ、黒狼と花は似合わないな。どうだろう、辺境伯ではなく侯爵として王都に出てもらって、叔父上の後を継いでもらうというのは」
サミュエルが何度も頷いた。
「異論はない。奴が承諾すればだがな」
「絶対に承諾しますよ。自信がある。そうなると……」
シュラインがシェリーの顔を見た。
アルバートが助け舟を出す。
「兄上、遠慮しなくていいよ。イーサンの事だろう? 彼は黒狼の影武者だ。でも今は剣も握れない状態だと聞いている。とても近衛は無理だろう」
「あっ……ああ、すまん。つまらないことに気を回すのは悪い癖だな。申し訳ない」
シュラインが素直に謝った。
シェリーが微笑み、アルバートを見る。
「お義兄様、お気遣いありがとうございます。でも……もう彼のことは良い思い出なのです。遠い昔の初恋の思い出というか……それは彼にとっても同じです。私はアルバートの妻です。夫を愛し、信じています。死が私たちを分かつまでそれは変わりませんわ」
「シェリー……愛してるよ」
シェリーの顔を見上げながらアルバートが心からの笑みを浮かべた。
「僕はね、イーサンにも幸せになってもらいたいと思っているよ。彼の希望を聞いてみてはどうだろう。黒狼と共にというならそれも良いし、ヌベール領に残りたいというならそれもありだと思う」
ブルーノが口を開く。
「それについては僕が聞いています。彼はオピュウムの栽培地に行きたいそうですよ。そこで父親と一緒に穏やかに暮らしたいと言っていました。どうやら良い人ができたみたいですしね」
「まあ! それは嬉しいニュースね。でも私、それが誰かわかっちゃった。ふふふ」
「お? 誰だと思う?」
「レモンでしょ」
「ブブ~」
「え? 違うの?」
「レモンは黒狼にロックオンされて、そろそろ陥落しそうな勢いさ。ジュライだよ。知ってるんだろ?」
「え? 戦闘メイドの? 妹の方だったかしら」
「そう、妹の方。それはそれは甲斐甲斐しく看病してもらったみたいだ。まるでイーサンの影武者のために作ったストーリーをなぞっているみたいだね」
「そう、でも彼女はとてもいい子よ。良かったわ」
「姉のジューンは利き手を失くして、半身に麻痺が残ったらしい。イーサンはジュライと一緒にシューンの面倒をみたいと言っていたよ」
「彼らしいわ」
アルバートが言う。
「父親と嫁と嫁の姉かぁ。彼には破格の給料を用意せねばな」
シュラインが笑った。
「ヌベール辺境領の城と、爵位を用意しよう。彼の実家は伯爵家だったね。確か弟さんが継ぐのだったかな?」
「ええ、妻の兄が継ぎますよ」
アルバートがポンと手を打った。
「そうか、それならミスティ侯爵位を黒狼に、ヌベール辺境伯位をイーサンにどうだろうか。ヌベールの名はかの地に残した方がいい。近隣への牽制にもなるからね」
シュラインが立ち上がった。
「すぐに通達を出すよ。それでいいかな?」
ブルーノの顔を見てから、シェリーが言う。
「お義兄様、お願いがございますの」
「ん? 何かな?」
「父の具合が悪いので、実家にお見舞いに行きたいのです」
「なんか聞いたことがあるようなセリフだが、もちろん否は無いよ。何度でも行くといいさ。そうだろう? アルバート」
「ああ勿論だ。でも前回とは違う点がある」
「何だ?」
「僕も一緒に行くってことさ」
サミュエルが顔色を悪くする。
「マジか……」
「ああ、マジだ」
ブルーノの口調を真似てアルバートが言うと、サミュエルが吹き出した。
「シュライン、お前の負けだ。私もできる限り頑張るから、今回の陰の功績者であり、一番貢献してくれた侯爵を安心させてやろう」
シュラインが何度も頷いた。
「そうだ、ところでお前んとこの女傑は? お元気なのか?」
「ええ、母上は父上に付きっ切りですよ。食事も父上の部屋でとるほどです。二人は穏やかに過ごしていますよ。姉上が顔を見せたら喜びます。しかも最愛の人と一緒なら尚更だ」
小さな声でシュラインが言う。
「はい、善処します」
サミュエルがポンポンとシュラインの肩を叩いた。