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それから数日、車椅子に乗ったアルバートが、シェリーの病室を訪ねてきた。
椅子を押しているのはシュラインだ。
「まあ! アルバート!」
「シェリー! 会いたかったよ。もっと早く来たかったのだけれど、兄上が許可しないんだ。きっとヤキモチを焼いていたんだと思う。酷いよね」
「ヤキモチ? あらあら、それはそれは。でも誰に対してヤキモチを焼きますの?」
「僕たち二人の仲の良さにさ」
そう言ってアルバートはシュラインの顔を見た。
フッと溜息を洩らしたシュラインが言う。
「焼いてない。焼く必要もない。うちの夫婦はとても上手くいっている」
アルバートが揶揄うように言う。
「忙しすぎてずっと家に帰れていないんだってさ。毎日夜食が届くらしいよ? でもそれがもとで兄上は太ってしまったらしくてさ。ふふふふ……ははは!」
「笑うな! 残してはいけないと思って食べていたのに……久しぶりに顔を見た途端に言われたんだよ『あなた……随分ふくよかになられましたのね』だってさ。酷いと思わない? シェリー」
「久々にお会いになって照れたのではないですか? そういわれるほどでは……無いと……思いましてよ? フフフ……フフフフ」
笑いがこらえきれないシェリーを見ながら、シュラインが肩を竦める。
「いや、現実はきちんと受け止めているよ。最近上着のボタンがよく飛ぶんだ。特に腹回りがね。だから夜食はもう食べない! そもそも夜食を食べなくてはいけない状況が間違っているんだ。だからそろそろ決着をつけよう」
後ろからサミュエルがやってきた。
「廊下まで聞こえているぞ? ここで話し合うのか?」
アルバートが慌てて言う。
「ここはシェリーの病室です。ですから僕たちの執務室で話し合いましょう。ねえ、シェリー、僕たちの執務室ができたんだよ。一緒に見に行こうと思って誘いに来たんだ」
「まあ! それは素敵です。でもこんな格好では申し訳が無いわ……」
「構うもんか。僕と君の仕事部屋だ。動きやすい楽な格好で過ごせばいいよ」
「そう? ではすぐに準備しますね」
シェリーは寝間着のワンピースの上から厚めのガウンを羽織った。
自分で歩くというシェリーを、無理やり車椅子の乗せたレモンがハンドルを握る。
「レモン嬢、その役目を私に譲ってくれないか?」
サミュエルがレモンに話しかけている。
小さく頷いたレモンが体をずらし、シェリーの車椅子のハンドルを握ったサミュエルが口を開く。
「では新生ゴールディ王国の頭脳部屋を見に行こうか」
四人は騎士達に囲まれながらゆっくりと廊下を進んでいく。
いままではどこか殺伐とした空気が流れていた王宮だが、今は少しだけ明るい。
その空気感を大切にしたいとシェリーはしみじみ思った。
「さあどうぞ。国王陛下、王妃殿下」
つい先日まで真っ白な壁に濃紺の重々しいカーテンが吊るされていたのに、今は薄いグリーンの壁紙に濃いグリーンのカーテンに変わっている。
日当たりのよい南側の窓が大きく開け放たれ、爽やかな風がサイドボードの上に置かれた植木を葉を揺らしていた。
「まあ! 素敵です!」
「ああ、本当に良い感じだ。兄上! グッジョブです」
シュラインが眉を上げて自慢げに言う。
「そうだろう? 頑張っただろ? もっと褒めても良いぞ」
サミュエルがプッと吹き出す。
「あれが僕の机だね? そしてあちらがシェリーのだ」
扉正面の窓前にひときわ大きなマホガニーと執務机が置かれている。通常より若干低い作りになっているのは、車椅子を使うアルバートのためだろう。
その右側の壁を背にして、一回り小さな同じ意匠の執務机が置かれている。
シェリーの執務机の後ろにはサイドボードが置かれ、上にはきれいな花が活けてあった。
「使いやすそうだわ」
シェリーは嬉しそうな顔でアルバートを見た。
アルバートの席から見ると左側になる壁は、全面本棚だ。
その前にはシェリーの机と同じくらいの大きさの机が二つ並んでいる。
こちらの装飾は至ってシンプルで、側近が使用するのだと一目でわかる。
そして部屋の中央には大ぶりな円卓が陣取っていた。
「あちらの部屋は?」
シェリーの問いにシュラインが答える。
「あれは休憩室だよ。今までのような仮眠室ではなくて、ちゃんとしたベッドを置いてあるよ。しかもアルバートのたっての希望で、大き目のサイズだ」
「大き目の?」
シェリーが不思議そうな顔で見られたアルバートが、真っ赤な顔で言い訳を始めた。
「だってほら。ここで急に具合が悪くなったりしたら、動かさずにそのまま休むことができるだろう? それに約束したじゃないか……だから……」
シェリーは思い当ることがあったのか、頬を染めながら頷いた。
「そうね。約束したわね」
「ん? どんな約束かな?」
遠慮なく聞いてくるシュライン。
アルバートが照れながら返事をする。
「もし無事に戻れたら、ずっと毎日一緒のベッドで眠ろうって約束したんですよ」
聞いているオースティンやレモンが照れている。
「そ……そうか……それは何よりだ。夫婦はかくあるべきだ。うん、間違いない」
慌てて咳払いをしたシュラインの声に、サミュエルがとうとう笑い出した。
「お前……羨ましいんだろ。そういえば宰相夫人はずっと一人寝だと愚痴っていたな」
咳き込んだシュラインが言う。
「ゴホン……そろそろ始めましょうか。我々にはたっぷり時間があるけれど、早急に片づけなくては前に進めないことが山積みだ」
全員が頷き、ソファーに座った。
オースティンは侍従としてお茶の準備を始め、レモンは護衛としてシェリーの後ろに移動した。
シュラインが合図を出すと、新しく国王の側近となる者たちが入ってきた。
その全員が壁際に立つと、大臣たちが入室した。
「それでは始めましょうか」
シュラインの声に部屋の空気が一変した。