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片道切符

 俺は天国への片道切符を20個持った。これで地獄から抜け出せる。
 俺は片道切符を握り締め、一気に飲み込んだ。
 飲み込む際、祖父の遺影が視界に入った。笑顔の遺影が固い表情に変わっているように感じた。


 ――――――――


 俺が目を覚ますとそこは真っ白な空間だった。
 ただ、前に白い階段があるだけ。階段の先は見えない。どこまでも続いているような無限にも感じる。
 気づけば階段を一段、また一段と上がっていた。
 終わりは分からないが、一段一段を噛み締めるように上がっていった。

 

 終わりが見えない。どれほどの時間が経ったのかは分からないが、少なく見積もっても1時間は上がっている。
 1時間も階段を上がっているというのに全く体が疲れない。疲れを感じなくなったみたいだ。
 かなりの階段を上がってきたというのに終わりが見えない。どれだけ長い階段なのだろうか。



 終わりが見えない。もう3時間は経った。未だに終わりが見えない。
 階段を上がっていくごとに記憶が消えていくような感じがする。このまま忘れてはいけない人の事まで忘れてしまうのだろう。
 先を見ても白い階段が続いているだけだ。一体この階段は何段あるのだろうか。



 終わりが見えない。10時間は経っただろう。未だに階段の終わりは来ない。
 今では記憶がほぼ無くなっている。忘れてはいけない人の名前を辛うじて憶えているだけだ。
 白しかない空間にも慣れてきた。



 終わりが来た。どれくらいの時間が経っただろうか。やっと終わりに辿り着いた。階段を上がり終えた先にあるのは白い扉。
 記憶は無い。大事な人の名前も忘れてしまった。思い出すことも出来ない。もう思い出す必要も無くなる。
 扉のノブに手をかける。1つ大きく深呼吸をして扉を開けた。


 「おじいちゃん?」
 
 扉の先にいたのは10年前に亡くなった祖父だった。会うのは久しぶりだ。
 祖父の顔は笑顔では無く、寝る前に見た固い表情だった。
 なぜ、祖父の記憶はあるんだ?大事な人の名前は忘れたというのに。
 祖父の顔を見ていると自然と祖父との記憶が蘇ってくる。
 小さい頃、遊園地に言った記憶。祖父の70歳の誕生日を祝った記憶。俺の誕生日を祝われた記憶。
 だいぶ前の事だが、3秒前のことのように思える。それほど強く蘇っている。


 「お前はここに来てはならん」

 「どうして?」

 「お前はまだ頑張れる」

 「俺は無理だよ。出来ることはやった。でも、もう限界だ。楽になりたいんだ」

 「……本当にそう思っているのか?」

 俺がため息をついて絶望した顔で言うと祖父は少し考え、口を開いた。
 俺が言ったことは本心だ。嘘じゃない。もう頑張ることなんて出来ない。
 家族、友人、頼れる人には頼ってみた。でも、心の支えになんてなりやしなかった。
 俺に居場所は無いんだと気づいてからは1分過ぎるのが1時間に感じた。


 「うん。家族、友人に頼っても何も変わらなかった」

 「少しは気持ちが楽にならなかったのか?」

 「全然。みんな俺のことを面倒くさいって思ってるよ」

 「なぜそう思う?」

 「なんでって……俺なんていてもいなくても変わらないから」

 「それはお前の憶測だろう。みんながお前のことをどう思っているかなどお前自身には分からないことだ」

 憶測だったとしても当たっているだろう。みんなの俺に対する思いなんて大したことはない。
 頼っても頼りがいの無い人間しかいないのだから。


 「だとしても、多分俺の憶測は的を得てると思うけど」

 「それはお前の言葉足りなかったのではないか?」

 「どういうこと?」

 「お前は本当に自分が辛いと言ったのか?支えてほしいと言ったことがあるのか?」

 「言ったよ。でも、助けてくれなかった」

 「それはお前が強い人間だと思われてるからだ。一人でなんとかしようとして本当になんとかしてしまう。それがお前だ。だから、みんなも一人でどうにか出来ると思っているのではないか?それに今までお前は人の助けを借りようとしてこなかった。それもあってお前が辛いと言っても、積極的に手を伸ばさなかったのではないか」

 「……」

 「人の助けを借りようとしなかった人間が弱音を吐いたら異常事態だというのは分かる。ただ、その異常事態がどれほど深刻なものなのかは本人が言葉にしなければ伝わらない。お前がどんな風に辛いのか、何が苦しいのか、細かいことまで言葉にしてみろ。そうすれば周りの人間も理解してくれるはずだ」
 
 「俺にできるかな?」

 「出来る。辛いことを打ち明け、助け合うのが友人ではないのか?誰にも言えないような悩みを打ち明けられるのが家族ではないのか?お前なら手を差し伸べてくれる人間はたくさんいる。自分を信じろ」

 祖父の言葉で少し前向きになれた気がする。俺は色々考えすぎていたのかもしれない。
 自分を信じる。それが出来ればもう少し楽に生きられるのかな。
 さっきまで忘れてた大事な人の名前が蘇ってきた。これからは絶対に忘れない。
 記憶が蘇ると同時に扉を超えるのが猛烈に怖くなった。失っていた死への恐怖が戻ってきたみたいだ。
 俺は扉から一歩後ずさりした。この扉を超えてはいけない。本能が強く訴えていた。


 「さぁ行け。もう来るなよ」

 「うわぁ!」

 俺は祖父に突き落とされた。体が空を舞っている時、祖父のほうを見てみると笑顔を浮かべていた。遺影に写っている笑顔だ。
 笑顔のまま口を開いた。何を言ったのかは聞こえなかったが、「がんばれよ」と言っている気がした。
 頑張ってみる。俺になら出来る。
 体が無限階段を転げ落ちる瞬間、視界がブラックアウトした。そのまま意識も途絶えた。


 ――――――――


 「優斗!良かった……」

 「心配したぞ」

 「お兄ちゃん……よかった」

 目が覚めると見慣れない白い天井が目に入った。俺を覗き込むように家族が心配した顔で俺を見ている。
 感覚が戻ってきて、俺の両手が家族全員の手に触れている。温もりを感じた。
 俺の口元には呼吸器が取り付けられており、患者服を着ていた。
 家族が思い思いの言葉を口にしている中、俺は白の空間での出来事を思い出していた。
 祖父と会話した記憶。誰かに話しても信じてもらえないだろう。
 それでもいい。あの時のことは俺の胸にしまっておこう。


 「馬鹿なことしないの!」
 
 「死ぬのは怖いね。もう1回頑張ってみるよ」
 
 俺は何か月振りかの笑顔で答えた。

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