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林での野営を引き払った辺境伯騎士団は、目立つように大通りを進んだ。
王都へ入る最後のゲートをくぐるとき、その物々しい軍団を見た商人らしき男が、わざと人々に聞こえるように言った。
「グリーナ国に宣戦布告するという噂は本当だったのか……辺境伯が出張ってくるなんて余程のことだ」
その言葉は一気に広がっていく。
噂が噂を呼び、一団が王都を進むにつれ大きくなっていった。
そんな民衆を馬車の小窓から見ながら辺境伯が言った。
「これで動きやすくなったな。奴らがグリーナに戦争を仕掛ける噂を撒くと聞いたときは、思わずに吹き出しそうだったよ。想定以上に上手く踊ってくれるから、かえって疑った方が良いのかと思ったほどだ」
その日の馬車には辺境伯とエドワード、そしてイーサンの三人だけが乗っていた。
シェリーとレモン、そして二人の戦闘メイドは後方の馬車だ。
エドワードがニヤニヤしながら言う。
「まあ若い者には若い者の考えがあるのでしょう。それより義父上が王城に入ると言っても国王が不在では困りましたね。さすがにもう戻っていると思ったのですが」
「ふむ、まあいいさ。皇太子はミスティ侯爵家にいるのだからお前に任せよう。私は宰相を押さえる。イーサンは近衛騎士隊長を頼む」
イーサンが小さく頷いた。
「奴らは脱出ルートを押さえているはずです。一気に片付けますよ」
辺境伯が口角を上げた。
「これでこの国は私のものだ。戦争を回避するために断腸の思いで反旗を掲げた英雄さ」
エイドワードがチラッとイーサンを見る。
イーサンは敢えて目を合わせなかった。
辺境伯は続ける。
「バローナを属国とし、オピュウムの栽培地にすれば近隣諸国を制圧するのも時間の問題だ。こちらにはシェリーという小鳥がいるんだ。ブラッド家は逆らうまい。態度によってはシェリーの弟を代官にしてやっても良い」
イーサンの指先がぴくっと動いたが、二人は気付かなかった。
機嫌のよい辺境伯がなおも喋り続ける。
「やはり小鳥は城で籠に入れておいた方が良かったのではないか?」
エドワードが応える。
「奴らも必死で抵抗するでしょうから、目の前で喉に剣でも突きつけて見せてやりますよ。そのためには手の中に持っていた方が良い」
「まあ小鳥の世話は任せよう。上手くやれ」
エドワードがイーサンに視線を向け、イーサンはそれに目だけで応えた。
馬車の横を走る騎士が、もうすぐ王城につくことを告げた。
その後すぐに他の騎士が駆け寄る。
「緊急連絡です」
走りながら小窓から手紙を差し入れる。
受け取ったエドワードが手紙を読んで焦ったような声を出した。
「義父上、三女殿が危篤だと書いてあります。差出人は……次女殿だ。どうします?」
辺境伯が驚いた顔をした。
「あの子は持ち直したのではなかったのか?」
「ええ、前回の薬で最後にしましょうと言ったほどですからね。完治していたはずです」
「気付かれたか?」
「いや、それは無いでしょう……もしかしたら他の病気があった?」
暫し考えた後、辺境伯が苦々しい顔で言った。
「今更変更はできん。予定通り動いてくれ」
エドワードが確認する。
「もしこの情報が本当で、動かせない状態ならどうします?」
「……どうでも無理そうならその場に残せ」
エドワードが肩を竦めた。
辺境伯はギュッと目を瞑って腕を組んだ。
その頃後方の馬車でも深刻な会話が為されていた。
「なんだかこんがらがって訳がわからなくなってきたわ……レモンはわかった?」
「要するに、辺境伯がゴールディ王国の乗っ取りを企んでいて、国王がそれに気付いてグリーナに逃げたってことですよね? 黒狼は最初から分かっていて手駒の振りをしていた? ってことで合ってます?」
戦闘メイドの姉ジューンが頷く。
「そうです。私たちはエドワード王子の子飼いですからご安心ください」
レモンが続ける。
「それで……えっと……アルバート殿下はそれに気付いてミスティ侯爵の協力で辺境伯の娘二人を囲い込んで探っていたってこと? シュライン閣下は?」
戦闘メイドの妹ジュライが答える。
「シュライン閣下とサミュエル殿下は、ゴールディ国王の動きに気付いて阻止しようとなさってました」
シェリーが溜息のように呟く。
「悪玉が二匹いたってことよね……大人しく引退していれば天寿を全うできたのに」
「先が見えたからこそ足搔きだしたのかもしれません」
レモンの言葉にシェリーが頷いた。
「エドワード様はどういう立ち位置なの?」
ジューンが悲しそうな顔をで言う。
「妹君がヌベール辺境伯に買われるようにして嫁がれ、その扱いの酷さには思うところがあったようです。寝首をかくのは簡単ですが、そうなると報復合戦になるのは必至。全てを一気に片づけるチャンスを狙っておられたのです」
「なるほど。イーサンは? 彼の役割は何?」
今度はジュライが答えた。
「ブラッド侯爵の命によりエドワード様の手助けをなさっています」
「お父様の命令ですって?」
「ええ、ブラッド侯爵家は古くからバローナ王国と取引がございました。出自の問題で虐げられておられたエドワード様と妹君を不憫に思って、陰ながら援助をなさっていたそうです。そしてエドワード様の為政者としての資質を惜しんでおられたと聞いています」
「良く分からないけどまあいいわ。帰ったら絵に描いて教えてちょうだい。要するに私とレモンは何をすればいいの?」
メイド二人が顔を見合わせた後、同時に言った。
「守られて大人しくしておいてください」
「わ……わかったわ」
「お二人は辺境伯と共に王城に入られます。辺境伯は王城を制圧するよう動きます。お二人は人質として連れて行かれるのです。それと同時にエドワード様がミスティ侯爵家で辺境伯の次女と三女を捕縛します。と同時にイーサン卿はサミュエル殿下と合流し、外から王城にいる辺境伯を攻めます。簡単でしょ?」
シェリーが困った顔をした。
「私はてっきりゴールディ国王が敵だと思ってたから」
「敵ですよ? まさに老害ですね。でもゴールディ国王陛下は、辺境伯の反乱を聞いて、慌てて帰ってくる途中で事故に遭われます。可哀そうですよねぇ。そして同乗しているグリーナの王妃も巻き込まれて命を落としてしまうのです。こちらも可哀そうですよねぇ」
シェリーとレモンは顔を見合わせた。
気を取り直すように聞く。
「最近名前が出ないけど、ミスティ侯爵家に養子に行った……なんて名前だったかしら」
ジューンが笑いながら言う。
「ああ、ロナードですか? 彼は今頃神の前で懺悔してるはずですよ? 若しくは地獄の番人に責められているか……」
「死んでるってこと?」
「ええ、かなり以前に。これは間違いないです。やったのは私ですから自信と責任をもって断言できます」
シェリーは仰け反ってしまった。
「まあそういうことですから、バレないようにちゃんと演技してくださいね。本当なら最後まで種明かしはしないことになっていたのですが、イーサン卿が二人なら知っていた方が動きやすいからと仰って、エドワード様が同意なさったのでお話ししたのです」
「はい……頑張ります」
シェリーはイーサンのことを考えた。
剣の腕前が予想より遥かに上だということにも驚いたが、ずっとブラッド侯爵の指示で動いていたということにも驚いた。
ふとシェリーは思った。
彼はまだ私のことを想ってくれているのだろうか……と。
車窓を流れていく景色は、見慣れた王都のものだ。
あの時計台が見えたということは王宮まで間もなくということ。
シェリーは唇を引き結んでイーサンの顔を振り払った。