①
亜美佳はコーヒーが嫌いだ。
ケトルから湧き立つお湯の音が、静かな部屋を包み込んでいた。充(みちる)は手際よく、2つのカップにお湯を注いだ。片方は粗末なコーヒー粉末が、もう一方はこれまた平凡な紅茶のティーパックが待ち構えていた。
丁度良い量のお湯を使い果たすのは、これが日常のルーティンであるからこそ。そして、紅茶には砂糖とミルクを適量加える。
充は手にしたカップを手に取り、リビングへと足を運ぶ。1DKの7畳のリビングは寝室としても機能しており、布団がその端に敷かれている 。
テーブルに丁寧にカップを置くと、掛け布団の下から一人の女の子が顔だけを出した。
「なんじー?」
彼女は興味もなさそうに尋ねた。
「10時だよ。今日はお昼から仕事だろ?」と声をかけると、まだ半開きの目をこすりながら、彼女の方へ持ち手が向いたカップを掴んだ。
「きょうもいいね。もはやプロじゃん」
芯のない声で、ぼんやりとした表情をしながら紅茶を啜りながら褒めてくれた。
「紅茶を淹れるにプロもないよ」
いつものやり取りが続く。しかし、どんな些細な言葉も、亜美佳という彼女と過ごす日々を特別なものにしてくれる。
今日は、充も昼から仕事があった。仕事と言っても、それは正職とは程遠い、設営の単発バイトだ。そして、亜美佳も同じく昼から仕事に向かう。
「コンビニでお昼でも買ってくるよ。何がいい?」
亜美佳は、んーとお腹から抜けるような声で少し考えた後、「要らない」とだけ答えた。
アパートから100メートルほど離れた場所にセブンイレブンがあるが、充はもう30メートル先にあるローソンへと入る。
ウインナーを挟んだ惣菜パンを本日の昼食として手に取り、さらにエビ入りのサラダ春巻きも加えてレジへと進む。
パンなんてどこのコンビニで買っても構わないけれど、この春巻きを亜美佳は気に入っていた。
うろ覚えのよく見かける店員に小銭を差し出し、商品を袋に詰めてもらう。そして、 来た道を戻りアパートへ帰る。
「買ってきたよ」
「ありがとー」
亜美佳はテレビのワイドショーを見ながら、プラスチックパックの中から春巻きをひとつ取り出す。彼女の様子を見ながら、充も自分のお昼を済ませる。
2人はこんな生活を、かれこれ1年ほど続けている。